真夜中の歌声
著:瀬鷲真友里
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 街角の色を賑わせているのは、もしかしたら人の声なのかもしれないと思った。
 店舗から流れてくる、有線放送のヒットチャートは言わずもがなだが、通りすぎる人にビラやティッシュを手渡す女の声や、呼びこみの男の声、そしてもう少し夜が更けてくると、アコースティックギターを抱えて、ある意味、上昇思考の塊のようなメッセージを込めてがなりたてるストリート・ミュージシャンの歌声なんかも、きっとその色のひとつなのだろう。

 聞こえてくる歌声…。

 私は、靖国通りから歌舞伎町に、そして山手線のガード下をくぐり抜けて、青梅街道を中野坂上方面へと歩きながらそんな事を考えているうちに、先ほど聞かされた、奇妙な歌声に関する話を思い出していた。

「寝言みたいな事を歌うなんてこと自体、意味がわからないんだよなあ」
 杵島啓三という名の、フリーの音楽プロデューサーをしているという男には、このバーとしかどうにも表現のしようのない店で、週末によく顔をあわせた。
「それはプロ根性とか、そういう難しい話をしたいわけ?」
「いや、確かに最近の若い歌い手は、なんか物足りないというか、仕事は雑だけど。けどね、今話してるのは、そういう話じゃなくて、ここのところよく使ってるスタジオのエンジニアに聞いた話なんだけどね」
「ん?」
 ビールを飲み干した。
 カウンター越しに、キープしてあるボトルを指差して、マスターにいつものようにオン・ザ・ロックにしてくれと合図しながら、私は杵島の話に耳を傾けた。
「そのスタジオでね、深夜にたまに、女の歌声が聞こえるんだよ。それも寝言みたいに、意味不明な言葉の羅列なんだよね」
「なに、それは。幽霊話?」
「いや、ボクはさ、そういうのは信じない性質(たち)なんだよね。だから、きっと何処かの部屋の音が漏れて、聞こえてくるんじゃないかとは思うんだけどねぇ」
「ほう、見かけによらずリアリストだね」
 派手な、金色に近い茶色の長髪と、それと同じ色の顎髭を生やした横顔が、なんとも年齢不詳という感じの雰囲気を漂わせている。
 ソーセージの盛り合わせ皿から、フォークでチョリソを口に運び、それを生ビールで流し込みながら、はじめて顔をこちら側に向けて、杵島は話を続けた。
「まあ、こんな仕事を生業にしているからね。ロマンチストでは生き残れないからさ。でもね、スタジオに限らずこの業界ってさ、こういう話が結構多いんだ、これが」
「ああ、それはよく聞くね。レコードに録音していないはずの声が入っていたとか」
 新しい煙草の封を開けながら、昔、深夜のラジオ番組で聞いた、某フォークグループに振りかかった、有名なオカルト話を思い出した。
「レコードじゃなくて、今はCD。けどね、そういう話はね、この業界にいたらさ、なあんだっていうオチが伝わってくることが多いんだよね。ミスしたトラックを消し忘れて、ミックスの時に混ぜちゃったとかさ。ミックスやトラックダウンなんて作業は、徹夜明けの、これまた徹夜明けにするってことがありがちなんで、もう頭も耳も死んじゃってるからねぇ」
「いいかげんなものなんだね。それで商品として成り立つのか」
 私の、本気ではないが、多少辛らつな言葉に、かえって「我が意を得たり」とばかりに意気込んで、杵島の饒舌振りは、ますます調子が乗ってきた。
「それがかえって売れちゃったりするんだな。例えばさ、有名なところで岩崎宏美の『万華鏡』って歌は知ってる?」
「あ〜あ〜、でしょ?」
 その歌の最後に被っている、有名な「幽霊の声」を私は真似した。
「そう、それ。あれってさ、黒人のゴスペル・シンガーのコーラスなんだよね、アドリブの」
「へえ、そうなんだ。じゃあさ、レベッカだったかな、あれは?」
「あれはさ、典型的なミストラックの消し忘れ。業界では有名な裏話だよ」
「そうか、なんか夢のない話だな、実際は。幽霊に夢って言うのもおかしいけれど」
 首を横に振ったついでに、肩に凝りを感じて、背筋を伸ばした時に、マスターと目が合った。
 どうも密かに、今までのふたりの馬鹿話を、さりげなく聞いていたらしい。私はマスターの視線に、苦笑いで答えた。
 杵島の喋りは、なおも止まらない。
「それはそうだけどさ、現実主義者のボクとしてはさ、『その二枚のシングルは売れた』って事実の方が重要なの」
「それはやっぱり、幽霊話と絡んだ話題性で売れるのかな?」
「当たり。今でも夏場には多少話題に出るからね。だから廃盤にならない。今でも売れる」
「なるほどね、災い転じて福となす、か」
「そういうわけ。けどね、例のスタジオの意味不明な歌声は、考えてみれば意味がわかんないんだよなぁ。なにせ防音されてるからね、スタジオは。現実的に考えたら、外の音が漏れて入ってくるわけがないんだよね」
 なるほど、と頷きながら、私は新しい煙草に火を点けた。
「失礼だけど、疲れたときの幻聴ではないの?君は実際に、その歌声を聞いたことはあるの?」
「幻聴ではないんだ、これが。実はね、そのエンジニアがハードディスクレコーダーに録音したのは聞かせて貰ったんだ、この前」
「ほう」
 もしも本当に幽霊の声だとしたならば、私もちょっと聞いてみたいという気はした。
「で、どんな感じなの?」
「歌、だね」
 杵島は話が佳境に入りかけているというのに、かえって、妙に落ち着いた口調で答えた。
「ちゃんとした言葉にはなっていないけれど、メロディは確かに存在しているんだよ。意思は感じるね、歌い手の。歌い手と言っていいのかはわからないけどさ」
「それって、さっき言っていた、消し忘れのトラックとは違うの?テープレコーダーなんかだと、重ね録りした昔の音が残っていることは、よくあるんじゃないかな?」
「ああ、それは違うんだよ」
 杵島は、新しいビールを注文しながら、左手を左右に振った。
「今の録音機材というのは、デジタルだからね。カセットテープとは仕組みが違うんだ。難しくなるから詳しく説明はしないけど、元々録音されていた音のデータを一度全て消去して、その何も無い状態に録音したらしいからね。『万華鏡』なんかのケースとは違うの」
 そうか、あの時代はアナログだったんだな。私はあまり、音楽機材などには詳しくはない。
「その幽霊の歌声は、レコーディングの邪魔になったりはしないの?」
 私の問いに、少しだけ苦虫を噛み潰したような表情を浮かべてから、杵島は、
「それがさあ、邪魔してくれないんだよ、さっぱり」
 と、残念そうに言った。
「え?レコーディング中は歌わないのか。でもそれならいいんじゃないのかな、実害は無いわけだから」
 すると、ますます残念そうな声で杵島は続ける。
「邪魔してくれたほうが、嬉しいんだけどなぁ」
「どうして?」
「だってさ、柳の下のドジョウは、いかにも美味しそうでしょうが」
 ここに至って、私はやっと杵島の言いたい事が理解できたような気がした。
「ははあん、第二の『万華鏡』狙いってわけか」
「そういうこと。ここのところ、レコーディングの打ち合わせがある度に、そのスタジオをプッシュして、使ってるんだけどなぁ」
 ため息混じりに、最後の方は声が小さいくなっていった。
「上手くいかないものだね」
 私は、湧きあがってくる、あまり意味のない笑いを押さえつつ、チェイサーを喉に流し込んだ。


