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クリスマスに恋人と過ごすなんて、マスコミに踊らされたバカップルだけの勘違い。ホントは家族と過ごすべき静かな日であって、辺り構わずいちゃつくようなのは言語道断。
だから、二十四日に家でテレビゲームをやっていたって、なんにも恥ずかしいことはない。
女の子と言えばせいぜい隣の幼馴染みが遊びに来るくらいで、色っぽいことなんて皆無。それこそ男の生きる道――
なんて思っていた去年までの俺が、今の俺を見たら果たしてなんと言うだろうか?
「もうクリスマス一色ですね……」
毛糸のマフラーの上に白い息を漂わせながら、彼女が目を細める。
視線の先には、俺たちと同じように手を繋いだ学生カップルが、クリスマスセール真っ最中のファンシーショップに入っていくのが見えた。プレゼントでも買ってあげるのだろうか?
「そうだね。毎年恒例だけど、やっぱりライトアップされてると楽しい気分になってくるよ」
学校帰りの道すがら。さしかかった商店街は、ここぞとばかりに彩られたイルミネーションに煌めいて、街をきらきらと照らしていた。短くなった陽は早々に宵闇の気配を街に漂わせるが、赤や黄色に点滅する光のダンスは、そんな暗がりを幻想的にライトアップして、俺たちを暖かく包んでくれているかのようだ。
「今年のクリスマスは、ちょっと特別になりそう……かな」
そう言って、彼女――草壁優季さんは、繋いだ手にきゅっと力を込める。
「去年までと違って?」
「そうです。だって」
きゅ、きゅ、と毛糸の手袋越しに、彼女の温もりが伝わってくる。
お返しに、こちらもきゅ、きゅ。
「こんな素敵な人が、そばにいますから」
そう言って、ぽ、ぽ――、と、彼女の頬に淡く朱の彩り。艶やかな長い黒髪が心なしか嬉しそうに見えるのも、きっと俺の思い過ごしでは、ない。
本当に――
本当に、夢のようだと思わずにいられない。
交わされる手の温もりは、去年までの俺にはなかったもの。
並ぶ肩の儚さも、アンサンブルを刻む足音も、何もかもが未知の世界からのメッセージ。
まったく、去年までの俺が見たらなんと言うやら。
けしからん、と怒るだろうか。
それとも、呆然とうらやむだろうか。
いずれにせよ、平常心ではいられないに違いない。
何しろ俺だって、こんな可愛い子が並んで歩いていることが、たまに信じられなくなるんだから。
「ちょ、ちょっと褒めすぎじゃない?」
『素敵な人』発言にはさすがに照れくさくなって、俺は笑いながら頭を掻く。自慢じゃないが、そんなにいい男じゃないぞ、俺。
「そんなことありませんよ」
「いや、でもなぁ……」
「だって私にとって――、貴明さんは特別な人、ですから」
一つ一つ。まるでその言葉が大切な宝物であるかのように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
おかげで照れくささも倍増だ。
「だから、こうして歩いているだけでも、私にとっては幸せなひとときです。それとも――」
じ、っと草壁さんが真顔になって俺の目を見つめる。
「貴明さんは、私と一緒にいても楽しくありませんか?」
う……
それはずるい。いや、別にヘンなことを聞かれているわけじゃないから、ずるいずるくないの話ではないんだけど。
しかし、わざとだとは判っていても、くりくりと黒目がちの瞳に浮かべられた不安そうな陰に抵抗できるはずもない。
「そ、そんなことないよ」
「じゃあ、楽しいですか?」
「楽しいよ?」
「幸せですか?」
「もちろん!」
「なら――」
きゅ、きゅきゅ、きゅ。
「二人一緒なら、もっと幸せですね」
不安な陰から一転、ぱぁっと明るくなった笑顔に、クリスマスイルミネーションが舞い踊る。
いやはや、なんというか、こういうことを本当に自然に言えるところが、草壁さんの凄いところだと思う。
他人が言ったら、何をクサいことをと笑うだろう。
でも、彼女が口にすると、どういうわけか素直に心に染み入る自分がいる。なぜだろうか?
「そうだね……」
でも、照れくさいことには変わらない。
というか、恥ずい。何とはなしにそっぽを向いてしまう俺。
仕方ないだろ、褒められることになれてないんだから。
『う……』
あー、なんかもう、顔が熱い。熱いな。
赤くなっているだろうことが自分でも丸分かりだ。
繋いだ手も、肩に触れる温もりも、全部がもうなんか特別すぎて現実味がない。
――あ、なんかくすくす笑いが聞こえてくるし。
わかっててやってるだろこの人。デコピンしてやろうかな。
「ふふ。怒っちゃダメです。神様が見ていますよ」
……ちぇ、お見通しか。
尻に敷かれるタイプなんだろうな、俺。
「あー、まぁ、それよりさ」
とりあえず、なんとか話題を変えなければいけない。
このままだと、火照って茹だって頭から湯気が出そうだ。
「クリスマスは平日だよね」
「そうですね。えっと、水曜日でしたっけ」
「終業式でもないし、普通に学校あるな……。放課後どうしようか?」
これが休日なら、二人で遊園地にでも遊びに行くところだが、あいにく十五時までみっちり授業である。クラブ活動はサボるとしても陽の短い冬のこと。あまり女の子を遅くまで連れ歩くわけにもいかないし、遊ぶ時間は限られそうだ。
「特別なことはしなくても、こうして一緒に帰ってもらえれば嬉しいです」
「いや、それは……。せっかく、その、付き合ってるんだし。クリスマスくらい、特別なことしてあげたい」
――ああ、なるほど。それでクリスマスはカップルがそわそわしているんだな。納得した。
「そうですね……。じゃあ、逆に貴明さんは、何かして欲しいことはありますか?」
「え、俺?」
いきなり振られてきょとんとする。なんで俺?
