ぎぶ・みー・すまいる
act.2
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 まーりゃん先輩が失踪したと聞いたのは、それから2日後のことだった。
「一昨日から姿が見えなくて……」
 昼休みの生徒会室。相変わらず偏頭痛に悩まされているのか、指を額に当ててふるふると首を振りながら久寿川先輩がため息をついていた。机の上には見慣れたブロック食品が手つかずのまま並べられている。パックジュースのストローも、箱の背中にくっついたまんまだ。
 それにしても何か? 一昨日ってことは前回の予算会議直後からいないのか。そういえばこの二日間、やけに静かだったような気もする。
「河野さん、何か知りませんか?」
「いや、俺も特には……」
 久寿川先輩が知らないのに、俺が知っているはずがない。
 そもそも、あの人について自分が何を知っているのか、未だに全容を把握できないくらいだ。もっとも、その点については久寿川先輩も似たようなものだろうけれど。
「まぁでもまーりゃん先輩のことだし、放っておけば戻ってくるんじゃないですか。おなかすいたーとか言って」
「無事に、ですか?」
「少なくとも本人は」
「…………」
「……そんな目で見ないでください」
 そりゃ俺だって、オール無事で済むなんて思ってない。
 つーか、本人はともかく周囲は100%確実にアオリを食うだろう。どこで何をやっているのか知らないが、ロクな事じゃないのは目に見えてる。
「ロクな事じゃない……か」
 そう考えると、にわかに不安になってきた。
 いつぞやみたいに、朝登校したら学校が占拠されていたなんてことにならなきゃ良いけど。ただでさえ予算がキツイ上に、これ以上現金に羽根が生えたら立ち行かないどころの話じゃない。どうにかして未然に防げないものだろうか。
 ……例えばそうだな、まーりゃん先輩が好きそうな物をバラ撒いておいて、その先にねずみ取りでも仕掛けておくとか?
 単純そうで複雑で、その実単純なまーりゃん先輩のことだから、案外これでいけるかもしれない。ねずみ取りに指を挟まれて泣いているまーりゃん先輩の姿は、驚くほど想像しやすいし。
 そうだな。考えててもどうせ確実な手段何かあるはずがない。それよりは、可能性のある芽を思いつく端から潰していく方が確実だろう。うん。手の込んだことをやっていると間に合わないかもしれないし、できれば今日明日中には用意したいところだ。
 問題はどんな撒き餌を用意するかだが、彼女の好きそうなものっていうとなんだろう。
 思いつく筆頭で言えば久寿川先輩だろうが、これは撒くに撒けない。一人しかいないし。そういう意味では、菜々子ちゃんなんかも同じだな。この2人は切り札なんだけどなぁ……
 ――あ、そうか、2人いっぺんに用意すればいいのか? ついでにこのみにも協力を仰げば3人か。足りなければ郁乃ちゃんにも頼み込んでみるか。嫌がったら愛佳に相談すれば何とかなるだろう。
 彼女たちに水着でも着せて待機させておけばとりあえずはなんとか……
 ……いや、それより水着姿の写真を撮っておいた方が数が稼げるな。ポーズを変えて50種類くらい作っておけば、コレクター魂をくすぐるかもしれない。
 ついでに当たりクジも用意すれば完璧だな。一等賞は、直筆サイン入りポラロイド? いや、キスマークかな。こういうのは雄二が詳しそうだから聞いてみるか。
 水着の種類はビキニとワンピースと……、スクール水着も用意するべきだな。紺と白と両方。あとブルマーもほしいな。これは有りものを使えばいいか。
「先輩、もう水着って売ってましたっけ」
「え?」
 俺の言葉にきょとんとする久寿川先輩。
 なんだろう、別にヘンなことは言ってないと思うんだが。
「えっと、水着ですか?」
「それからねずみ取り。カメラと、あとお腹を空かせているかもしれないから、おやつを300円分くらい。このみと菜々子ちゃんと郁乃ちゃんには、俺から言っておきます」
「え?え?」
「あ、それと、体操服一式も忘れずに用意してください。特にブルマーは必須です」
「ブ、ブルマー、ですか? それにねずみ取り? あの、河野さん、いったい……」
「こういうのは治療より予防が大事なんです! 早くしないと撮影の時間が取れません! 先輩急いで!」
「は、はい! ……え?え?」
 くそっ、放課後まで時間がないな。計画的に動かなくては。
「その、えっと、水着と……?」
「ねずみ取りと菜々子ちゃんとカメラとこのみとおやつと郁乃ちゃんとブルマーです! 急いで! ポラロイドカメラは写真部から借りればいいとして、他のものはいまから購買部に行って買ってきましょう! これでまーりゃん先輩を捕獲――」



「超どりるまーりゃんキィーーーーーーック!!!」



  どぐぉっっっ!!!!!!!



