試着室はご使用中! 〜ある日の風景 玲於奈〜
第三回葉鍵板最萌トーナメント出展作品
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 デートに着ていく服がない! というのはたいがい女の子の悩みだと思っていた。
 いざ自分がその問題に直面するまでは。
 時はすっかり葉桜の季節。デートは明日、約束したのは昨日。
 そしてお相手は完璧超人と名高い向坂環であり、自分はヘタレキング略してヘッキーと呼ばれて久しい俺こと河野貴明である。
 去年までは、こんなことで悩んだりしなかった。だいたい、悩む相手がいなかった。
 遊びに行くのは雄二かこのみくらいだったし、あいつら相手にいちいち服を悩んだりする必要はなかった。テキトーにそこら辺の引き出しから引っ張ってきた季節ものを乱雑に合わせてコーディネイト。起きてからおおよそ20分で家を出発できた。
 だが、今年は……、正確には1ヶ月ほど前からだが、そういうわけにはいかなくなった。
 いや、実際には今まで通りでも構わないのだ。向坂環――タマ姉は、身だしなみには口うるさいが、服装の流行に目くじらを立てるような人物ではない。
 ただ、それは流行に疎いわけでは全くなく、通常の女性であれば「何あれダサい」となるところが、タマ姉の場合は「着せ替え人形発見!」となるだけに過ぎない。
 そして、お人形判定されてしまったが最後、その日一日は彼女のおもちゃになること必至。たちどころにブティックに連行され、タマ姉の気が済むまで試着室を出ることは許されない。
 加えて、男物を選んでくれるだけならともかく、折に触れて女装させようと躍起になるからたまらない。何が面白いのかまるで不明だが、ミニスカートやらワンピースやらニーソックスやら、果てはランジェリーまで揃えようとするという有様。
 百歩譲って子供の頃ならまだわかる。女装してても、子供がふざけていると思われるだけか、ややもすれば「あら可愛いわねー」と言ってもらえることだろう。
 しかし、こちらは仮にも男子高校生なのだ。多少童顔であることは認めるにせよ、女物の服を着て歩いていたら、間違いなく後ろ指をさされてしまう。噂が人伝いに学校まで伝播したら、引きこもりの道も真剣に考えざるを得ない。
 というわけで、タマ姉の着せ替え魂を刺激しない程度のファッションセンスは、なんとしても維持しないといけないのだ。神経がすり減ることこの上ない。
 クラスメイトからは折に触れて「あんな美人と付き合いやがって!」なんて言われるが、当人にしてみれば、良いことばかりじゃねーよ!と文句のひとつも言いたくなるってもんだ。
 ――とはいえ、文句ばかり言っていても仕方ないから、デート前日の土曜日を利用して商店街にやってきたというのが、今この場にいる理由なのである。

