手毬唄
第二回葉鍵板最萌トーナメント出展作品
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「うわぁ、良い天気だね〜」
 そう言って、小牧愛佳は"ふにゃり"と、何がそんなに嬉しいのかと問い詰めたくなるような笑顔を浮かべる。
 所は病院の屋上。すっかり初夏の色に染まった6月の陽気にさらさらと撫でられて、後についてきた郁乃も思わず目を細めた。
「見て見て郁乃、ほら、あんなに空が高いよ?」
「うん。すごく青いね。夏って、こんなに空が青いの?」
 困難な手術と、数週間に及ぶリハビリの期間を経て体力も回復し、自分の足で歩けるようになった郁乃。以前は目も悪くて、色の判別や細かい物の識別ができなかったが、今では空や雲の微妙な色合いの違いもよく判るようになった。これから来るであろう真夏の香りを乗せた陽射しに、少しだけ胸がドキドキするような気分すら覚え、改めて自分は元気になったのだと実感する。
  未だ身を包んでいる病室用のパジャマだって、来週には赤くて可愛らしいセーラー服に変わり、休日には憧れだった"オシャレ"をして街に遊びに行けるのだ。
「もっとすごいよ〜」夏色のブラウスとスカートに陽射しをまといながら、愛佳は妹の方へ向き直る。「7月の下旬くらいが、いちばん綺麗に青くなるかな。夏になったら、一緒に海を見に行こうね?」
「…いいの? あたしも行って」
「当たり前じゃない。何でそんなこと言うの?」
「いや、お邪魔虫じゃないかな、と」
「え? あ、えっと、そんな、あたしたち、別に」
「隠さなくても」
「だってだって、たかあきくんだって、そんな、ねぇ?」
 何が『ねぇ?』なのか全く不明である。
「誰も貴明の名前は出してないんだけど」
「え…? あっ、も、もう郁乃、ずるい!」
「…え、どこが?」
 わけの判らない姉のうろたえぶりに、思わず苦笑を漏らす郁乃。どうやら、まだまだ中学生のお付き合い程度のものらしいな、と何となく2人の進展具合に思いを馳せる。いつになったら大人の付き合いになるのやら――
「と、とにかく、そういうのはいいから、ボール遊びするの!」
 そう言って、直径20センチ大のピンク色のゴムボールを突き出す姉を見て、郁乃は当初の目的を思い出す。来て早々話が脱線していたが、今日屋上までやってきたのは、一緒にボール遊びをしようと愛佳に誘われたからだ。
 その際の姉の主張は『まずは簡単な遊びから体力をつけること』というものだったが、にやけきった顔から推測するに、どうやら元気になった自分と一緒に遊びたくて仕方なかっただけらしい。
 元気になった後も、姉の過保護は治りそうにないな――そう思って、郁乃は再び苦笑する。でも、それもまた心地良い。
「じゃあ今日は、"リハビリの一環"として、手毬唄を教えてあげるからね?」
 ピンク色のボールを、何かすごい宝物であるかのように抱えて、愛佳が宣言する。しかし郁乃にしてみれば、姉が軽やかにボール遊びをしている姿は想像できない。
「いいけど…お姉ちゃん、できるの?」
「し、失礼な。このくらいできるよぉ」
「ホントに?」
 自信たっぷりの姉の様子に疑問符を頭にくっつけて郁乃が問う。母親や貴明など愛佳と親しい人間からは、ほぼ絶望的な運動音痴だと聞かされているのだ。
 それに、今回採用する手毬唄は『あんたがたどこさ』だと聞かされている。"さ"の部分で足の下にボールを潜らせる、最もポピュラーな歌なのだが、ラストは足の間から後ろに潜らせ、背中に回した手でキャッチするという高度なもの。ここまでできる者は中々いない。ましてや姉にそんなことができるなどとは、郁乃には到底思えなかった。
 しかし、当の愛佳はといえば、
「あ〜、郁乃が疑ってる〜。大丈夫だよ、お姉ちゃんに任せて?」
 と、聞いているこちらが逆に不安になってくるほど自信満々である。
「これでも郁乃のお姉ちゃんなんだから。ボール遊びくらい、楽勝楽勝〜」
「はいはい。わかったわかった。じゃあ、とりあえずやって見せてよ」
「うん」
 郁乃に促され、愛佳が手毬唄の構えに入る。
「…………」
 …が、なかなか始めようとしない。それどころか、ボールをぎゅっと抱えて、ぶつぶつと呪文のように何事か呟いている。
「(大丈夫、大丈夫…、ちゃんと練習したもん。貴明くんに教えてもらったもん)」
 どうやら、自信たっぷりの姿勢は単なる虚勢だったらしい。男の子に手毬唄を教えてもらっているという時点ですでに絶望的だ。
「…お姉ちゃん?」
「えっ?」
「何やってんの?」
「な、なんでもない!」
 慌てて首を振る姉の様子にため息をつく妹。小声の呟き声は、実はしっかり郁乃の耳に届いていた。昔から目が悪い分、耳だけは敏感なのだ。
 期待できそうにない――この時点で、後に続く情景をほぼ予測してしまう郁乃である。
「やるなら早くやろうよ」
「わ、わかってるよ。じゃあ…行くよ? すーはーすーはー…」
 郁乃の言葉に応えて、深呼吸を一つ、二つ。そよぐ風に、緊張の呼気がこだました。
 やがて意を決したらしく、愛佳の表情が"きっ"と真剣なものになる。そして、おもむろにボールを地面に向かって落とすと、手毬唄を口ずさみ始めた。
「あんたがた、どこ…"さ"」