「ぐぇあ!」
 聞き覚えのある大声が響いたと同時に、後頭部に飛び散る火花。
「ゲッチュ!」
「されてませんよ! 死ぬかと思ったじゃないですか!」
 ぐぁんぐぁんと鳴る頭を押さえて振り向くと、窓際に仁王立ちになった少女が一人。噂をすれば陰のまーりゃん先輩だった。
「ちっ。まだ生きていやがるか」
 マジで殺すつもりだったのかよこの人は。
「どうでもいいけどタカりゃんよー、ねずみ取りでどうこうしようって、普段からどんな目で見てやがるんだ。どこの齧歯類だよあたしは」
「普段から自分は小動物のようだと言ってませんでしたっけ」
「『小動物のように可愛い』って意味だろそりゃ! ていうか、ねずみ取りって痛いんだぞ!? 挟まれるとマジ泣くぞ!? あんなの二度とゴメンだ!」
「一度目があったんですか」
「子供の頃ママンにやられた」
「ちなみに餌は?」
「チーズ。穴空いてるヤツ」
 齧歯類だ。齧歯類だよこの人。
「そ、それより!」
 不毛なやり取りを遮って、久寿川先輩がまーりゃん先輩に駆け寄る。
「どこに行ってたんですか。それも、こんなに汚れて……」
 そう言って、スカートのポッケからハンカチを取り出し、まーりゃん先輩の顔をごしごしと擦る。
 言われてみれば、顔と言わず髪と言わず制服と言わず、そこかしこにドロだの草だのがこびりついていた。普段からお世辞にもゴージャスとは言い難い見栄えだが、今日はいつにも増して貧相である。
「誰が貧相だこの野郎!」
「なっ。地の文を読まないでくださいよ!」
「いいんだよ、あたしはメタキャラなんだから」
 メタキャラっておいおい。
「もう、二人とも喧嘩しないで。まーりゃん先輩も、じっとしていてください」
「おおぅ、さーりゃんは優しいなぁ」
「それで、今回はどこで遊んできたんです?」
「ふっふっふー、よくぞ聞いてくれました。あの日旅立ってから苦節三十年! ついに目的のブツを見つけてきたのですよ」
 三十年って、あんたもう三十路以上なのか。
「ちっ、違う! あたしは永遠の十四歳だ!」
「地の文を読まないでください!」
 疲れる……。
「まー、ぶっちゃけ二日ほど山に行ってただけなんだけどな」
「山? どこの?」
「裏山だよ。神社の」
「近所じゃないですか」
「そうだよ。なんだおいおい、富士の樹海とか期待されちゃってたのか? 落し物持って帰ってきちゃうぞ、樹海の」
「やめてください」
 それは洒落にならない。
 というか、そんな歩いてすぐの距離の裏山に行っただけで、二日も行方不明にならないでほしい。いったい何を探しに行ってたんだ?
「ふふふ、いいものだよタカりゃん、い・い・も・の」
 だから地の文を……、いや、もういい。
 心の折れた俺をふふんと見やると、まーりゃん先輩は持っていたカバンの中から、こげ茶色の何かを取り出した。
「じゃじゃーん! これがそのブツだ! ひれ伏すがいい愚民どもよ!」
 ぱんぱかぱーん、というファンファーレが聞こえてきそうな勢いで、まーりゃん先輩はそれを俺たちの前に差し出した。
「……? なんだこれ」
 こげ茶色の、少し太い感じで、傘が張って……?
 なんだ? キノコか?
 でも、どこかで見たような気が……
「あっ、これ……」
 と、久寿川先輩が驚きの声を上げる。
「松茸ですか?」
「あ、そういえば……!」
 そうだ! この形! 見覚えがあると思ったら松茸じゃないか!
 こんな高級品をなぜこんな貧相な学生が!?
「だから貧相って言うんじゃねえ!」
「だから地の文を読まないでください! そんなことより、こんなものいったいどこで採ってきたんですか!?」
 さすがに驚いて、まーりゃん先輩に詰め寄る。
 松茸なんてそこら辺に生えているものじゃないぞ?
「どこって、聞いてなかったのか? 裏山だよ。ほらほらぁ、たくさんあるぞぉ。篭の中に一本、二本……」