「失礼ですが、少しよろしいですか?」
 白髪のマスターが、嫌味のない笑みを浮かべながら、ふたりの会話に入り込んできた。どうやら最初から全て聞いていて、会話が一段落つくまで待っていたようだ。この辺が客商売の上手いところだな。
「杵島さんに、ちょっと伺いたいことがあるのですが」
「なんだい、マスター」
 杵島は、いきなり話しかけられて、少々驚いた様子だ。
 そういえば私も、マスターの仕事以外の会話を聞くのは、初めてかもしれない。それとも、これも仕事のうち、なのだろうか?
「そのスタジオと、杵島さんのお付き合いは、いつ頃からなのですか?」
「二年と、半年くらいかな」
「それは、どういうきっかけで、そのスタジオを、使うことになったのですか?」
 マスターの、噛み締めるような、ゆったりとした口調は、落ち着いていて、それ相応の年齢の醸し出す、深みのようなものを感じさせられた。
「ああ、それはね、ボクの友人がオーナーをやっているからなんだ。経営者だね。高校、大学と一緒だったんだ。親友ってほどではないけど、結構深い付き合いかな。で、そいつは元々不動産屋だったんだけど、三年前に古いスタジオを買い取ってね。それを改装して新しくレコーディング・スタジオを始めたんだよ」
「ああ、なるほど」
 暫し考え込むように、下を向いてから、マスターは顔を上げ、にっこりと笑いながら、打って変わって私へと口を開いた。
「先日、音楽関係の雑誌を読んでおりましたら、杵島さんのお仕事の記事が載っておりましたのを拝見いたしました。わたしは、音楽業界には詳しくはないのですが、杵島さんはやはり、一流の音楽プロデューサーでいらっしゃるのでしょうね」
 私は、程よくまわってきた酔いも手伝って、少し軽い口調で答えた。
「うん、一流かどうかはわからないけれど、二流ではないよね。まあ、一流半ってところなのかな?」
 杵島は私よりも早く飲んでいたぶんだけ、酔いも早いのか、多少は目がすわってはいたが、それでも苦笑いを浮かべながら、
「はっきり言うなぁ。けどまあ、それが妥当な評価かな」
 …以外と大人だな。
「それでしたら、レコーディングに使用するスタジオの選択権なんかも、ある程度は融通が利くのでしょうね」
「そりゃあ多少はね。でもどうせ金を払うのは、事務所かレコード会社だからね」
「いっそ、もう一歩踏み込んで、さっき言っていた、幽霊の歌声だっけ、その録音済みの音源を、CDにして発売するという企画なんかは、立てられないものなのか?」
 ふ、と思いついて、私は杵島に話しかけてみた。
「ああ、それは良いアイデアだけど、ボクは嫌だね」
「それは、どうして?」
「それはね、ボクはプロだからなんだよ」
「え?売れればいいって言ってただろう、さっきは」
「わかってないなぁ、過程と結果は別でしょう」
「はあ?」
 ビールを全て飲み干して、煙草をもみ消しながら、杵島は答えた。
「プロの仕事っていうのはね、ベストを尽くすのさ。青いと言われるかもしれないけど、クリエイターだと自分では思ってるからね、アーティストさ。幽霊の歌声だかなんだか分からないけど、それはノイズでしょ。それがね、ベストを尽くした結果として、それでも偶然に、曲に紛れこんでしまったとする。それはいいのさ。何故なら、幽霊の声が入っていなくても、それはそれで作品だからね。けどね、最初から幽霊の歌声をメインにした企画をたててCDにすると、これは企画モノさ、創造の芸術性はそこには無い。三流の仕事だよ。ボクは、さっきも言われたけど、自分は少なくとも一流半っていう自負は持ってる。だから、そんな仕事はボクの仕事じゃあない。まあ、だれか別の奴がやるのは止めはしないけどね。詭弁に聞こえるかもしれないけど、『万華鏡』の二番煎じと、最初から幽霊の企画は、全く違うんだよ。こんなこだわりは、わかんないかな?」
 今までにもまして、というか、仕事に対する自負の為か、熱を帯びた杵島の口調に、多少圧倒され、そして同時に、わずかばかりの感銘を覚えた。
「なるほど、気持ちはわかるような気がするよ」
「自己弁護、いや、自己防衛だけどね」
 そういいながら、厚手のジャケットを羽織って、杵島は立ちあがった。お帰りの時間か、そろそろ。
「マスター、楽しかったよ。また来週末にね。何なら例の歌声を、テープにおとして持ってくるよ」
「そうですか。わたしも不思議なことには興味があるので、是非とも聴かせていただきたいものです。楽しみにしていますね」
「うん。それじゃあ、お先に」

