Only YOU
著:放蕩者
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 うだるような暑さ。まだ夏に差し掛かったばかりというのに、教室の黒板に掛けられた温度計は信じられない室温を計測していた。
 今、俺は今まで生きてきた17年間の中で間違いなくベストテンに入るであろう困難に敢然と立ち向かっていた。用紙に書かれている文面に目を凝らし、頭の中で論理的に、ただ一つしかない答えを導き出し、ペンを解答欄に走らせる。そして、次の問題に移る。
 そう、今俺が必死で取り組んでいるのは追試という名の白い悪魔。
 夏休み前に乗り越えなければならない大きな壁に挑戦していた。
 こう言っちゃ何だが、準備は入念に進め、怠ったところなど一つもない。なんせこの追試、もし合格点にとどかなければ夏休みは補習だらけの毎日が待っている。これからの夏休みの予定は家で俺の帰りを待っている珊瑚ちゃんに瑠璃ちゃん、イルファさんにシルファ、そして、ミルファの姫百合家の面々によって決定されている。失敗などしたら、どれだけひどい目に……。

「残り10分」

 俺はシャーペンを進めている手を止め、時計を確かめる。
 確かに10分しかない。しかし、解答欄の3分の2はすでに俺が導き出した回答によりびっしりと埋まっている。あとは小難しいこの証明を解けば……。
 しかし、どう考えても、この証明だけが全然分からない。
 後十分か……。俺はこの前の期末で一緒に赤点を食らってしまった雄二のほうを見てみる。
 追試が始まる前、どうも自信ありげな態度をしていた雄二は。

「ZZZ……」

 気持ちよさそうに居眠りをしていた。堂々と試験官の目の前の席にいるにも関わらずだ。
 明らかに試験官の先生は引きつった顔をして、雄二のほうを見ている。
 補習決定だな……雄二。
 いや、今は雄二のことを心配している暇はない。気を取り直して問題に取り組むんだ。
 だけど、何だコリャ?これが本当に追試に出す問題か?
 俺はこのテストを作った先生の性格に疑問をもちながら、必死で考えたがどうしても分からない。
 きっと、珊瑚ちゃんやイルファさんとかシルファ、ミルファは簡単に分かるんだろうな。
 ミルファか……、俺の脳裏にあの綺麗な桃色の長髪を振りながらいつも見せてくれる満面の笑顔が浮かんだ。俺が追試受からなかったなんて言ったら、どんなに失望するだろうか。
 考えたくもない。
 あいつには落ち込んでいる顔より、笑っている顔のほうが数倍、その……綺麗なんだ。

「後5分、名前があるかどうか確認してください」

 まずい、惚けている場合じゃない。しかし、どういう視点で見ても答えは浮かばない。
 ………………こうなったら最後の手段だ。
 俺は答えも分からないまま、多分こういう過程だろうという式を次々と書きなぐっていく。
 答えは書かなくても過程の式が要点をつかめていれば、部分点をかき集めることは出来るはずだ。とにかくペンを走らせた。
 俺はとりあえず書けるだけの過程式を書いて、ペンを置いた。
 これが今の俺に出来る精一杯。

「終了です。やめてください」

 ほっと一息ついたと同時にその声がかかった。
 試験官が回ってきて、俺の解答用紙が回収される。
 ていうか、雄二、どうなった?
 雄二のほうに目を向けると奴はまだ夢の中にいるようだ。ここまで来ると尊敬すら覚えるよ、まったく。

「向坂くん……起きなさい。テストは終了です」

 少し怒気をはらんだ試験官さんのおっかない声が聞こえてきた。
 現在奴の枕になっている解答用紙を回収したいのだろう。

「ん……あぁ?」

 間抜けな声を出しながら雄二はようやく目を覚ました。解答用紙には奴のたれたよだれが少しだけ広がっている。
 寝起きで不機嫌な雄二はふてぶてしく試験官を睨みつけた。
 その視線に圧倒されながらも試験官は仕事を全うすべく、雄二再度声をかける。

「テストはもう終りだ。早く、顔を上げなさい」
「おわった……?はっ、馬鹿言うなよ。まだ5分しか立ってないはずだぜ」
「……あのね、キミが机に突っ伏し始めてから30分も過ぎてるんだがね……」
「ああ……そうか、じゃあ、ほれ」

 眠そうな仕草で解答用紙を試験官にわたす雄二。
 試験官は再び顔を伏せた雄二を一瞥した後、よだれで汚れた解答用紙に目を向けた。
 そして、驚愕の表情。しばらく、呆然としていた。一体、雄二の解答に何が……?
 しかし……俺も人のことを気にしている余裕はないかも知れないな。
 自己採点では合格点ぎりぎりだとは思っているが、それでも自己採点は自己採点だ。
 教壇に座って試験官は赤ペンを持ち次々と受験者の解答にマルとペケを朱入れしていく。
 追試の成績はその場で発表される。つまりこの場で合否を知らされるわけだ。
 すぐに結果がわかって、こっちとしても嬉しい限りなのだが、やっぱりドキドキするのは抑えられない。

 …………

 どうやら、採点が終ったようだ。
 試験官は終始納得のいかない表情を浮かべていたが……なんでだろう?