 いったいどこから取り出したのか、小さな竹かごに茶色のキノコがどっさり入っていた。数えてみると、13本もある。
「う、うそだっ! あんなところで採れるなんて聞いたことないですよ! しかもこんなにたくさん!」
「じゃあ何が採れるんだよ?」
「……格闘少女?」
 脳裏に、かつて在籍していたという学生格闘チャンピオンの勇姿が思い浮かぶ。曰く、裏山の神社でサンドバックを蹴ることから始まったという、赤きブルマー伝説――
「いや、そうじゃなくて!」
「まー、素人にはムリだと思うけどな? あたしみたいなエキスパートだと、どこの山でだって見つけられるんさ」
「エキスパート?」
「ま、今回はちょーっとばかし手こずったけどなっ」
 マジか……
 いや、いやいやいや、にわかには信じられない。だって、もし松茸が採集できるような山なら、今の今まで発見されないなんてありえるか? そんなに大きな山じゃないぞ?
 素人とかエキスパートとか関係なく、誰かがぜったいに見つけて、松茸狩りの事務所なりなんなりできているはずだ。タマ姉やこのみん家の春夏さんだって黙っちゃいないだろう。それこそ、今頃ゲンジ丸でもつれて、カゴいっぱいに松茸を狩っている……
 ……って、あれ?
 今頃、って……
「あの、まーりゃん先輩」
 偏頭痛がひどくなったのか、こめかみに指をぐりぐりしながら久寿川先輩がまーりゃん先輩に声をかける。どうやら先輩も気づいたらしい。
「まだ松茸の時期ではないはずですが……」
「え、そう?」
「松茸は秋です。もし本当に採れるとすれば、この辺りなら九月下旬から十月といったところでしょうか」
 そして、今はまだ桜の葉が青々と伸びている五月の陽気。
 日本中のどこに行っても、松茸なんか採れそうにない。
「まー、細かいことは気にするない」
「気にしますよ! どこで入手したんですかこれ!」
「タカりゃん」
 がしっと俺の肩をつかむ先輩。
「世の中には、知らなくていいことというものがあるんだよ」
 盗んできた! これぜったい盗んできたんだよ! 冷凍保存のやつとか!
「失礼な! 生えてたのを採ってきただけだ! 盗んでない!」
「じゃあ研究所栽培のやつとかですか!? いずれにせよ、返してきてくださいよ!」
「やだいやだい! タカりゃんたちと一緒に食べるんだい!」
 そう言って、うわーんと泣き出すまーりゃん先輩。
「……ちらっ」
 そして指の間からこちらをのぞき見てるし。うそ泣きにもほどがある!
「わがまま言わないでください! 人から物を盗んじゃいけないって、お母さんに教わらなかったんですか!?」
「ママンなら、『女は奪ってナンボ』っていつも」
「それは意味が違います!」
「だいたい!」
 と、何やらびしぃっ!と人差し指を突きつけられる。
「あたしがこれを『盗んできた』って証拠がどこにあるんだよ!」
「そ、それはだから、こんなものそこらに生えてるものじゃないし……」
「ちゃんと買ってきたかもしれないだろぉ!」
 ありえない、それは。
 いや、もちろん『盗んだ』という物的証拠はない。
 ないが、いや、でもなぁ。
 まーりゃん先輩だぜ?
 しかし、先輩はふんっとそっぽを向くと、不機嫌そうにテーブルの足をこつこつと蹴り始める。
 ……な、なんだ? もしかして本気で怒ってる?
「それをなんだよ、頭ごなしに盗んだ盗んだって決め付けてさ。せっかくタカりゃんのために持ってきてやったってのに……」
「え……」
 俺のため、って……
「最近タカりゃんが落ち込んでるみたいだから、喜ばせてやろうと思って採ってきたのにさー。なんだよなんだよー」
 ……いや、俺が最近ローテンションなのは、ひとえにあなた様のせいなのでございますが。どちらかというと、せいぜい大人しくしていてもらった方が嬉しい。
 だが、うんざりしかけた俺の横で、何やら表面張力に負けたコップの水のごとく溢れ出てきた声ひとつ。