「まるで嵐のようだったな…」
 杵島の後姿が、ドアを通りぬけて、街に消えて行ったのを見届けてから、私は溜め息とともにこぼした。
「杵島さんは、情熱家でいらっしゃいますからね」
「ああ、芸術家っていうのは、ああいうものなのかもしれないね」
「スタジオの経営者でいらっしゃる、ご友人も、杵島さんのあのような考え方や性格は、きっとご存知なんでしょうね」
「え?そりゃあ、そうだろうね。長い付き合いらしいから」
いきなり振られた、どことなく違和感のある言葉に、私は何と答えていいのやら、戸惑ってしまった。
 そして…。
「今のは、どういう意味なのかな?」
マスターは、ばつが悪そうに、顔を歪めながら、それでもすぐに笑顔に戻り、
「何がですか?」
 私は、なにかピンときた。閃いたという表現のほうが正しいかもしれない。
「マスター、何か隠してるね。もしかして幽霊の正体がわかったとか?」
「勘がよろしいですね」
 苦笑いを浮かべながら、マスター。
「言っちゃってよ。じゃないと、気になって、帰ってもぐっすり眠れないよ」
「根拠も何一つありませんし、あくまで、わたしの想像なんですが、よろしいですか?」
「いいよ」
 なんだか、改まった面持ちで、マスターは話しはじめた。