  ぺし

「ああっ!?」
 しかし、もったいぶった割には、最初の"さ"であっけなく足にボールを当ててしまった。寂しげに"てん、てん"と転がっていくボールが実に哀れを誘う。
「…………」
「…………」
「……お姉ちゃん……」
 さすがに1回目でしくじるとは思っておらず、郁乃の目が点になった。まさかここまでとは。
「い、今のは、練習だから! 素振り…、そう、素振りなのよ?」
「全然違うと思う」
 姉の言い訳に対し、極めて冷静に郁乃が答える。お姉ちゃんの様子はどう見ても本気だった、そう目で訴えている。
「う、ううー…。じゃ、じゃあ今度は本番ね?」
 だが、姉はといえばどこまでも『練習』で通したいらしい。しれっとそう言うと、転がっていったボールを拾ってきて、再び手毬唄の構えに入る。
「じゃあいくよ〜。あんたがた、どこ…"さ"」

  ぺし

「あうっ!?」
 いちいち状況を解説するのも無駄のような気がするが、とにかく郁乃が、あるいは多くの読者がそうなるだろうと予想した通りに、またも一回目の"さ"をクリアできずに、ボールは遠くに転がっていく。
「……お姉ちゃん……」
「え〜っと…。これは…。ギャグ?」
「いや、あたしに聞かれても」
「す、スカートが長くて…」
「いや、そんなに長くない。膝の上だし。むしろ少し短い」
 漂う感情がビジュアルとして視認できるとしたら、郁乃の目から放たれる小さな針が愛佳にちくちくと刺さっている様子が確認できただろう。
「うう〜…」
 その針から逃げるようにボールを拾いにいき、帰ってくると「今度こそ本番だから!」と、聞いているこっちが悲しくなるような宣言をする愛佳。もういい、やめておけ、と作者ですら言いたい。
 しかし、小動物系の容姿とは裏腹に、意外と負けず嫌いな愛佳である。またなにやらボールを抱えてぶつぶつと独り言を呟き始める。
「(イメトレイメトレ…。あんたがたどこ"さ"、ひご"さ"、ひごどこ"さ"、くまもと"さ"…)」
「何してるの?」
「練習」
「は?」
「あひ!? な、なんでもないよ?」
「あ、そう」
 もうすでに郁乃は成功を期待していない。期待するほうが酷だとすら考えているくらいだ。
 しかし愛佳の方は、先ほどまでよりさらに集中しているようすで、深呼吸しながら手の中のボールを見つめている。
「すーはーすーはー…」
 そして、一瞬"ぎゅ"と目を瞑ると、すぐに"かっ"と見開き、ボールを下に落として手毬唄を――
「あんたがた、ど…ああっ!」

  てん、てん…

 今度は"さ"にすら到達しない。3回目のバウンドをミスって、あらぬ方向にボールは転がっていく。
 この世には、"不可能"と言う単語がどうやら存在すると言うことか。
「……諦めたら?」
「れ、練習したのにぃ〜」
 思わず陰の努力を口にしてしまう愛佳。よほど悔しいらしい。
 しかし、そうは言っても練習と本番は違う。『失敗しても良い』と考えている練習は余分な力が入らない分スムーズに事が運ぶが、『失敗できない』と考えてしまう本番は、無意識の内に全身が固くなってしまうのだ。これを克服するには、それこそ絶え間ない練習の繰り返ししかないが、さすがの愛佳も手毬唄にそんな手間隙はかけていない。
 もともとの運動神経の悪さから考えても、ボール遊びは彼女にとって荷が重すぎたのだ。
「ううー…。こ、こんなはずじゃあ…」
 妹にいい格好を見せたくて屋上に誘ったのに、見せているのは無様な姿ばかりの姉。
 さすがに涙目になって、もうそろそろ泣き出しそうな雰囲気だ。
「…ふう…しょうがないな…」
 肩を落としてしょんぼりする姉の姿を見かねたのか、郁乃はため息をひとつつくと、転がったボールを拾ってくる。
 そして、ボールの弾力を確かめるように"きゅ、きゅ"と両手で挟むと、 「ちょっと借りるよ」と言って、ボールを構える。
「え? うん…。どうするの?」
「まぁいいから」
 おもむろに郁乃はボールを下に落とす。そして、跳ね返ってきたボールを捕らえて、また下に落とす。その繰り返し。
 意外に軽やかな手つきで、郁乃の手がボールをバウンドさせる。

