パジャマパーティ in 柚原家 〜恋の処方箋編〜
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 ご飯を食べて、お風呂に入って、お部屋に戻ればそこは天国。
 敷き詰められた布団はお日様の香りをぽかぽかと、軽く眠気を誘うような、そんな空間。
 でも、みんながパジャマに着替えたら――
「さぁーて! 今日は寝ないで遊ぶぞぉー!」
『おぉーっ!』
 そこからは女の子だけの特別な時間。遠慮という名の普段着は脱ぎ捨てて、いつもは気になる男の子の視線もなく、辺りに漂うのはリンスの香りとくすくす笑いだけ。楽しい楽しいパジャマパーティの始まりである。
「それにしても、こうやってお泊まり会するのも久しぶりだねー!」
 そう言って、さっそくよっちが布団の上に女の子座り。『おしゃべりしようよ』オーラ全開で、このみたちをおいでおいでしている。
 パジャマ代わりなのか、ごく薄いライトグリーンのTシャツに、それよりは少し濃いめのホットパンツという少年っぽい格好。その割に身体は『女の子!』しているものだから、なんとなく背徳的な色っぽさが滲んでいる。主に胸の辺りなど、年齢不相応にボリュームたっぷり。そばにあったクッションを抱っこしてニコニコしている姿など、くらくらするほどチャーミーである。
「そうだな……。でも、だからこそ今日は嬉しい」
 よっちの言葉に静かな口調で返したのはちゃるである。
 こちらは、ハートをあしらったBALMAINのコットンボイルパジャマ。わざとなのか少し大きめのサイズになっていて、袖といい襟といい、ちょっとだぼだぼだった。
 そんな、口調とは裏腹にガーリーな装いだが、ふっと微笑を浮かべて腰を下ろした様は、意外にも優雅。スレンダーな体躯を包んだフェミニンな格好は、思わず抱きしめたくなるようなキュートさだし、本人はあまり語りたがらないが、育ちの良さをうかがわせるに充分。よっちに負けず劣らず魅力的である。
「だね〜。久しぶりに見るこのみのパジャマも……くぁあ! 可愛すぎっしょ!」
「そ、そかな〜。ありがとー」
 そして、よっちのべた褒めに照れ笑いを浮かべたこのみも、布団の上にちょこんと乙女座り。普段はベッドで寝ているが、今日はみんなとお布団だ。
「前とパジャマが変わったな……。買い換えたのか?」
「うん。タマお姉ちゃんに見てもらったんだ〜」
 前回お泊まり会をした時には、ライトグリーンを基調とした、ベーシックなパジャマだった。だが、今日このみが着ているのは、襟元にレースをあしらった花柄七部袖のものである。湯上がりで下ろした髪も艶やかに、子供っぽい容姿の割にはずいぶんと大人っぽい装いだ。
 とはいえ、スタイルは前と変わらずお子様体型。グラマーな体つきならセクシー一直線だが、今はまだ可憐さ100%。少女の魅力全開のこのみである。
「くぁー、姐さんわかってるよなぁ、これはなになに? 襲っておっけー!押し倒してべいべー!っていう感じッスか、もう!」
「そ、それはだめ」
「やーらーせーろー!!」
「うるさい、よっち」

  ぱしっ!

