春夏さんが部屋にいるということ 〜ある日の風景 春夏〜
第三回葉鍵板最萌トーナメント出展作品
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 頭が朦朧としつつ酷く痛み、全身は倦怠感に襲われ、やたら暑いような気がするのに寒くてしかたない。おまけに鼻からはだらだらと由来不明の液体が流れて、関節はぎしぎしと鳴り、喉の痛みからごほごほと咳が止まらない。
 要するに風邪だ。そろそろ春になろうかというこの時節、なにをどう気が緩んだか、どちら様かにタチの悪いのをプレゼントされたらしい。
 幸い学年末テストも終わって、あとは終業式を迎えるばかりというところなので、勉強が遅れるとかの心配はない。
 が、おかしなもので、健康な時は面倒で仕方なかった学校が、ベッドの中にいると無性に行きたなってくる。格別寂しがり屋という意識はないけど、人間、床に伏せっていると弱気になるもんなんだな。
 とはいえ、家には頼る者もなく俺一人。河野家の父母は長期出張でずっと家を空けているし、あれやこれや世話をやいてくれそうな幼馴染み達は全員学校だ。授業が終わればお見舞いにも来てくれるだろうけど、しばらくはこのまま伏せっているしかない。
 あー、でも一人だけ、看病してくれそうな人がいるなぁ。隣の春夏さん……。
 このみから俺の状況は聞いているだろうし、ひょっとしたら来てくれるかも。
 ……って、なに人妻相手に期待してんだ俺は。くそぅ、こんなんだから彼女が出来ない上に、マザコン呼ばわりされるんだよな。俺も春夏さん離れしなきゃいけないよなぁ。
 ああ、でもなぁ。春夏さん、そこらへんの女子よりずっと"イイ"んだもんなぁ。見た目すごく若いし、お茶目だし、優しいし、ほっそりしてる割に胸おっき いし。お子様なこのみとか、傍若無人なタマ姉とかにはない、甘やかしてくれそうな雰囲気が良いんだよなぁ。そう、言うなれば『母性』というか……。
 ……だから、そんなんだからマザコンって呼ばれるんだよ、俺。
 だいたい、春夏さんだって、毎回毎回俺の世話してくれるわけじゃないよな。家事とか色々やることがあるだろうし――

  ――ピンポーン

 ……? あれ、呼び鈴?
 誰だろう、ひょっとして春夏さんかな。お見舞いに来てくれたとか。

  ――がちゃ。とことこ

 あ、入ってきた。足音こっちに向かってる。鍵を持ってるってことはやっぱり春夏さんだ。ああ、やっぱり優しいなぁ。ホント、うちの放蕩母さんと交換して欲しいよ。そうすれば、いつでも甘え放題なのに。

  コン、コン

「タカくん、寝てる?」

  がちゃっ

 そうして、俺の部屋に入ってきた人影。その姿を見て絶句する。
 エプロン。そう、まず白いエプロンが目に入った。よく洗濯された眩しいエプロン。そして、対照的に黒いワンピース。七分袖の黒のワンピースの上に、白いエプロンを着ていた。
 だが、ちょっと様子がおかしい。まずワンピースの丈が短い。「これでもか、オラッ」とばかりにミニスカだ。そしてエプロンはフリフリのフリルがフリフリだった。おまけに、頭の上にもフリル。フリル付きのカチューシャ――そう、ヘッドドレスが乗っていた。



「あら、どうしたのタカくん。鳩が豆鉄砲を食ったような顔しちゃって」
「…………」
 はは、なんだ俺、ついに幻覚を見るようになったのか。
 どうも熱が脳細胞を溶かしているらしい。よりによって、メイドコスな春夏さんを幻視するとは。やれやれ、今回の風邪はタチが悪すぎる。こりゃ長引かせないようにとっとと治さないとな。
「もしもーし、タカくーん? 聞こえてるー?」
「おやすみ、春夏さん……」
 そう言って、俺は幻覚に背を向け、布団を被って眠ることにする。起きたら熱が下がってると良いな。
「あら、疲れてるのね。おやすみなさい。ゆっくり休むと良いわ」
「うん、ありがとう……」
 ああ、幻覚だというのに優しいなぁ。春夏さん、やっぱり素敵だ。この人と一緒に青春時代を過ごしたかっ――