 そこまでは、まぁ、理由は明白で疑問に思うところはない。
 ただひとつ、いつもと違っていたのは……

「まったく、どうしてあなたとショッピングしなければいけませんの!」

 きいきいと甲高い声が、俺のすぐ横から聞こえてくる。
「たまの休日だというのに、下々の者に付き合って買い物だなんて、信じられませんわ」
 枝毛の一本も見あたらないサラサラの赤毛をボブカットに、強気な瞳も颯爽と歩みを進める女の子。
 タマ姉の九条院時代からの後輩、玲於奈嬢その人だ。
「いや……、俺そんなこと全然頼んでない……」
「何か言いまして?」
 ぎろ、と睨まれる。正直、怖い。
「……なんでもありません」
 なぜこんなことになっているのか自分でも判らない。ただ商店街の入り口あたりでばったり会ったというだけだ。こちらからは何もアプローチした覚えはない。
 それなのに、開口一番「あら、庶民の分際で商店街になんのご用かしら?」と来たもんだ。庶民だから商店街を利用するんだが、反論すると面倒なことになるのは明白なので『いや、服を買いにね』とだけ俺は答えた。
『服? なんの服ですの?』
『ああ、うん、まぁ、余所行きのね』
『……なるほど、お姉様とデートですか』
『え、えっと……』
『いいご身分ね。それは何かしら、お姉様に振られた私への当てつけかしら?』
『そ、そんなことはないよ。だいたい俺は……』
『よろしい。私が見繕ってあげます。感謝しなさい』
『え! いや、それはちょっと……』
『何をしているの、早く行きますわよ』
『ちょ、ちょっと待って、俺は別に……!』
 そうして今に至る。
 とりあえず回想してみたが、なぜこうなったのかやっぱり判らない。
 だいたい、俺が強引に引きずられているのに、「どうしてあなたとショッピングしなければいけませんの」と言われることからして既に理不尽だ。俺、なんにも悪いことしてないよね?
 だが、横を歩く玲於奈女史はそんな俺の苦悩などいざ知らず、どこか目的地でもあるのか、ずんずんと足取りも速く歩いて行ってしまう。
 まったく、こういう強引な女の子が俺の周りには多すぎるような気がする。
 ぱっと思いつくだけでも、まーりゃん先輩に、春夏さんに、そしてタマ姉。
 ああ、そういえば、彼女はタマ姉の血縁だったっけ。確か分家筋がどうとか言ってたな。全方位に強気なところは、向坂の遺伝子か。
 そんなことを考えながら、俺は前を行く玲於奈さんの後ろ姿を見る。
 春らしいライトブルーのカーディガンに、ベージュのフレアスカート。耳にはさりげないシルバーのイヤリングが揺れていて、足元は品の良いブラウンのパンプス。
 今は後ろからだから見えないが、正面に回れば、自信に満ちたまっすぐな瞳が、綺麗な睫毛に飾られている様子に目を奪われるだろう。
 そういう容姿だけ見れば、それこそ箱入りのお嬢様と言うに相応しい。だからこそ、あの傍若無人さが惜しくてならない。
 タマ姉に似ずおしとやかに育っていれば、そこらのイケメンの十人や二十人、流し目ひとつで陥落できたろうに。
 もっとも、彼女にとって、タマ姉以外の人物などカボチャのようなものだろうが。
 ――と、益体もなくそんなことを思っていると、やがて目的地にたどり着いたらしく、玲於奈嬢は商店街の一角にあったブティックに入って行ってしまった。
「え、ここ……?」
 見ると、この店だけ明らかに他と雰囲気が違う。何やら高級そうな、自分とは無縁の――
「早く来なさい! まったく、もっとキビキビ動けませんの!?」
「わ、わかったよ……」
 仕方ない。ここはどうやら腹をきめて付き合う他なさそうだ。
 やれやれと首を振りながら、俺は彼女の後を追ってその店のドアをくぐった。

「いらっしゃいませー」

 からんからんとカウベルの音と共に、やけに完璧な笑顔を浮かべてお辞儀する店員がお出迎え。
 制服を着た、清潔そうなお姉さんだった。そこら辺の、いわゆる『服屋』にいる私服の店員とはまるで違う。
「……あの、ちょっとここ高そうなんだけど」
 外装もそうだったが、店内を見渡してみても、いつも行くようなところとはまるで雰囲気が違う。
 贅沢に取ったスペースの中、歩きやすく配置された棚に平面でディスプレイされた服。とりどりの色はどう見ても高級な生地で織られたもので、展示された服の間から品の良い香りが漂ってきている。
 客層にしても、この街のどこに生息していたんだろうというような、育ちの良さそうな人たちばかりだ。明らかに、俺、場違い。
「何を弱気な。少しくらい価格が高くても、それで良い物が買えるなら問題ないでしょう」
「いや、でも……」
 少しくらいか? 本当に少しくらいなのか、この店は?
「それに、私だって鬼ではありませんわ。ちゃんと、あなたの懐事情は考慮してお店を選んでいます。大船に乗った気でいなさい」
「はぁ」
 ホントかよ。信じて良いのか?
 だが、玲於奈さんはそんな俺の煩悶も知らんぷり。慣れた足取りで店内を歩きながら、あれこれと服を物色している。
 彼女の方はよくこの店を利用しているのだろう。たぶん、いつも一緒にいる友達と三人で。いま着ている服も、ひょっとしたらこの店で買ったものなのかも。
「そういえば、今日はお友達は? いつも一緒にいるのに」
「薫子とカスミは、親御さんが会いに来ていらっしゃいますわ。二人とも、家族水入らずで過ごしているでしょう」
「ああ、なるほど。家が遠いのか。……君のお父さんとお母さんは?」
「仕事です」
 一言だった。
「ふーん。寂しくは……」
 ギロッ
「ないみたいだね、うん」
 睨まなくてもいいじゃないかよぅ。
「つまらないことを言ってないで、これを着なさい。あとこれも。試着室はあそこですわ」
 そう言って、彼女は俺の手に、いつの間にか選んでいたらしい服を手渡した。トップスもボトムズも両方とも揃っている。手際の良いことだ。
「あ、うん……」
 どんな服を渡されたのかは気になるが、ここで揉めていても時間がもったいない。仕方なしに、俺は彼女が指さす方にあった試着室にとぼとぼと入っていき、のろのろと渡された服に着替え始める。
 それと同時に、カーテンの向こうから、先ほどの店員と思しき声が聞こえてきた。
『こんにちは、玲於奈様』
『あら、ごきげんよう』
『いつもごひいきにありがとうございます。今日はデートでございますか?』
『まさか。あんな男とデートするくらいなら出家しますわ』
 ……もう泣いちゃおうかな、俺。