「まーりゃん先輩……」
 ふと見ると、久寿川先輩の目ががなんかうるうるしてる。これまた表面張力に負けて、雫が頬を伝いそうだ。
「河野さんのことを思って……」
 待て、待て待て騙されてるよ久寿川先輩。
 この人がそんな殊勝なことするわけないじゃないか、ぜったい罠があるに決まってる。今までだってそうだったじゃないか。
 頼む、これまでの数々の悪行を思い出してくれ先輩。それによって、俺たちがどんな苦行を強いられてきたかを。
 俺はありったけの念を込めて久寿川先輩を見る。大丈夫、通じるはずだ。俺と久寿川先輩がこれまで築いてきた絆を思えば、この一瞬のテレパシーくらいなんでもないはずだ!
「なんて優しい……」
 ――だが想い虚しくというか、久寿川先輩には地の文を読む能力はなかったらしい。うるうるした瞳をそのまま俺の方に向けて、なんだか雨に濡れた子犬のような顔になった。ガッデム!
「河野さん、あの……」
「だ、ダメですよ、久寿川先輩。まーりゃん先輩の甘言に惑わされちゃ!」
「でも……」
「いや、だって、もし本当に買ってきたなら、こんな泥だらけになってるはずないじゃないですか! 盗んできたは言い過ぎとしても、まともなルートで入手したとは思えませんよ!」
 スーパーや市場に行って泥だらけになる道理なぞない。ウィラメッテじゃあるまいし、この平和な日本でショッピングモールにゾンビが溢れているなんてこともないだろう。
「でも、河野さんのためを思って……!」
「甘やかしてもロクな事にならないのは、久寿川先輩だって身に沁みてるでしょ!? ここで屈したら後々どんな災いがあるかわからないですって。絶対、平穏無事には終わらない!」
「そ、そんな言い方……。河野さん、ひどいです」
 えー、ちょっと待ってよ、これ俺が悪者なの?
 だが、ううとうめいた俺の姿に何を思ったのか、まーりゃん先輩の口から「ふう」とため息が漏れた。
「……もういいよ、さーりゃん」
 その声に振り向くと、肩を落としてやけに小さくなった先輩の姿。
「え……?」
「ムリ言ってタカりゃん困らせることないよ」
 は、え? なに?
 何をいきなり。
「恩着せがましくなっても意味ないし、キノコの一つや二つ、いつでも取ってこれるからさ」
 そう言って、いつになくしょんぼりした様子で、まーりゃん先輩が手の中の松茸に視線を落とす。
「だから、いいんだ。……元の場所に戻してくるよ。裏山」
 ぽつりとそう呟いてきびすを返すと、彼女はすたすたと生徒会室の扉に向かって歩いていく。
「え、ちょ……、待ってください!」
 さすがに驚いて、俺はまーりゃん先輩の肩を掴んで引き留める。まさかこうまであっさりと引き下がるとは思っても見なかったのだ。
 しかし、先輩はイヤイヤをするように肩を2、3回揺らしてふりほどこうとするばかりで、こちらを向こうともしない。
 マズい、ホントに怒ってるのか?
 いまさらながら、少し言い過ぎたかもしれないと後悔の念がわき起こる。頭ごなしに否定しなくても良かったんじゃないか俺。
 だが、なおもむずかるまーりゃん先輩を強引に振り向かせた俺の目に映ったのは、それよりもさらに予想外の表情だった。
「っ……!」
 ぽろり、と。
「先輩……」
 頬に光ったそれは、
「……っるさいなっ――」
 たぶん、彼女にもっとも似合わないものだった
「返してくるって言ってんだろっ!」
 ひとつ、叫ぶようにそう言うと、まーりゃん先輩はまたぷいっと横を向いてしまった。肩をいからせたまま、ときおり全身を震わせて。
 その姿に、俺は立ちつくした。呆然と、としか形容できないほど、呆然と。
「ばかやろぉ……」
 大声で泣くでもない、
 怒鳴り散らして騒ぐでもない、
 所かまわず暴れるでもない、
 ただ肩を震わせて、歯を食いしばって涙を浮かべている。
 彼女と知り合って一年と少し、初めて見る姿だった。