  ぽん、ぽん…

「うん、具合はいいか」
 4〜5回続けると、郁乃はバウンドをやめ、ボールをキャッチして満足そうに頷く。その目には、先ほどの愛佳と同じ…いや、それ以上に自信に溢れた光があった。
「郁乃?」
「よく見てて」
 そう言ってボールを構える郁乃。
 次の瞬間――
「あんた方どこさ、肥後さ」
 手馴れた手つきでボールをつきながら郁乃は手毬唄を唄いだす。
 唄う口調に淀みはない。"ぽん、ぽん"と楽しげに上下するボールの軽快な音をパーカッションに、メロディは初夏の風に乗って屋上を舞う。
 先ほどの愛佳の手毬唄とは雲泥の差だ。"さ"の部分で足の下を潜らせる仕種も、昔からそう遊んでいたかのように、実に様になっている。
「え? ちょっと、郁乃? ええっ?」
「肥後どこさ、熊本さ、熊本どこさ、船場さ」
 驚く姉をおいて、手毬唄は続く。郁乃の様子に緊張している様子はない。それこそ『楽勝』を絵に描いたような表情で唄い続ける。
「船場山には狸がおってさ、それを猟師が鉄砲で撃ってさ、煮てさ、焼いてさ、食ってさ。それを木の葉で、ちょいとかぶせ……」
 ラスト――足の間から後ろに潜らせて、ボールを背中でキャッチ――
「おっと……」
 さすがにこれは失敗。後ろにボールを潜らせたは良いものの、角度を間違えて背中の方にこず、離れて転がっていってしまった。
 とはいえ、ここまでできれば上出来である。足の下を潜らせることのできなかった運動音痴さんに比べれば遥かに――
「うーん、最後はやっぱり難しかったかな」
 ちょっと舌を出しながら、転がっていったボールを拾ってくる郁乃。その様子を眺めている愛佳はといえば、まるで縄跳びするペンギンでも目撃したかのような表情である。
「…………」
「はい、お姉ちゃん。ボール」
「な…なんで?」
 信じられないものを見た、とばかりに愛佳がそう口にする。
「ん? 目の手術したあとにリハビリの一環でやったのよ。ボール遊び。動体視力を鍛えるためにね。その時に看護婦さんに教えてもらった」
 姉の問いに、しれっとして種明かしをする妹。手毬唄にかけては、郁乃のほうがずっとレベルが上だったのだ。
 それを言わずに隠していたのはもちろん、姉のドジっぷりを拝みたかったからに他ならない。
 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、 さらに姉の痛いところを突いていく。
「ていうかさ、病み上がりのあたしよりできないってどういうことよ」
「う」
「自信満々だったくせに、運動音痴なんだから…」
「…うう〜…」
「来週から一緒に学校に行くってのに、こんなんじゃ先が思いやられるなぁ。大丈夫なの?」
「う、うう…うぁああーん、うぁああーん 郁乃がいじめる〜〜!」
 妹の追及に、ついに声を上げて泣き出す愛佳。いや、これこそ"いいんちょ"の正しい姿と言うべきか。だっとその場から走り去ると、一目散に屋上の扉から逃げていった。
 後には、そんな姉の様子に声を立てて笑う郁乃一人。
「あはは、しょうがないな、もう…」

 そんな風に笑いながら、郁乃は遊びに誘ってくれた姉のことを想う。

 運動音痴で、世話が焼けて、小動物的で、途方もないドジ。
 そのくせ他人のことばっかり考えて、ちょこちょこと走り回ってはあたふたしてる。

「手毬唄…か。こんなことも、ロクに遊んでなかったのかしらね…」
 誰もができる手毬唄。難しいものではない。
 でも、できなかったのは、きっと――幼い頃、病床の自分にかかりっきりだったからなのだろう。
 まったく、過保護な姉ときたら、もう…

「ふふ……、ほーんと、世話の焼ける姉だこと」
 憎まれ口をひとつ、屋上を舞う風に乗せる。
 しかし、その言葉に棘はない。あるのは温かくて優しい音。
 郁乃はピンク色のボールにくすっと笑顔を映すと、姉を追って屋上を後にした。

 なぜなら彼女は、そんな姉のことが、世界でいちばん大好きなのだから。


 ―――――――――――おわり
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