 そして数分後――

「着たけど……」
「ぷっ!」
 カーテンを開けた瞬間、玲於奈嬢が思いきり吹き出したのが見えた。
 ああ、そりゃそうだろうよ。
「……あのさ」
「あーっははは、あはははははは、なんですのそれは!」
 憮然とした俺を指さして、大声で笑い出す始末。
 こちらの格好はと言うと、白い開襟シャツにサスペンダー付きの吊りズボン。ボトムズの柄は、やけにモダンなマドラスチェックだ。
 いったいどこの古典邦画から飛び出してきたんですかと言わんばかりのコーディネイト。この店にこんな服があったということがそもそも驚きだ。
「今どき昭和テイストのプレイボーイ気取りですの!? あーおかしい!」
「いや、ちょっと待ってよ、これ君が選んだんだよね!?」
「あら、なんのことかしら」
「なんのことかしらって……」
 ケロリとしてそんなことを言う玲於奈さん。思わず頭を抱えた。
「ああ、ところであなたが着替えている間、他の服を見繕ってあげましたわ。今度はこれに着替えなさい」
 どうやら攻撃はまだまだ開始されたばかりらしい。あっけらかんとそんなことを言って、新しい服を手渡してきた。今度は小物が多いらしいが……。
「いやあの、気持ちは有難いんだけど、一人で選びたい――」
「何か言いまして?」
 ギロッ
「いえ……、着させていただきます」
「よろしい」
 ああ、ノーと言える日本人になりたい。
 そうしてまた数分後――
「ぷっ!」
「あのさ……」
「あはははははは!! あーっはははははははは!!」
 ケミカルウォッシュのジーンズに、白いプリントTシャツ。妙に派手なバックルのベルトにウォーキングシューズ。そして自己主張の激しいバックパック……というか、リュック。
 本当にこの店にあったのか、これは!?
「今度はなんですの!? いわゆる秋葉原スタイルというものでしょうか! ポスターの筒があれば最高だったのに! あなた、いつからオタクという人種になったんです?」
「だから……、これ、君が選んだんだよね?」
「なんのことかしら」
 再び頭を抱えた。どうやらこの子、タマ姉以上の危険人物だ。少なくとも俺に対しては。
「ところであなたが着替えている間……」
「わかったわかったよ! 他に見繕ってきたんだね!? そして俺はそれを着れば良いんだね!?」
「よろしい。ああ、あともう少し小さい声で喋ることを覚えた方が良いですわ。あなたの声、耳に障りますの」
「…………もう帰りたい」
 俺が何をしたって言うんだ……。
 その後、文字通り着せ替え人形と化した俺は、ひたすらあれやこれや着せ替え続けられた。もちろん、ただの一着もまともなコーディネイトはない。
 ある時は白の上下にピンクのベスト、ある時は燕尾服のタキシードにシルクハット、またある時は薄茶の綿パンにカッターシャツに砂色のトレンチコート。果てはインバネスコートやら鹿撃ち帽やら、およそ一般的でない服のオンパレード。
 なんでそんな服が置いてあるのか皆目わからない。この店はコスプレイヤー御用達か!?