  ごそごそ

 ――背後に違和感。なんだろう、何か布団の中に入ってきたような気がする。
「タカくん、もうちょっと詰めてもらえるかしら。シングルベッドだとやっぱり狭いわね」
 そして、背中にふよんと当たる何かの感触。えも言われぬ柔らかさの何かが2つ。
 加えて、首筋をそよそよと温かい風……がぁぁぁ。
 全身が総毛立ち、慌てて俺は寝返りを打つ。まさかとは思うが、まさか!
 だが、振り返った俺の目に映ったのは、その"まさか"だった。
「なっ……」
 そこにいたのはメイドさん。
 一緒の布団の中にメイドさんがいた。春夏さんの顔をした。
「あら、どうしたの? 怖い顔しちゃって」
「何やってるんですかぁあああああああああああ!!!!!!!」


     ※


「――で、いったい何なんです?」
「添い寝してあげようかと思って」
 ベッドの横に立ち、ニコニコしながらそう言っているのは、紛れもなく柚原さんちの春夏さんだった。あのあと問答無用でベッドから追い出したが、部屋から出て行くつもりはさらさら無いらしく、素っ頓狂なコスチュームで俺の部屋に居座っていた。
 しかし、来年には18になる高校男子のベッドに入り込んでくるか普通!? このみですら、ここ最近は恥ずかしがって入ってこないのに!
「ほら、タカくん風邪ひいて熱があるでしょう? 心細い時は、人の温もりが必要でしょう?」
「いや、だからといって春夏さんに添い寝してもらわなくても。俺もう高校生ですよ?」
「高校生ならまだまだ子供でしょ。もう、オトナぶっちゃって、男の子ねぇ」
「…………」
 そりゃ春夏さんにとっては俺ごとき子供なんだろうけど、そういう問題なんだろうか。一応俺も健康な(今はちょっとアレだが)男なんだし、ヘンな気を起こしたらどうするつもりなんだろう。しかも、今日の春夏さんの格好ときたら、ミニスカメイドだし……。
「だいたい、なんなんです、その格好」
「ああ、これ?」
 俺が聞くと、春夏さんは嬉しそうにその場でくるりと回る。うぉ、スカートが翻って、ああ、ああ、あともうちょいで見えるのに!
「ほら、この間、喫茶店でバイトしたでしょう? その時の服、マスターが持って帰っていいよっていうから」
「は、はぁ」
「ホントは看護婦さんの服があれば良かったんだけど、あいにくそれはなくてね? でもほら、メイドさんも誰かをお世話する人だし、これでいいかなって」
 そもそもコスプレする意味がない気がするんだが、たぶん、そこは突っ込んではいけないのだろう。
「だから、タカくんはゆっくりしてて良いのよ? 私が看病してあげるから」
「は、はぁ……」
 看病、か。それは確かに嬉しいけど、でもなんかさっきのインパクトで風邪が飛んじゃった気がしないでも……。
「まずはお熱を計らなきゃね。タカくん、もう計った?」
「あ、いえ、まだです」
「体温計は?」
「どこにあったかな……」
 救急箱の中だとは思うが、あまり使わないのですぐに場所を思い出せない。
「しょうがないわねぇ。とりあえず、即席で良いか」
「はい?」
「じっとしててね」
「は――」
 と、その瞬間、いきなり目の前に春夏さんのどアップ。
 なぜか息がかかる距離まで顔が接近していた。
「なっ……!」
「あん、じっとしてて」
 じっとしててって、えええ!?
 絶句している間に、春夏さんの手が俺の頭の後ろの回る。まさか――まさかまさかまさか!?

  ぴとっ

「はっ……」
 狼狽している俺のおでこに、ちょっとひんやりした感触。
「うーん……」
 目の前には相変わらず春夏さんの顔。おでことおでこでお熱の確認。
 は、な、なんだ、おでこで熱を計ってるだけか。驚いた。
 でも、これ、ちょっと顔を傾けたら、き、キス……