「それでは……合格者の発表を始めます」

 ついに来た。
 この結果如何で俺の夏休みが灰色のものとなるか桃色のものとなるのか……
 満点は確か100点、合格点が75点以上か。自己採点では80点、まあ、ぎりぎり受かる感じだ。
 さあ、もったいぶってないでさっさと言っちゃってくれ。心臓に悪い。
 試験官は口を開いた。
「麻生信二、75点合格」
「うおっしゃあああ!」
 俺の隣の席で最後まで頭を抱えていた人か。俺も同じような状況だったので心境はよく理解できる。
 ……よかったな。俺もそんな風に喜びたい。
 もし合格していたら、呼ばれるのは次か……頼むぞ!
「河野貴明、よくがんばったな、85点、夏休み補習はなしだ」
 俺の名前が呼ばれた。点数のことはもうあまり気にならなくなっていた。
 ただ名前が呼ばれたこと事態が嬉しくて思わず立ち上がった。

「よしっ!」
「河野、やったな!お互い夏休みは自由だぜ!」
「ああ、麻生君も、おめでとう!」
「昨晩の猛勉強の成果だな、久しぶりだぜ、あんなに必死こいて勉強したのはよ」
「そうだね」

 同じ喜びを分かち合う、麻生君と体全体で喜びを表現している間にも合格者は次々と読み上げられ、結果に涙するものや、俺たちと同じように歓喜に震えているものが続々と現れてきた。不合格者には大変気の毒だが、この夏勉学に励んでもらいたいものだ。
 そして、試験官がテスト用紙の一枚を見たとき明らかに嫌そうな表情を見せた後、そのテストの解答者を疑わしくじろじろと睨んでいる。そして、その人物を読み上げた。

「…………向坂雄二」

 ……今、なんと仰いましたか?先生。
 雄二が合格?
 ありえんでしょうが。少しだけ様子をうかがっていたが、奴は試験が始まって早々、 さらさらっとシャーペンを動かしただけで、後の時間は居眠りを決め込んでいた。
 何処をどうすれば75点以上なんて点数が。

「にわかには信じられないが……99点、最高得点者だ」
「やっほおーい!!これで、この夏は可愛いあの子と遊び放題だぜ!!」
「ちょっとまてえい!」
「おっ!そういえば、お前も合格してたな。よかったじゃねえか。」
「まあ、それは確かによかったが、それよりおまえだよ!何したんだ!?」
「なんにもしてないぜ。実力よ、実力」

 そして、口を怪しくゆがめる。
 この態度は間違いなく何か特殊な裏工作、カンニングに相当する何かをやってきたってことだな。
 100%実力など関与していない何かを。
「じゃ、こんな暑苦しい教室さっさとおさらばして、貴明、帰ろうぜ。それにお前ん家にはあの双子姉妹達が」
「あーーーー!!よしっ、帰るか!お前の言うとおり暑いしな」
 こいつ、ここで瑠璃ちゃんや珊瑚ちゃんが家にいることを言うなんて正気じゃない。
 ここには1年生の追試者もいるんだぞ。当然姫百合姉妹のことは1年生の間じゃけっこう有名であって、下手したら、ある事ない事訊ねられて帰るどころじゃなくなる。
 腹が立つのはこいつの表情、にやけまくって完全に楽しんでるだろう?お前。
 俺はこいつがもう余計なことを言う前に、奴の腕を引きこの教室を出ようとした。
 しかし、意外な人物が俺たちを引きとめた。いや、考えてみるとそんなに意外でもないか。
「ま、待ちなさい!向坂くん」
「ああ?」
「ちょっと、職員室に来なさい。2、3質問したいことが・・・・」
 そりゃ、そうだよな……。試験官の先生は俺たちを(特に雄二を)じろじろ疑いのまなざしで睨みながら教室を出て行った。雄二は舌打ちすると、俺のほうに振り返りさっきとは打って変わっためんどくさそうな表情で俺に言った。
「30分で戻ってくるからよ。校門で待ってろよ」
 そう言い放ち、俺の返事など聞かず、先生の後を追い教室を出て行った。
 おいおい、俺も実は早く帰りたいのに…………仕方ない。

「おーっす、待たせたな」
「待たせたなじゃねえよ!これがお前の言う30分なのか?」

 俺は校門の前に座り、ぬけぬけと手を振る雄二に怒鳴った。
 雄二は校舎からなんと1時間を経て出てきた。何度帰ろうかと自問自答しただろう。
 やっぱりイルファさんにいつか言われたとおり俺はお人よしなんだろうか?

「仕方ねえだろう。あの先公が何度も何度も同じ事ばっかり聞いて来るからよ。『ぶつは何処だ?』とか『誰からのネタだ』とか『不正でいい点とってもお前のためにならないだ』とか挙句の果てに制服脱がして身体検査までしようとしやがった。トイレに行く振りしてここまで来たわけだ」
「……なんか、刑事みたいな聞き方する先生だな、ていうか出てきていいのかよ」
「どうせ本当に証拠なんかねえんだ。俺がいたところで時間の無駄さ」

 雄二は勝ち誇った笑みを浮かべて校舎のちょうど職員室のほうを見ている。
 証拠が何も残らないカンニングなんて存在するだろうか?だんだん、雄二が本当にまともに追試に挑んだかのように思えてきた。なんせ、こいつはあの超人タマ姉と同じ血が流れてるんだ。
 やるときは本当にやるなんてことが……

「なあ、雄二……おまえ、本当に昨晩猛勉強を?」
「まあまあ、貴明さん。とにかくヤックによってこうぜ。そこでいろいろ話すからよ。」
「いや、俺急ぐし、ここで話せ」
「ここだと先公に聞かれるかもしれないだろうが……ちっ、おまえ、変わったな。」
「はあ?」
 何を訳のわからないことを
「昔はあんなに女が苦手だったのによ。今じゃ早く会いに行かなくちゃだろう? あの姫百合家の方々に」
「……アホか」
「照れるな照れるな。しかっしよ、まったく世の中不公平だよ。本当に、あの女嫌いの貴明がね、こんなもてもてになっちまうなんて。しかも、メイドロボを三体も侍らせてるところこの前見たときはお兄さん、暗殺を依頼しちゃうところだったよ。」

 見られていたのか……確かに、ミルファと一緒に買い物に出かけたとき、偶然出くわしたイルファさんとシルファと行動を共にしたけど、他人から見るとそんな風に見られていたのか、俺たち。外での行動はくれぐれも慎重に気を配らないとな。
 まあ、今後のことは明日にでも考えるとして、今をどうするか? 決まってる。

「雄二! 悪いけど、本当に行かなくちゃならないんだ。明日ヤックでも何でもおごるからさ」
「いーや、今日付き合おうぜ。たかあきくーん」

 こいつ……完全に逆恨みモードに入っている。そんなにメイドロボといっしょにいたところが気に食わなかったのか。
 もうだめだ。開き直りに入ったこいつを止められるのは、こいつの天敵であり最強の血族である彼女しか……。