 俺が泣かせた――?


「あ、あの……」
「ふんっ」
 ぐしぐしと、空いた手で顔を擦っている。少し汚れた袖に、小さく水のしみが灯った。
「あ…………」
 ふと気付けば、しゃりしゃりと、肩を掴んだ手に乾いた砂の感触。


 改めて――
 俺はまーりゃん先輩の姿を見た。


 どこをかけずり回ってきたのか、いつもアイロンが当たって清潔な制服は泥だらけだ。
 これが可愛いんだとよく言っていたプリーツも、今はよれよれにくたびれている。
 それどころか、どこで引っ掻いてきたのか、ところどころ破けてほつれて穴が開いていた。
「先輩……」
 よく見れば、彼女の手にも擦り傷がそこかしこ。小さくて可愛らしい爪の間も汚れているし、いつも綺麗にしている髪の毛もくしゃくしゃ。スカートから覗く細い太ももにも、草で切ったのか血が滲んでいる所が見える。お気に入りのニーソックスも、糸が飛び出てぼろぼろだった。


 ……2日間、ずっと駆けずり回っていたのだろうか。もう生えているはずのない、松茸を探して。


 ――俺のために?


「離せよぉ……」
 振り払おうとする勢いも弱々しい。
 そっぽを向いて、驚くほど小さな肩を震わせて。


 こんなにも、小さな身体だったろうか。


「先輩」
 思わず、彼女の横顔に声をかけていた。
「なんだよ」
 季節外れの松茸。どこで見つけてきたんだろうか。
 まだ少し土に汚れていて、誰かに洗ってもらえるのを待っているかのようだ。
「……食べましょうか、松茸」
 思わず、そう言っていた。
 この人が泣いている所なんか、これ以上見ていたくはなかった。
「――え?」
 きょとんとした顔で、まーりゃん先輩がこちらを向いてくれた。
 頬には涙のあと。少し心に痛い。
「きっと、美味しいんでしょ?」
「タカりゃん……」
「……ごめんなさい。さっきは言い過ぎました。みんなが楽しくなきゃ、ダメですよね」


 1秒、2秒、3秒――
 言葉の雫が沁みていくかのように、
 段々と、まーりゃん先輩の顔が明るくなっていく。


「あ……、あははっ。さ、最初っから素直にそう言えば良いんだよっ! もう、タカりゃんのいけず!」


 ばちんっ!


 ――と一発、まーりゃん先輩の平手が背中に炸裂する。
 たいして痛くはなかったけれど、それ以上に心にこたえた気がした。
「ほーんと、タカりゃんはツンデレだよなーっと」
「はは、なんですかツンデレって――」
 由真や瑠璃ちゃんじゃあるまいし、ツンデレなんて俺には似合わない。せいぜい、天の邪鬼なお人好しってのが良いところだ。
 『天の邪鬼、か……』
 それで女の子を泣かせてちゃ世話はない。
 相手が例えまーりゃん先輩であったとしても、だ。もう少し、素直に話を聞いてあげれば良かったのかもしれない。
 もちろん、油断していると足元をすくわれかねないから、そこは臨機応変さが必要だとは思――
「タカりゃん」
「ん? なんですか?」
「わかってくれて、ありがとな」
 不意打ち笑顔。まるで、夏の日の向日葵のような、純粋な光を湛えて。
「え、あ……」
 その表情に、俺は返す言葉もなく立ちつくす。
 ……ちょっと卑怯じゃない? それは。
 こんな時に限って、そんなことを言うなんて。
「……ホント、ずるいな」
 竹かごに目を落とし、ぽつりと独りごちる。
 いっそ、やかましいだけの人だったらどんなにか扱いやすいだろうに。
 ふとした瞬間、心に入り込んでくるからやっかいだ。それも、こんなに可愛らしい手段で。
 見れば、元気を取り戻したまーりゃん先輩が、久寿川先輩にちょっかいを出している。それは、いつもの生徒会室の光景。
 そしてふと俺と目が会うと、ぱちんとウィンクひとつ。


「……やれやれ」


 ――ゴッデス・オブ・卑怯って、誰が言い出したのか。
 でも、たぶん、それは悪い意味ばっかりじゃないんだろうなと……
 まーりゃん先輩の楽しそうな笑顔を見ながら、俺はそう思った。


 …………
 ――と


 コロンッ――


「おっと」


 不意に彼女の制服から何かがこぼれ落ちた。
「おぅ、落としちゃったぜ。いやー、人間疲れてると注意力が落ちるよね」
 そう言って、床に転がったそれを彼女は急いで拾い上げた。
 ……目薬?
「ろーぉと、ろぉとろーぉと♪ っとくらぁ」
「先輩、目薬なんか使ってましたっけ」
「え? あー、えーと、最近花粉症でさぁ」
「……なんで棒読みなんです?」
「さぁ?」


   ニヤリ――


「っ!?」
「およ? どうした? タカりゃん」
「あ、いえ……」


 いま、何か悪寒のようなものが……


「ふーん? ……ふふふ。さーて、とにかく食おうぜキノコ! さーりゃん、鍋の用意してよ。みんな呼んでキノコ鍋パーティだ!」
「あ、はい。じゃあ、料理部で食器と電気コンロを借りてきますね」


 ……本当に、
 本当にこれで良かったんだろうか?
 ひょっとしたら――


 俺は、何かとんでもない間違いを犯してしまったのかもしれない、と
 そんな不穏な予感が、胸の中に小さなしこりとして、いつまでも残った。



 ――――――――――続く
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