  ぼんっ

 自分でも顔が赤くなったことがわかるくらい、全身が熱くなる。
 だってだって、こんな、すべすべのおでこがくっついて、リンスと香水の良い匂いが漂ってきて、目と目がこんなに近くて、吐息が俺の唇をくすぐって、ああ、あああああ
「こ、これは……!」
 愕然と目を見開いて、春夏さんの顔が離れる。うあぁ、くっついていた時は離れてくれと思ったのに、離れたら離れたで猛烈に名残惜しい!
「タカくん、すごい熱じゃないの!」
「ち、ちが……」
「もう! これだけ具合が悪いなら、ちゃんとそう言いなさい! 元気そうだったから、私てっきり――」
 慌てた様子で春夏さんがベッドに俺を押し倒す。そうして、掛け布団をひっかぶせると凄い勢いで部屋から飛び出していき、数分後、氷を浮かべた洗面器とタオルを持って戻ってきた。
「ちょっと待っててね」
 そう言うと、洗面器にタオルを浸してぎゅっと絞り、寝たままの俺の額に載せてくれる。
「ふ……」
 氷水に濡れて、ひんやりした感触。たちまち、熱を持ってボーッとした額が心地よい冷たさに覆われていく。
 すると、気持ちが少し落ち着いたのか、思い出したかのように風邪の症状がぶり返してくる。倦怠感と悪寒、乾いて絡みつくような喉の痛みと、節々の痛み。
 どうやら、さっきまでは春夏さんの陽気にあてられて、少し気が張っていただけだったらしい。落ち着いてみれば、まだまだ病人もいいとこだ。
「けほっ、けほっ」
「あらあら、大丈夫?」
 春夏さんが、咳をした俺を心配そうな顔で見つめている。
 本当に、お母さんみたいな瞳で。
「タカくん、お水」
「ん……」
 差し出されたボトルのストローを咥え、水を飲む。たったそれだけのことで、何かもういくらか身体が楽になった気がするから不思議だ。俺が甘えん坊なのではなく、これが看病してもらうことの良さなのだと思いたい。
 思えば、ずいぶんと母さんと会っていない。まだ家にいた頃は、俺が風邪を引くと、心配していろいろ世話を焼いてくれたっけ。あんなトンチンカンな親だけど、そういうところはやっぱり俺の母さんだったよな。
 そして、今ここには、もう一人の母親代わりの人がいる。昔から優しくしてくれた、お隣のお母さん。今も、すりリンゴを俺の口に運んでくれている。
 甘酸っぱい味。口の中いっぱいに広がる、俺のためにすってくれたリンゴの味。
「タカくん、美味しい?」
「ん……」
「食べ終わったら、無理せずに眠るのよ。若いんだから、夕方にはきっと元気になるわ」
「うん……。母さん」
「え? ――ふふ、そうね、お母さんね」
 思わず呟いてしまった俺の失言に、春夏さんが穏やかな表情を浮かべる。
 その笑みを見ながら、俺はいつしか眠りに落ちていた。


     ※


 目を覚ますと、部屋の中は窓から射し込む光に赤く染まっていた。
 枕元の時計を見ると、もう夕方5時。どうやら、半日ずっと寝ていたらしい。
「ふ……」
 メイドさんの姿はもうない。たぶん、家に帰ったのだろう。
「ん……」
 少し伸びをする。まだ全快とは行かないが、かなり楽になった。2〜3日もすれば、風邪などひいたことすら忘れてしまうほど、ケロリと治ってしまうだろう。
「……春夏さんのおかげ、かな」
 ベッド脇に置かれた水飲みを見ながら呟く。氷タオルといい、すりリンゴと言い、感謝してもしきれない。せめて何か小さなことでも、お礼をしなきゃいけないな。
「ま……、とりあえず、今は全快することが先かな」
 少し回復したとはいえ、油断は禁物。さしあたって、果物でも食べるか。そんなに空腹感はないが、夕食代わりに食べておいた方が良いだろう。
 そう考えて、俺はベッドから降りようとした。
 ――と

  がちゃっ

 部屋の扉が開いて、華やかなメイドさんがひとり入ってきた。
「あら? 起きたの?」
 そうして、ベッドに腰掛けた俺に、にっこりと笑いかけてくれる。手には洗面器。氷を取り替えてきてくれたのだろう。
「春夏さん」
「どう? 熱は下がった?」
「ん、どうだろ……。さっきよりずっと良いです」
「そう。さすが男の子ね。もう治っちゃったんだ」
「はは、まだ全快とは言えないですけど……」
 そう言って少し笑う。
「ところで、いつまでメイド姿なんです?」
「あら、この格好、嫌かしら?」
「別に嫌ってわけじゃ……。なんとなくです」
「そう? ……あ、ひょっとして」
 瞬間、春夏さんの目がイタズラっぽく細まる。そうして、ふふっと笑みを浮かべると、前屈みになりながら顔を近づけてくる。
「ドキドキしちゃう?」
「え――」
「メイドさんの格好」
「いや、あの」
「スカートもちょっと短いし……」
 そう言って、春夏さんがまたくるりと回る。今度は、それと判っていて、翻る裾を俺に見せつけるように。
「……見えちゃった?」
 うぁ、ぎりぎりで見えなかった。どうして女の人ってのは、こう、際どいとこで見せない技術を習得してるんだ!? あああ、でも、見えてしまうより、ずっと蠱惑的なようなっ!
 そんな俺の様子を見ながら、春夏さんが笑う。いつものお茶目な感じではなく、どこか妖艶な顔で。
「タカくん……」
 ベッドに腰掛けて動けない俺に、春夏さんの顔が再び近づく。
「あ、あの……」
 ゆっくり、ゆっくりと。
 憧れの人が振りまく香水の匂いが近づいて。
 息がかかるほど――