「さあ、そうと決まれば善は急げ。ヤックにでも行きますか! 話しましょう、今後のことを何時間でも」
「何を話すって……?」
「だからよー、夏休みの」

 そこで雄二の言葉は途切れた。ガッと何かを掴んだような音がして雄二の体が10センチほど浮かび上がる。
 ちなみに言っておくとこの「何を話すって……?」の台詞は俺が言ったんじゃない。
 掴んでいる指は白く、腕は平均的に細い部類にはずなのに雄二の体をいとも簡単に支えている。
 雄二の背後から見えるその人物は見なくても分かった。タマ姉だ。隣にはちょこんとこのみまでいた。
 タマ姉はにこにこと天使の微笑を浮かべながら雄二を片手だけでどんどん持ち上げていく。
 その姿は異様で背筋に寒気を感じさせる。

「あら、タカ坊じゃない。今日も暑いわね」
「タカくん、こんにちはであります!」
「あっだだだだだあだだだだだだ、あね、アネキ!!?」
「タマ姉、このみ、どうしてここに」
「んー、なんか嫌な予感がするってミルファに言われたから学校まで迎えに来たのよ。でも早く着きすぎちゃって、まだタカ坊たち試験中だったから、久しぶりに生徒会に顔を出したの、そしたらいろいろ押し付けられちゃってね。でも、ささらさんの元気そうな顔が見れて良かったわ」
「おれ、おれ、全然元気じゃねえんだけど!!!」
「それで終った頃にここまで来たら、あら偶然、このバカと愛しのタカ坊がいたってわけなのよ」
「じ、じつの弟は愛しくねえのかよ!」
「黙りなさい、このカンニング犯」
「な、なんでアネキが、知ってんだ!?」
「生徒会で仕事していた私が先生に相談を持ちかけられないわけないでしょ。仮にも親族なんだから」
「仮じゃねえだろうが、このゴリ…」

 めこめこめこめこめこめこめこめこ………という不気味な音がして雄二は悲鳴を上げるひまもなく意識を失ったようだ。
 俺の目の前にゴロンと寝かされた雄二は完全に白目をむいていてこめかみにはタマ姉の指と爪の痕がくっきりと刻まれていた。お、恐ろしい……・。
 俺は無残な雄二の屍をちょっと小突いてみたが反応はない。本当に一瞬でタフな雄二の意識を刈り取ったようだ。当分起きることはないだろう。
 なら、雄二には悪いが今すぐにでも家に向かわなければ。
 俺はそう考え、雄二(仏)に手を合わしてから校門を出ようとすると、ものすごい力で肩をつかまれた。

「うおっ!」
「もう…少しくらい、私とこのみになんか言ってくれてもいいんじゃないの、タカ坊」

 恥じらいを見せて頬を染めている素振りを見せてはいるが、俺の肩をつかんでいる手には尋常じゃない力がこめられている。もし、逃げようものならば俺の肩は肩甲骨ごとこなごなにされるだろう。
 このみも頬をぷーっと膨らませながら俺に抗議して来た。

「そうであります! 最近タカくん、冷たいよぉ」
「そ、そうはいっても…ほら、俺にも事情が。このみやタマ姉には悪いけど」
「行くのはまあ良いとして…ちょっと質問したいことがあるんだけど」
「まあ、手短に済ませてくれれば、何でも答えるよ」
「追試はどうだったの?」
「ん、それは、おかげさまで」

 そう言うと、タマ姉は心のそこから喜んでいるような笑顔を見せてくれた。
 このみもいつもニコニコしているが、今はそれ以上に嬉しそうだ。
 そうだよな。この二人の協力もけっこうあったし、この二人の協力は大いに俺の助けになってくれた。
 タマ姉には勉強を教えてもらったし、このみはいろいろと俺の世話を焼いてくれた。
 本当に感謝してもし足りない。

「そう、よかったわ、よくがんばったわねタカ坊」
「みんなのおかげだよ。ありがとな、タマ姉、このみ」
「そんな……がんばったのはタカ坊よ。私たちは手助けしただけ」
「えへヘ……おめでとう、タカくん!」
「あー、でも、タマ姉も察しはついてるだろうけど雄二がイレギュラーを……」
「そのことなんだけど、今日のテストはマークシート? それとも、記述?」

 いきなり、何を言い出すんだ? そんなこと知ってもタマ姉の得になるようなことはないと思うけど。
 まあ、聞かれてるんだから答えるか。

「ほとんどマーク式だったよ。証明問題だけ過程の式を書く別の用紙が配布されたけど、それがどうかした?」
「あそ、じゃあ大体分かったわ。こいつのカンニング方法」
「えっ!?」

 やっぱりカンニングの種はあったのか。

「単純明快。追試が始まる一週間前から教職員用のパソコンにハッキングして解答番号を盗んだのよ。この子最近はまってるみたいで、いろいろ勉強してたみたいだから。」

 なるほど、確かに最近の安いマークテストはコンピューターで作られるものらしいから、それなりのハッキングの腕があればデータから答えを盗むことくらい容易だろう。
 しかし、分かっていてもやる奴が世の中にいるとは、こいつもある意味恐ろしいな。
 俺はのびている雄二を見た。

「いいわ、雄二にはこれからたっぷりお灸を据えとくから、タカ坊とこのみは家に帰りなさい。みんな待ってるわよ」
「あ、ありがとう。タマ姉。それとまあ、ほどほどに……」
「キャッ、優しいのねぇ、タカ坊。可愛い……♪」

 そう言ってタマ姉は俺に急に抱きついてきた。
 うおっ、タマ姉の柔らかい胸の双丘が容赦なく俺の理性を揺さぶってくる。

「やっぱり、タカ坊の抱きごこちはいつでも何処でも最高ねぇ」
「だ、だめだよぉ、タマお姉ちゃん!タカくんが困ってるよー、私もしたいのに……」

 このみよ。そう言うならなんかうらやましそうな眼差しを向けてないで引き剥がす手伝いでもしてくれ。
 それと今、危険な発言が聞こえてきたような気が……気のせいか?
 それよりも、今のタマ姉はもはや雄二のことなど頭になく俺の胸にスリスリと顔を摺り寄せている。
 ま、まずっ……このままじゃ、本当に!
 危機を感じた俺はそっとタマ姉の腰の真中あたり…雄二も知らないタマ姉のウィークポイントに指を這わせた。