「はい。特別なこと」
「いや、そんな気を遣わなくても。ほら、俺は草壁さんがそばにいてくれるだけで満足だから……」
「あら、気が合いますね。私もそうなんです」
「え、あ……、そう?」
「相性がよいのでしょうか……。嬉しいです」
「そ、そうかな」
「ええ。じゃあ、クリスマスも一緒に帰りましょうね」
「そりゃもちろん」
そんなことで良いならお安いご用だ。
相変わらずというか、草壁さんは控えめ――
………………あれ?
いや違う、と気付くまでに七秒半。
何やってんだ俺。思いっきりミスリードされてるじゃん
「気負わずに、いつもの二人でいいんです。そばにいてくれるだけで、私には誰よりも特別なクリスマスですから」
そう言って淡く笑う草壁さんの顔が、イルミネーションに照らされる。
思わずそのままうんうんと頷いてしまいそうになるほど可愛いかった。
……が、気力を振り絞って首を固定し、「いや、でもね?」と俺は抵抗する。
「やっぱりクリスマスだし、年に一回だし。クリスマスらしいことのひとつくらいはしたいよ」
ここでくじけてなるものか。絶対に、何かひとつでもいいから、草壁さんを喜ばせてやる。
いちおうクリスマスプレゼントは用意してあるが、それだけではあまりにも平凡だ。
「クリスマスらしいこと、ですか?」
「そう。ケーキとか、サンタクロースとか、トナカイとか」
トナカイとかってなんだ。何をするんだ俺。
我ながら貧困な発想だが、いまさら悩んでも致し方ない。
「そうですね……」
必死な様子の俺に、あまりかわしていても引かなさそうだと判断したのか、草壁さんが口元に手を当てて思案しだした。
「あ……、そうだ」
「なにか思い浮かんだ?」
「キャンドルサービス……」
ぽつり、と草壁さんが発した単語は予想外のもの。
「キャンドルサービス?」
教会のミサでやるあれか。蝋燭を灯すやつ。
そういえば、街外れにぽつんとひとつ、古びた教会があったことを思い出す。
「クリスマスにやるんだ?」
「ええ。とはいっても、クリスマスミサ自体は、その前の日曜日に行われると思いますけど」
「そうなの? なんでクリスマスにやらないの?」
「平日だと来られない人もいるから……ということらしいです。でも、キャンドルサービスだけなら二十四日の夜のはずですよ」
「へぇ……」
「前からいちど参加してみたいなと思っていたんです。でも、なかなか機会がなくて」
「でも、草壁さんクリスチャンだっけ? というか俺が無信心なんだけど、大丈夫なのかな」
「特別クリスチャンではなくても、参加はできますよ。もちろん、洗礼を受けているに越したことはないのでしょうけれど」
ふーん、そうなのか。
キリスト教とは、それこそクリスマスケーキくらいしか縁がない。キャンドルサービスも具体的に何をどうするのか知らないくらいだ。
でも――
『クリスマスの夜に、キャンドルライトか……』
なんとなく、蝋燭の小さな明かりに照らされた草壁さんの笑顔が思い浮かぶ。
瞳の中に、小さな光が揺らめいて――
………………
…………
……うん、悪くない。というか、良い。良すぎるくらいに。
「貴明さんさえ良かったら……、その、ご一緒してもらえますか?」
「もちろん! そのくらいで良かったら、いつだって」
瞬間、草壁さんが嬉しそうに目を細める。
口元をほころばせ、本当に楽しそうに。
「ホントですか? ありがとう、貴明さん」
色褪せた景色ばかりの去年までと違い、今年のクリスマスはパステルカラー。
断る理由なんか何もない。俺の方が、いまから心躍ってくるかのようだ。
「やっぱり、優しいです……」
そう言って、草壁さんが俺の肩にそっと顔を寄せる。
きゅ、きゅ。と、手袋の温もりも一緒に。
『あれ? でも――』
ふ、と心に引っかかる。
誰が、誰を、誘ったんだっけ?
予定を決めてくれたのは、俺ではなくて草壁さん。
でも、クリスマスの予定を迫ったのは、そう、草壁さんではなく俺の方。
草壁さんは、俺の求めに応じてくれただけ。
優しいのは、きっと俺ではなくて――
きゅ、きゅ
だから、
せめて繋いだ手に温もりを。
きゅ
きゅ、きゅ
そっと柔らかく、でも確かな手応えで、
俺は彼女の手を握る。
きゅ、きゅ
きゅ、きゅ
「………うふふ」
細められた穏やかな目。
意図を察しているのかどうなのか。
でも――
きっと、隣にいるこの人は、世界中の誰より優しい人。
せめてクリスマスは、たくさん喜ばせてあげよう。
そう、心に誓った。
――――――ここから先は、「キャンドルライトに口づけを」本誌にてどうぞ
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