 そうして、2時間後――

「まぁこのくらいかしら」
 ひとしきり笑ったところで、ようやく彼女も飽きてきたらしい。投げやりな調子で「もういいですわ」と、試着室から出るのを許してくれる。うう、なんだこの疲労感……。
「そこそこ楽しめましたわ。鬱憤晴らしくらいにはなったかしら」
「それはそれは……」
 鬱憤晴らしかよチクショウ。
 マジで俺が何をしたって言うんだ。タマ姉の件については、別に俺がいたから彼女たちの恋が実らなかったわけじゃないぞ、多分。
「では、私はこれで、ごきげんよう」
 そう言い残して、店の出入り口に向かう玲於奈さん。やれやれ、ようやく解放か。さて、今からどこに行くかな……。
 だが、彼女は少し歩くとすぐにきびすを返し、こちらに戻ってきた。
「ひとつ忘れていましたわ」
「え、なに?」
「はい、これ」
 手渡されたのは、小さく折りたたまれた一切れの紙だった。女の子が授業中に手紙を回す時に見かける折り方の。
「……これは?」
「さあ。開けてみれば判るんじゃないかしら? では改めて、ごきげんよう」
「あ、ちょっと……」
 待って、と言おうとした時には、もう店のカウベルが鳴った後。ショーウィンドウの向こうに、とことこと歩いていく彼女の姿が見えた。やれやれ、忙しいことだ。
 仕方なしに、俺は渡された折り紙をほどいて、中を改める。
 そこには……

  A-3の棚、左から二番目の列のボーダー柄シャツ。
  D-2の棚、一番右のスラックス。裾直し必須。色は――

「あ……」
 数行にわたって書かれている、玲於奈さんからの指示。
「……まさか、な」
 その意味するところが即座に思い浮かぶ。
 が、しかし、信じていいものだろうか? さっきまでずっと、俺はあの子にからかわれっぱなしだったのに。
 でも、その指示書を無視することはなんとなくためらわれた。理由はないが、ちゃんと確認すべきだと思ったのだ。
 だから、俺は急いで書かれていた場所を回り、指定のものを集めて試着室に入った。
 そうして、ボタンを外すのももどかしく集めてきた服に着替え、試着室の中の鏡をのぞき込む。
 そこにいたのは――

「……驚いた」

 爽やかっぽいホワイトジャケットに、ボーダー柄のシャツ。トップスだけだと軽すぎるところを、ボトムスに黒のスラックスを置いて落ち着かせたコーディネイトだった。
 先ほどの着せ替えとも、あるいは今日着ていた服の自分とも、まるで違った印象。
 うぬぼれとは縁遠いと自負しているが、それでも、いつもよりずっと格好良く見える自分が、鏡の中に映っていた。いくつか持っているアクセサリーを組み合わせれば、より見栄えが良くなるだろう。

『お姉様に恥をかかせないこと!』

 紙に書かれた最後の行にはそう書いてあった。
「なるほど……。確かにこの服なら、俺でもちょっとは良く見えるか」
 そう言って、少しだけ苦笑する。服装ひとつで、ずいぶんと違うものだ。
 女の子がやたら化粧やらファッションやらに血道を上げる気持ちも判る気がする。
「着替えている間に……か」
 さっきまでのことを思い出す。
 試着室の中からでは判らなかったが、きっと表では店の中を駆け回って選んでくれていたのだろう。あの少しの間を縫って、俺をからかいながら、それでもちゃんと。
 そう思うと、止めようもなく顔がニヤけてくる。
 口調はキツいけど、案外良い子じゃないか。そんなところもタマ姉に似てる。
「で……、気になるお値段は?」
 服に付いていたタグを調べる。これがこの金額で、あれが…
「総額、29,800円なり……か」
 改めて、自分の財布の中を見る。万札が三枚。ぎりぎり買える額だ。
「なんともはや……」
 いったい、彼女は俺の財布の中身をどうして知り得たのだろう?
 思わず、笑いがこぼれた。負けたな、と思ったのだ。
 でも悪い気分ではない。それどころか、表に広がる五月晴れのように爽やかな気分だ。
「脱帽だ」
 向坂の分家、か。あの家系には生涯勝てそうもない。
 俺は一人くすくすと笑うと、元の服に着替える。
 そうして、見繕ってもらった服を手に、相変わらず完璧な笑顔を浮かべている店員の元へと歩いていった。



 ――――――――――――――終わり

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