「あっ……あん」
「今だ!」

 タマ姉の尋常じゃない抱擁に込められていた力が緩む。
 その隙を見逃さず、俺はタマ姉の腕から体ごとすり抜けた。
 そして、普段の自分ではありえないくらいの敏捷さで地面を這い自分の鞄を取る。
 あとはこの場を立ち去り、このみを連れ家に戻るだけだ。

「このみ、行くぞ! タマ姉、悪いけどそれじゃ!」
「あっ、待ってよ。タカくーん!」
「ま、待ちなさいタカ坊っ! まだ、もうちょっと…」

 最後の言葉は聞かなかったことにしてしまおう。とにかく、ここを離れることだ。
 さっき時計を見たら戻るといった時間にもう30分も遅れをとっている。
 もう瑠璃ちゃんやミルファの蹴りが炸裂するのは確定的だが、これ以上遅れるとイルファさんさえ怒らせかねない。
 それはあまりにも酷だ。想像したくもない悪夢。まさにそれが今現実のものとなろうとしている。
 俺への被害を最小に抑えるためにも、今ここでがんばらなければ…!
 俺は鞄を肩にさげ、一目散に学校の敷地内を駆け抜けていった。目指すは俺の家。全速力でいってやる。
 校門を抜ける際、 「もう、一途なんだから…」 とかいう、タマ姉の声が聞こえもしたが、後々家に帰ってからそのことは考えることにしよう。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
「タカくん、タカくん。もうすぐお家だね」
「おまえ…はあ、俺の、後ろ…走ってたのに、はあ、何で…並んで?」
「てへ♪」
「てへ…じゃねえよ、コラ」

 学校から走ること数十分。
 このみの言うとおり家が大分近くなってきた。あと情けない話だが体力の限界も近くなってきた。
 そんなわけで、とりあえずもう息を落ち着かせるためにも歩いて向かうことにした。
 それでも、もうあと5分もかからずにつくだろう。良かった、どうやらなんとかなりそうだ。
 だが、家に帰っても遅れてしまったことは事実なんだよな……瑠璃ちゃんの飛びげりを受けるのは確定的だろう。 あれをまた食らうと思うとぞっとするよ。

「タカくん、なんか下痢したときの顔みたいになってるよ」
「下痢か……。確かに腹の調子は悪くなりそうだな……」
「へ?」
「いや、なんでもないよ」

 このみはいいよな、まったく。
 念願(?)の家についに到着した。紆余曲折したものの俺は今家のドアの前に立っている。
 いつも見ている我が家だが、今日は違った感じに見えるようだ。中にいる人たちのオーラのせいだろうか?
 まずい、ドアの前で硬直している俺をこのみがなんか不思議そうな顔で見ている。今にも「どうして開けないの」と尋ねてしまいそうな表情だ。

「怖いからです」

 なんて答えるのは男の尊厳を自ら失う暴挙だろう。
 しかし、事実なのが何とも情けない。だが、このまま硬直しているわけには行くまい。
 意を決さなければ。だが、その決意をいとも簡単に鈍らせる声が家の中から聞こえた。

「もー、なんで遅いのよ!たかあき」
「大丈夫です。環さまから連絡がありましたから。もうすぐ、こちらにつくそうですよ」
「あんのバカたかあき、帰ってきたら真っ先に蹴り入れたるわ!」
「る、瑠璃さま、たかあきさまに乱暴は……」
「あんなぁ、しっちゃん。そういうんが瑠璃ちゃんの愛情表現なんやで〜♪瑠璃ちゃん、恥ずかしがりややからね〜」
「そ、そうだったんですか。すみません、瑠璃さま」
「そ、そんなわけあるかー!さんちゃんでたらめばっかいわんといてよ」
「ああん、瑠璃さま!どんな過激な愛情表現だろうとこのイルファ、受け止める覚悟は出来ております! さあ、貴明さんよりも先に私に!」
「何言うてんの!?イルファのアホ―――!」
「早く帰ってきてよー、たかあき――――!」
 阿鼻叫喚とは正にこのことをいうんじゃないのか?
 声だけしか聞こえないが、みんなの表情が手にとるように分かってしまう。アハハ俺、エスパーかな?
 ……現実逃避していても仕方ない。だれかが止めにゃならんのだ。しかし、ドアノブを握る手に力が入らない。
 そして、いつのまにか俺のこめかみには体温調節のために出る方じゃない、冷たい汗が流れている。
 このドアを開けたら間違いなくひどい目に会う。と俺の第六感が警告を出しているよ、気のせいじゃないな。
 こんなとき普段の俺だったらこんな厄介事には首を突っ込まず、このみの家に避難しほとぼりが冷めるのを待つだろう。
 だけど、今はそういう状況じゃないよな。
 それに「早く帰ってきて」か……まァ、仕方ない。 無理やり自分を納得させた後、俺はドアノブを引っ張りおそるおそるといった感じで開けた。

「た、ただいま……」
「おじゃましまーす」

 まず、最初に見えたのがお馴染みの尖ったイヤーカバーをつけて、ケーキを持っているミルファだった。
 ケーキのチョコレートには『おめでとう!たかあき』の文字が。タマ姉から電話で聞いたのか?俺の合否を。
 だが、そんなことはあんまり気にならなかった。はっきりいって、すげーうれしい。
 次に目に入ったのはもつれ合っているイルファさんと瑠璃ちゃん。
 瑠璃ちゃんは顔が真っ赤だし、イルファさんに至っては服がはだけている。ちゃんと直してください。
 最後に、シルファと珊瑚ちゃんが仲良さそうにリビングに入ってくるところが見えた。
 シルファはエプロンを新調したらしい、珊瑚ちゃんがあげたのか?
 とまあ、ここであげたのは俺が玄関に足を踏み入れたときの状況であって、もうみんな俺に視線を集めている。