「杵島さんの性格上、幽霊の声だとは思っていらっしゃらないみたいですね」
「そうだね、自分でも現実主義者だと言っていたしね」
「しかし、幽霊の声が『偶然に』紛れこめばいいと思っている」
「そうだね、根はミーハーなんじゃないかな、ああいう業界人って」
「けれども、プロ意識が高いので、録音された声を、故意に混ぜることは出来ない」
「プライドが許さないんだろうねぇ」
「そこなんですよ」
「え?」
「そういう杵島さんの性格を、長い付き合いだというスタジオのオーナーは、きっとご存知なんだと思うんですよ」
「それは、そうかもしれないね」
「二年半前から、そこのスタジオと知り合いなのに、懇意にしているのは最近だと、杵島さんは言ってらっしゃいましたね」
「ああ、そういえばそう言っていたね」
「きっと、その幽霊の声の話を聞いてからだと思うんですが、それからずっと、まるで専属みたいにそのスタジオを使い続けていらっしゃるみたいですよね」
「うん」
「さぞ、そのスタジオは儲かっているでしょうね」
「あっ!」
 そうか、そういうことだったのか…。
「そう考えてみると単純なことだね。単にオーナーとエンジニアがグルで、杵島くんを騙しているだけなのか」
「そうだと思いますよ。それに、杵島さんの性格からして、幽霊の声だけを商品にするということはしないだろうと」
「なるほどね、やっぱり夢の無い話だなぁ…」
「でも、誰にも損はありませんから」
 グラスがちょうど空になった。
 私は、帰り支度をはじめようと思いながら、中腰になりかけて、ふと思いついた質問を、マスターに訊ねた。
「あの、寝言のような、意味不明の言葉というのは、何か意味があるんだろうか?はっきりとした言葉のほうが、騙すには効果的な気がするんだが」
「実際に聞いてみないと、何とも言えないんですが」
「うん?」
「声紋分析はご存知ですか?」
「ああ。声や喋り方から、犯人を割り出す専門家もいるらしいね」
「以前、その専門家の方と話す機会がありまして、その時に聞いた話なんですが、言葉のなまりであるとかの、声紋に一番区別をつけやすい場所というのは、吃音(きつおん)、濁音(だくおん)の後の立ちあがりの周波数らしいんですね」
「ほう」
「だから、それを発音しない言葉の羅列が、寝言のように聞こえたのではないでしょうか。万が一、『幽霊の声が入った歌』なんて風評が立って、テレビの番組なんかで、スペクトログラフ分析なんかされたら、大変ですからね」
「なるほどね。保険の為か」
 それにしても、マスターも、難しい専門用語を知っているな、一体何者なんだろうか。
 まあ、それはこれからおいおいと、わかってくるだろう。
「うん、胸のつっかえが取れたよ。有難う、マスター」
 私は、今度こそ立ちあがって、帰り支度を始めた。
「いえいえ、あくまでも想像ですから。もしかしたら、本当に幽霊の声なのかもしれませんよ。そのほうが不思議で面白いかもしれませんしね」

 店の暗く曇った色をしたドアを押して、外へ出た。
 真夜中の街並みも、そのドアと同じように、暗く曇った色をしていた。

     −了−



<あとがき>

 神居君へ

 初めて君とチャットで話した夜は印象的でした。

 主として本格ミステリーについて語り合いましたね。あまりにもマニアックな内容だったにもかかわらず(いや、もしかすると、だからこそ?)、あっと言う間に時間は過ぎてしまった。

 気がついたら外は明るくなりかけていました。
 あんなに楽しく、推理小説について話をしたのは、久し振りだったなあ。

 そのチャット中、「ぼくも書いてみようかな。」と冗談混じりに話しかけたら、「ぜひ、書いてくださいよ。読みたいです。」と君に言われ、調子に乗って書いてしまったのが、この作品です。
 チャットが終わってからすぐに、熱に浮かされたように、『杵島』が店を後にするくだりまでを、仕事もほっぽりだして、昼までかけて書き上げました。
 しかし、そこで「あららっ!」と困ってしまった。何故なら、解決編をな〜んにも考えてなかったから。(自爆)
 それで、その後二日かけて、捻りもなんにもない、解決編を付け足しました。
 やっぱり、推理小説仕立てにするのならば、プロットからじっくり練らなければ駄目みたいですね。はっきり言ってなめていました。反省しています。
 この経験をもとに、次にはあらかじめ計算してから筆をとろうと思います。(キーを叩くが正しい表現なのかな?)

 拙作の為に、自分のHPのスペースをわざわざ割いてくれた君と、このような習作を、最後まで我慢して読んでいただいた皆さんに感謝しながら。

 2000年11月21日
            瀬鷲 真友里(せわし まゆり)



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