「は、春夏さん……」
 え、ちょっとなにこれ。
 なんかルート入っちゃったの? そうなの!?
 まさか、このまま……
 いつか夢見たシチュエーションに突入しちゃうのか、俺!
 夕暮れに染まる部屋の中、コスチュームこそ違うけど、あの春夏さんと。
 こっ、河野貴明17歳。人生クライマックスなのか!? そうなのか!?
 父さん、母さん、見ててください! 今日、俺は男になります!

 だが、次の瞬間――

  ぺちっ

 春夏さんが、俺の両頬を手で挟むように軽く叩く。
「は……」
「ふふっ、冗談よ」
 そうして、いつものお茶目な表情に戻ると、ころころと愉快そうに笑った。
「え……」
「やっぱり男の子ねぇ」
 からかわれた――
 そう気づいた瞬間、かーっと全身が熱くなる。
 あああ、ばかばかばか、オレのばか。
 考えてみりゃ当たり前だよ。旦那さんとラブラブで知られる春夏さんが、俺なんか相手にするわけないじゃん!
 ちくしょおおおおお、穴があったら入りたい!
 いや、いっそのこと自分で穴を掘って埋まってますぅ!
「それより、汗かいてない?」
「そ、そうですね、ちょっと寝汗かいたかもしれないですねー」
 照れ隠しに、努めて明るい風を装って応える。
 ああ、でもなんか受け答えが不自然だ。なんでこう、春夏さん相手だといつも通りの自分でいられないんだろう。このみ相手ならすごく楽なのに。胸の差だろうか。
「そう。じゃあ拭いてあげるから、ちょっと上脱いで。お湯張ってくるから」
「はぁ」
 パジャマ脱ぐのか。ちょっとまだ肌寒い気がするけど、でもべたべたするからしかたないか。ついでに着替えて――
 ――ん?
 いや、ちょっと待て、何かおかしい。
 脱いで、って言ったか?
「あら? まだ脱いでなかったの?」
 洗面器にお湯を張って戻ってきた春夏さんが、いぶかしげに聞いてくる。
「えっと、脱ぐ……んですか?」
「そうよ? 脱がなきゃ拭けないでしょ」
 なにを言ってるんだとばかりに春夏さんがきょとんとする。きょとんとしたいのはこっちだ。
「いや、あの、そのくらい自分で……」
「なに遠慮してるの、病人なんだから、大人しく看病されてればいいのよ?」
「でも、あの、は、恥ずかしいんですけど」
「今さら照れることないでしょ。小さい頃は、おむつだって替えてあげたんだから」
 それは小さい頃だからであって、今はもう俺ぜんぜん小さくないんですけど!?
「はい、じっとしててね」
 だが、こうと決めた春夏さんはもう止まらない。全力で抵抗するも、あれよあれよという間にパジャマを脱がされてしまった。
「あら、しばらく見ない間にたくましくなったわねぇ」
「うう……」
 何この羞恥プレイ。
「はい、じゃあ拭いてあげるからね」
 そういうやいなや、お湯に浸して絞ったタオルを身体に当ててくる。
「はぅ……」
 温かい布の感触。むき出しの肌を縦横に這い回って、べたつく汗を拭っていく。
 目と鼻の先にはメイドさんのヘッドドレス。良い香りが鼻をくすぐって、身体中に春夏さんの手が這い回って、ああ、あああ、ああああああああああ

  ぼんっ!

 そして、爆ぜた。
「きゃあっ! タカくんどうしたの!? 身体が真っ赤よ!?」
「ぐぁ……」
 吹っ飛ぶ意識、ばたんと倒れる身体。
 ゴメン、もうダメ。
「タカくん!? ちょっと、凄い熱じゃないの! もう、あれほど無理しちゃダメって――」
 春夏さんの慌てた声が遠くに聞こえる。
 どうやらまだまだ、楽にはなれそうもない。再び熱との格闘が始まるようだ。

 全快するのは、いつになることやら――


――――――――――――――おわり

(画像:(c)Leaf/AQUAPLUS 「ToHeart2 AnotherDays」)
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