「た…」

 最初に動いたのはミルファだった。

「たかあき――――!」
「うおっ」
「きゃっ、ケーキが!?」

 ミルファは俺の姿が確認できるやいなや、持っていたケーキを手放し、俺に抱きついてきた。
 勢いあまって倒れる俺の体。そして、しこたま床に打ち付けられた頭。……意識が飛びそうだ。
 こんな状態なのにイルファの豊満な胸に反応してしまう俺って、実は変態かもしれないな。
 そうして、しばらくぎゅーっと抱きついた後、ようやくミルファは俺と顔をむき合わせた。
 その表情はご立腹の様子。まぁ、なぜかなんて分かりきってることだけどな…。

「むー、遅すぎだよ!まっすぐに帰ってくるって言ってたじゃない!」
「すまん、いろいろ問題が……」
「言い訳なんて聞きたくなーい。私たちはこうしてたかあきの合格を祝うためにいろいろ準備してたのにぃ」
「準備…そうだ!お前さっき持ってたケーキはどうした?確か放り投げてたよな!?」
「大丈夫、大丈夫。シルファがちゃんと取ってくれたもん」

 顔をあげて見てみると、倒れこんだシルファの背中に無事着地したケーキが崩れず乗っていた。
 ナイスプレイ、シルファ。後で何回でも頭をなでてやるからな。今はそのまま、我慢してくれ。
 とりあえず、さっきからしがみついたままでいるこいつをどけないと。

「ミルファ…そろそろ、どいてくれないかな?」
「やだ」
「やだじゃない、第一恥ずかしいだろうが」
「私は恥ずかしくないもん。ずっと、たかあきとこうして…」
「はいはい、そこまでですよ。ミルファちゃん」
「うきゃ!」

 突然、体に感じていた柔らかな重みが消えていくのと共にミルファの体も離れていく。
 自由になった俺はとにかく起き上がってみるとどうやらイルファさんがミルファの首根っこを掴み、俺の体から引き剥がしてくれたようだ。
 イルファさんの様子を見ると先ほどまでの行為の後を微塵も感じさせないくらい居住まいが正されている。
 ここまでくると、感動するよ。その切り替えの早さには。

「あまり失礼なことを考えているようでしたなら、ひねりますよ?貴明さん♪」
「イルファさん、心を読まんでください」
「顔に出やすいのがいけないんですよ」
「あー!姉さん、何するのよ。私はもっとたかあきと愛のスキンシップを」
「どの口がそんなことを仰るんですか!大事なケーキを放り投げておいて。シルファちゃんが奮闘してくれなかったらとんだお祝い会になっていたところです!」
「そ、それは〜」

 確かに反論は出来ないよな、ミルファ。明らかにシルファに向かって投げたわけじゃないしな。
 それにしても、かなり痛かったな、頭部への打撃は。たんこぶになってなければいいが。

「いつつ…」
「タカくん、大丈夫?」
「ああ、俺は大丈夫だから。このみはあそこでのびてるシルファを助けてやれよ」
「うん!」

 このみは廊下に上がり急いでシルファのもとへ向かっていった。うむ、このみと珊瑚ちゃんがシルファを助け起こす場面は小さな体を寄り添いあっている光景がなんとも微笑ましい。

「いやーん、たかあき、たすけてぇ」
「行きますよ、向こうでおしおきです」

 一方イルファさんに引きずられ居間の方に連れていかれるミルファの姿は非常に痛々しい。
 俺は助けを求めてくるイルファに苦笑して手を振るしかなかった。
 だって、そうだろう? 微笑を浮かべているイルファさんが俺のほうを振り向いて、邪魔するなと訴えかけている。
 容赦はないらしい。俺だって我が身はかわいい。みすみす、人間誰だって自ら崖に飛び降りることはしないはずだ。多分それと同義だろうよ、これは。
 それにこの件に関してはミルファにだって十分反省すべき点があるのだ。
 俺がミルファを哀願の目で見送っていると、玄関で呆然としていた瑠璃ちゃんが、イルファさんがいなくなったあと我に帰ったようで、憎い敵を見るような眼で俺を見ていた。

「る、瑠璃ちゃん? もしかして怒ってる?」
「当たり前や、このドアホ! 何分遅刻したと思ってるん?」
「それは、悪かったよ、本当。でもさ、一応ほら、追試は合格したわけだし。これで、瑠璃ちゃんたちと思いっきり夏休みを楽しめるわけだから」
「今、このときの話をしとるんや!」

 と、瑠璃ちゃんはその細い足を上げてきた。俺はいつも通りの飛びげりがくるととっさに身構えたが予想していた衝撃は来ず、瑠璃ちゃんの様子をうかがうとなんだかとっくに足は下ろされており、なんだか、ちらちらこちらの様子をうかがうような仕草を見せながら、言った。

「と、いつも通りならけりをくれたるところやけど、今日は貴明も貴明なりに頑張った日や。特別に勘弁したるわ」
「あ、ありがと…」
「勘違いせんときよ! 今日だけやからな。夏休みに入ったらびしばし行くで! 夜道の一人歩きに気いつけるんやな!」
「夜でも襲うの!?」
「貴明が変態行為に走った場合のみや」

 そう言い捨て、なにやら満足そうに瑠璃ちゃんは居間に入っていった。わけわからん。
 さて、どうやら遅刻のお咎めはミルファに抱きつかれた時ぶつけたこのたんこぶ一個だけのようだ。
 これは嬉しい誤算だ。夏休み前日から幸先がいいな。俺は意気揚々と居間に入っていった。
 居間に入ったとき、何かの破裂音に途端に身がすくんだ。それがクラッカーの音と気付くのに数秒を要した。
 そしていつもの居間はいろいろなかざりで華やかに装飾され、パーティー会場の呈をようしている。
 なぜか、テーブルの周りには皆さん座っていて、俺一人だけぼーっと突っ立っている構図になる。
 テーブルの上には所狭しとうまそうな匂いを発している料理が並べられていて、真中にはさっきシルファが決死の思いで守り抜いたケーキが乗っている。

「みんな…」

 情けないことに、何を言っていいのか分からなくなってしまった。もちろん、嬉しさでだ。

「おめでとうございます、貴明さん」
「おとー…じゃなくて、たかあきさまのために一生懸命準備したんですよ」
「えへへ、このみもちょっと手伝ったんだ。」
「ウチはこの部屋の装飾担当したんやー、たかあきーほめてー」
「残したら今度こそ蹴り入れるからな」
「たかあき、たくさん食べてね♪」

 そういって、ミルファは自分の隣のイスを勧めてくる。
 俺は勧められるままにそのイスに座った。その際ミルファは自分のぬくもりが俺に伝わるぎりぎりの所までくっついてきた。これも毎度のことなのだが、今日は最初のときのごとくどぎまぎしてしまう。ミルファに触れられている部分が妙にこそばゆい。隣にいる女の子の柔らかさをつい意識してしまう。
 なんだか落ち着かない。みんなが俺を注目している。
 何を言っていいのかさえわからない。きっと、こんなのには慣れてないからなのだろう。
 こういう場合、主役がきっと何か言わなきゃいけないんだ。それはわかってる。
 だけど、いろんな感情が渦巻いてる今の心境でいい台詞など浮かぶはずもなく、俺はテーブルの前で口をパクパクしているだけだった。
 何から言おうか、まずこれを見たとき驚いたことか、それとも俺のために準備してくれたことへの感謝の気持ちか?
 それとも…それとも…

「たかあき、緊張しなくていいんだよ」

 緊張で頭の回らなくなった俺にミルファのか細いささやき声が聞こえてきた。
 俺にしか聞こないくらいの声だ。

「みんな、たかあきに喜んでもらいたくて、たかあきのためにやったんだから。たかあきが嬉しそうにしてくれてればそれだけでいいの。少なくとも、私は……そう」
「ミルファ…」
「今日はたかあきのためのお祝いなんだから、主役がテンパッてちゃみっともないよ。どーんと行っちゃってよ」

  そう言って、笑いながら俺の背中を小突く。俺はミルファの言葉を聞いてちょっとだけいつもの自分に戻れた気がする。まだ、緊張が幾分か残っているが、それでも、話すことを思いつくくらいは出来た。
 こういうとき、主役は立つもんだろうと勝手に決め付け一応それにのっとてみたりする。
 まあ、これはあくまで気分の問題だが。

「あー、みなさん今日は僕のためにお集まりいただきこんな盛大なパーティーを開いてくださり感謝の言葉もありません。今日は一応追試合格と、夏休みが完全に自由になったわけですが、これからの予定はすでに決まっている所存であります。この夏休みはここにいる俺のかけがえのない仲間と盛大に遊びまわる夏にしたいんだ! とりあえず、今日はその始まりの一日ってことで俺だけでなくみんなも思いっきり楽しんでくれ」

 と、挨拶をしてみたわけだけど考えてみると、なんともつまらない格式ばった文句だなとしみじみ思うんだが、隣に座っているミルファやシルファ、イルファさんやこのみはなんかうっとりとした目で俺を見ていて、珊瑚ちゃんはいつも以上にニコニコしてるし、瑠璃ちゃんはなんだか恥ずかしそうにそっぽを向いている。
  受けたのか?これでいいのだろうか。

「もうだめ〜、今日のたかあきいつも以上にかっこいいよぉ」

 不安になってきた俺の隣で我慢できなくなったらしいミルファが再度俺に抱きついてきた。
 隣同士でさらに密着していたのだが、抱きついてきたことで、その、ミルファの立派な胸が腕にじかに当たって気持ちイ…じゃなくて、早く離れないと俺の理性が、タマ姉のときのごとくまた…。
 それだけじゃなく、首筋に顔まで摺り寄せてきて、柔らかい唇が首筋に、って、これはまずい! いろんな意味で。
 俺の危機(?)を知ってか知らずか、イルファさんはなんかくねくねしてるだけだし、シルファと来たら指をくわえて「私もとなりが……」とか言ってるし、このみにいたっては俺を睨んで頬を膨らませている、何を怒ってんだ?

「あははー、みっちゃんはたかあきのことすきすきすきーやなぁ。らぶらぶやー」

 珊瑚ちゃん煽るのはやめてくれ、本当。

「………貴明のエロアホスケベ、甲斐性なし」

 珊瑚ちゃんは蹴りこそ飛んでこないまでも、非常に傷つく言葉の暴力が飛んできた。
 甲斐性なしって…。

「ムっ……!」
「な、なんだ?」

 ミルファはさっきまで俺に抱きついていたはずなんだが、俺の胸あたりをくんくんと匂いをかぎ始めた。
 先ほどの喜びに満ち溢れた笑顔ではなく、なんか険悪そうな表情で。
 そして、何かに確信したかのごとく首を縦に振っている。

「間違いないわ」
「ど、どうしたってんだ」
「他の女の匂いがする。」
「はあ? 他の女って、ここは他の女だらけだろうが」
「違うわよ!ここにいる人たちじゃない。もっと別の女の匂いがたかあきの服からするの!今、データベースからこの匂いを発している人物を検索中……そう、環ね。環の匂いよ!」
「タマ姉? ………あっ!」

 校門の前、そういえば今雄二にきついお仕置きを加えているはずのタマ姉!
 あのとき、最初に会ったときに匂いがついたことにようやく俺は気付いた、不覚…。
 どうする? 力がだんだん抱きついてくるんじゃなくてベアバックみたいになってきたぞ。
 なんかぶつぶつ言ってるし、目はこないだ見た昼ドラの浮気された若奥様みたいな目つきになってるし。
 こ、怖い。怖すぎる。まずい、本当どうにかしなくては!

「ち、ちがうぞ。ミルファ。おまえの検索ミスだ! これはさ、イルファさんの匂いなんだよ。さっき、ちょっとした事故で体が密着しちゃってさぁ」
「た、貴明さん!?」
「姉さんと体が密着したですってええええ!」
「やっぱ、うそ! 本当はさっきこのみと急いできた時ちょっと石ころにけっ躓いてそれで、このみとぶつかって……」
「ええ? そんなことあったけ?」
「押し倒したのね!くきいいいいいい!」
「ち、ちがーう!」

 もう、なんか歩くたびに地雷に直撃してる気分だ。俺の今の言動全てがミルファの怒りを買い増大していく。
 ついに、一番のデカぶつに噴火。ミルファは俺をホールドする力を一層強め、体の全機関を最大にし、怒りを言葉にした。

「この、うわきものぉぉぉおおおおおお!!」
「ぐわあああああああああああああああああ!!!」

 俺は今日最大の悲鳴をあげ、ミルファの渾身のベアバックにより意識が途絶えた。
 イルファさんの介抱とミルファの必死の手当てにより、とりあえず意識を取り戻した後も、パーティーは続いていった。
 ミルファは途中から参加してきたタマ姉と雄二のおかげで誤解だったことをようやく分かってくれて、一応仲直りには成功した。その後は飲めや歌えやの大騒ぎだ。実はこの飲めやは比喩表現でなく本当の話になってしまった。
 雄二は家から、向坂のおじさんが愛飲しているという、ほとんどアルコールでできているみたいな酒を拝借してきたらしく、それをこのみや瑠璃ちゃん、珊瑚ちゃんのジュースに混ぜるという暴挙に出て、べろんべろんになったこのみと、普段とは正反対の甘えん坊になってしまった瑠璃ちゃん、普段とまったく変わらずけらけらと笑っている珊瑚ちゃんの相手をするのに、俺の精神と体力ははかなり消耗してしまった。

「タカくーん、もうだめでありまーす……ふにゅー」
「おい、このみ。しっかりしろ! 雄二てめ、絶対後で殴る!」
「貴明ィ、あんなぁ、ぎゅってしてぇ」
「な、何を言って、正気に戻れ! 瑠璃ちゃん!」
「あっはははは、瑠璃ちゃんもこのみんもうちもみんな貴明にめろめろやー」
「珊瑚ちゃん! 何でキミは五杯も飲んでんのにそんな正気なの!?」
「る、るるる、瑠璃様!! その艶姿、激可愛すぎです!! 私の大切なメモリーにきちんと保存させていただきます!」

 とまあ、こんな惨状な訳で。
 このあとこの惨状を招いた張本人である雄二はタマ姉のベア―クロー(究極完全怒髪天スペシャル)をくらい翌日の昼過ぎまで意識を失う羽目になったのは別の話だ。 なんやかんやで楽しかった祝いの宴もそろそろ終了が近づいていた。
 台所ではタマ姉とイルファさんが料理の後片付けをしているし、シルファは眠ってしまった(一人気絶)人たちのために毛布をとりに姫百合家まで戻っている。
 そして、縁側には残りの料理を平らげている俺とそれを横でうかがっているミルファのみになっていた。
 なぜ、縁側に座っているのかというと、タマ姉たちの邪魔はしたくないし、なんか今日は星がすごく良く見えるというくさい理由からだ。今日は昼も夜も雲ひとつない天気らしい。
 満天に広がる星空を見ながらみんなが食べた料理の残り物を食べる。情緒、あるよな?
 ミルファはメイドロボなのになんでみんなの手伝いをしなくていいのかと聞いてみたら、貴明専属だからいいの、という答えが返ってきた。怒らなきゃならないんだが妙に気恥ずかしくてそれも出来なかった。

「あっ、それ。私が味付けした奴だよ。どう、おいしい?」
「ああ、俺好みの味付けになってて、すごくおいしいよ」
「そう?よかったぁ〜」

 なんだか、気分を良くしたらしいミルファは自分のMY菜ばしを手にとり、例のあれをやってきた。

「はい、あーんして……」
「……なあ、今日はもう散々した気がするんだが」
「もっとしてくれなきゃやだもん」
「しょうがない……あ、あーん 」
「はい、どうぞ♪」

 優しく俺の口の中に入れられたハンバーグはそれはもうすばらしい味だった。肉もちゃんと焼けてるし、ソースも絶品だ。まったく申し分ない。さっきから、こんなやりとりがずっと続いてるような気がする。
 その証拠に俺の腹はだんだん満腹に近づいてきた。

「ミ、ミルファ、悪い、もう食えん」
「そう? じゃあ、お皿片付けてくるね」

 そう言って、俺が食べた料理の皿を持って、出て行こうとするミルファ。
 俺は手持ち無沙汰に空を眺めた。先ほども言ったような満天の星空だ。
 俺は対してロマンチストじゃないし、自惚れ屋でもないはずだ。だけど、いまそいつらが考えてるようなことと同じことを俺も考えているのに笑みがこぼれた。

「待って、ミルファ」
「え、どうしたのたかあき?」
「なあ、皿は後でも片付けられるけど、こんな綺麗な星空はきっとそう何度も見れるもんじゃないぜ。ぼんやり座ってみてよう、イルファさんやタマ姉には悪いけどさ」
「……そ、そうだね。私も…見たい、一緒に」

 ミルファは皿を自分の脇に置き、俺の隣に座った。顔は真っ赤だ。きっと俺もそうなんだろうな。
 ここで流れ星とか流れてきたら、盛り上がりそうだけどそう上手くいかないよな……。
 俺たちはただ黙ったままだった。
 黙って自分の遥か頭上いっぱいに広がる何十年、何百年前の光を見つづけていた。
 だけど、お互い絶対に退屈なんてしてないと思った。お互いそんな無粋な奴じゃない。
 ミルファは自然に、本当に、自然に俺と手を重ねてきた。俺はそれに応じしっかり握る。
 ただ、手をつないでいるだけなのに、ほかの別の胸の奥のものまでかすかだがつなぎあっていくような感覚を覚えた。
 このときだけ、俺はミルファをメイドロボという機械だということを忘れていたんだ。
 なんだか、こそばゆい。くすぐったい。
 ふと、隣にいるミルファに目がいくと月明かりのせいだろうか? その桃色の長髪はいつもより可憐に見え、その大きく見開かれた目は光を帯び、小さく薄い朱を帯びた唇は一層可愛らしく見えた。
 一言で言うと、綺麗だ。
 そして、俺の視線に気がついたミルファは顔を赤くしながらまっすぐに俺を見つめてくる。
 どうしよう? 星なんて関係ないじゃん、もう。
 俺たちの距離はもうお互いの肩と肩がくっついている距離まで近づいてきた。
 その距離で見詰め合っているということは、もうお互いの唇まで数メートルもないということだ。

「ねえ、たかあき」
「うん?」
「私たち、もう星なんて見てないよね?」
「たぶんな」
「…………昨日、ドラマでやってた台詞覚えてる?」
「いや」

 これは真っ赤な嘘。しっかり覚えている。夕食を食べた後、勉強の合間にイルファといっしょに見たやつだ。
 これまたありふれたラブストーリーで、非常に退屈だったがミルファは真剣に見ていた。
 そんなわけで、俺が見ないはずもなく結局最後まで見てしまったわけだが、ミルファの言っているのは多分最後の主人公がヒロインに言う台詞のことだろう。これもまたくさい台詞なんだが、ひどく印象に残っている。

「感動したんだぁ、あのドラマ」
「ふーん」
「分かれゆく決して交わることのできない恋人達が命がけて愛し合う」
「そんな話だったな」
「最後の台詞が印象的だったなあ」

 同じ感想だったらしい。

「ねえ、言ってみてよー。私に向かって。」
「馬鹿言うな。第一覚えてないよ」
「うそつき、すぐ顔に出る」
「う」
「ほら、やっぱり知ってる」
「あっ」

 謀りやがった。イルファさんの影響か最近ずるがしこさのスキルを手に入れたようだ。

「私はたかあきのことなら何でも知ってるもん」
「そうか……そうだよな、俺専属のメイドだもんな」
「ちがうよ、それだけじゃない」

 そう言って、ミルファは体をさらに寄せ上目使いで俺の事を見ている。体の密着とか胸が当たってるとかそんなことより俺は徐々に徐々に俺の顔に近づいてくるミルファの唇に意識が集中していく。
 多分、俺も段々顔を傾けているんだろう、ミルファのそれに向かって。
 そう―――――あのドラマの最後の台詞はなんだったっけ、今なら恥ずかしいとかそんなこと超越して言えるかもしれない。思い出せ、そして言ってしまおう。

  あれは…………そうだ、確か

「「『あなたしかみえない』から」」

 同じ言葉が同時に聞こえ、同じ思いを抱き、俺はミルファの腰を抱き、ミルファは強引に俺の首に手を掛け引き寄せお互いの唇を合わした。
 フレンチではない。そんなんじゃ、お互い今の気持ちは満たされなかった。舌を絡ませあう深いキス。
 お互いの膵液を飲ませあう官能的な行為に俺たちは酔いしれ、陶酔した。
 胸に手がいきそうになったが、やめた。それこそ無粋だ。
 何分経ったんだろう? 俺は息が苦しくなって、唇を離した。

「あっ……」

 残念そうに唇を突き出したままでいるミルファ。メイドロボは息をする必要がないから、苦しくないんだろう。
 でも、俺は人間だ。何をするにも限界がある人間だ。それはロボットも同じかもしれないが。
 ミルファは縁側に座りなおして、自分の唇を指でなぞっていた。

「えへへ……貴明のキス、情熱的で積極的でびっくりしちゃった」
「俺はお前にびっくりさせられっぱなしだけどな。…………なぁ、ミルファ」
「なあに?」
「さっきの本当か?」
「本当。たかあきに嘘なんかつかないもん。私はたかあきがいるときたかあきしか見えないの。他のみんなは私のICUでは優先順位が低くなってるの。珊瑚様だって瑠璃様だって姉さんだってシルファだって皆そう。珊瑚様は万人が等しく平等の設定にしてくれてたらしいけど、壊れちゃった、ううん意図的に壊したのかな。科学的に言えばDIAのせいなのかも。でも、私はこう信じてるの」

 そして、俺を見てにこやかに微笑んだ。綺麗な笑顔だった。

「私はたかあきに壊されたんだって!」

 今はまだ、初夏に入ったばかり。暑い夏はまだ当分続きそうだ。夏休みだってまだ始まってすらいない。
 実はまだ俺は夏休みの予定の内容を珊瑚ちゃんから知らされていない。そりゃ、不安な気持ちも多少ある。
 だけど、関係ない。
 こいつがいればなんでも楽しくなる。幸せな気持ちになる。
 ミルファと一緒にいれれば、それでいい。あー、夏が楽しみだ。

 結局、朝まで流れ星はなかったが、満天の星空と、隣にいるこのわがままで嫉妬深くて甘えん坊なメイドロボは美しいままだった。





 おまけ……台所にて

「ねえ、ミルファとタカ坊遅いんじゃない。二人して縁側でなにやってんだか」
「おそらくナニではないのでしょうか?最近すっかり二人暮しの中で近づいちゃって」
「えっ!? それどういうことよ! ナニって」
「こないだなんか、ミルファちゃん。うちに来た時ずいぶん肌が艶やかで腰の切れが良くなってたから、毎晩毎晩……ウフフフ」
「なに言ってのよ。あいてはあのタカ坊よ! そんなの、あるわけ……ない?」
「何で疑問形なんですか。でも、分かりますよ。信じていたいんですよね。あなたとしては。大丈夫ですよ。基本的に私たちメイドロボは主人との夜伽はは主人から求められなくては出来ないようになってますから」
「そ、そうなの?」
「私たちDIAを兼ね備えているHMXシリーズは別ですけどね」
「ダメじゃないの!」
「でも、基本的な制約は強制力が強いですから、そう滅多なことじゃ……」
「滅多なことねぇ……」
「はぁ、この制約がなかったら私ももっと瑠璃様と……」
「え?」
「なんでもありません♪ 環様」





 あとがき

 放蕩者です。処女作です。むっちゃ駄文ですが、どうでしたか。
 姫百合家の面々は非常に好きなのですが、どうも難しい!!
 だいぶ原作と性格がずれ気味かもしれませんが、そこはどうかご容赦ください。


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