「いたぁっ!」
 70%くらい野獣化したよっちの頭頂部に唐竹割りを食らわせるちゃる。
「な、なにすんのよ!」
「このみが嫌がってる」
「ちゃる〜、助けて〜」
 けだものよっちの腕からするすると逃れて、ちゃるに安住を求めるこのみ。ぽふっと胸の中に飛び込むと、母親に甘える子供のように背中に手を回して頬すりすり。
「よっちがいじめる〜」
「よしよし、いい子だ。もう大丈夫」
「あ、あたしいじめてないー!」
 ひとり除け者にされたよっちが抗議の声を上げるが、2人とも華麗にスルー。
「んふ〜…。ちゃる、わたしとおんなじ匂いがする〜」
「あ、あ、あ、ずるいずるい! あたしもあたしも!」
 二人重なって百合の花を咲かせ始めた二人に混じって、よっちもこのみに抱きついてごろごろし始める。
「やぁん、くすぐったいよぉ」
 そうして、三人の美少女がエアコンの効いた部屋で上になったり下になったりと、重なり合っていちゃいちゃいちゃいちゃ。なかなかコケティッシュな光景だ。
「くぁあ、このみ、良い匂いがするなぁ」
「え、ええ?」
「うむ。なんだか甘い……」
「ぼ、ボディソープかなぁ。でも、今日はみんなも同じ匂いだよ?」
「あはは、そうだね。あたしはいつも柑橘系だから……なんか不思議な感じだな」
 良いながら、よっちが自分の左腕から立ち上る香りに鼻を寄せてくすくすと笑う。
「このみのは桃の香りなんだね」
「うん。時々変えてみるけどね。よっちは確かビオレだったっけ?」
「そうそう。ライム&オレンジの。このみのはナイーブかぁ。あたしも使ってみようかなぁ」
「桃にするの?」
「いやぁ、あたしにそういうのは似合わないっしょ。柑橘系のはなかったっけ」
「たしか柚子があったと思うよ。でも、桃でも良いと思うけどなぁ」
「え、そうかな。へへ、ちゃる、どうよ。あたしに桃」
「……うーん……」
「なぜ詰まるか」
「緑茶のフレーバーとか……」
「緑茶かよ! 渋いな。シャンプーと合わなそー」
「ちゃるはもっと石鹸っぽい香りのやつだったよね」
 2人のやり取りに笑いながら、今度はこのみがちゃるの胸に鼻を寄せながら聞く。
「ん。キュレルを使ってる。乾燥しないぞ」
「ちゃる、乾燥肌だっけ?」
「今の時期は良いけど、冬とかカサカサ。しっかり保湿しておかないとダメ」
「そうなんだー。あ、そういえば冬とか、クリームたくさん塗ってたね」
 前の冬頃の事を思い出す。確かに、よくハンドクリームのチューブをひねっていたように思う。
「このみも気をつけたほうがいい。乾燥は女の敵だから」
「それアレじゃないの?」
 と、よっちがニヤニヤしながら親友の頬を撫でる。
「そろそろお肌の曲がり角ー」
「よっちじゃあるまいし……」
「んなっ、失礼な!」
 自分で言い出したことなのに、乙女に向かって失礼だと頬を膨らませるよっち。もっとも、この2人はだいたいいつもこんな感じなのだが。
「こう見えても、スキンケアはばっちりなんだぞー。いつ彼氏に触られてもばっちりだ!」
「え? よっち、彼氏できたんだ?」
 微妙な衝撃発言に、敏感に反応したのはこのみである。
「ねえ、どんな人?カッコ良いの?」
「え、あ、いやぁ、それはまだなんだけど。……まぁ物の例えでね」
「え? なぁんだ、びっくりしたぁ」
 言われてみれば、つい先週まで『女子校は出会いがないー』と電話やメールで愚痴をこぼしていたはずだ。さすがにそうすぐには、恋人はできないだろう。
「でも、ホント、彼氏欲しいなぁ。寺女に入ったのは後悔してないけど、やっぱり男の子がいないと張り合いがなぁ」
「そうなの?」
「んー。だってさ、このみとか見てると、やっぱ幸せそうだなって思うもん。ちゃるもそう思うっしょ?」
「よく判らない……」
 よっちの問いに、少し首を傾げるちゃる。だが、すぐにふっと微笑むと、「けど、河野先輩みたいな人なら、確かにいいかもしれない」と言った。
「あ、だ、ダメっ。タカ君は私のタカ君なんだから」
「ふふ、心配するな。取らないし、たぶん取れない。河野先輩も、きっとこのみだけしか見ていない」
「確かにねー。河野先輩って大事にしてくれそうなイメージあるもんね。ちょっと頼りないけど」
「た、タカ君は頼りになるよぉ」
「あはは、そうかそうか。このみにとってはそうだよね」
「む〜」
「そう言えば、よっちはどんな人が好みなんだ? 聞いたことがなかった気がする」
「あー」
 ちゃるの言葉に、少し考えている風のよっち。しばらくあれこれと考えているようだったが、やがて2人から少し離れると、先ほど放り投げたクッションをもういちど抱きかかえて「えへへ、そうだなぁ」と何やら照れくさそうに話し出した。
「カッコ良い人がいいなぁ、やっぱり」
「カッコ良い人?」
 それだけではよく判らず、このみの顔にハテナマークが浮かぶ。
「うん。やっぱ見た目って大事っしょ?」
「あ、見た目重視なんだ。よっち、面食い〜」
「あはは、まぁ、そりゃ見た目だけーってんじゃダメだけどさ。中身だけで見た目ぜんぜん〜じゃ、ねえ? せっかく彼氏にするんなら、ある程度カッコ良くないとさ」
「例えばどんな?」
「そうだなぁ、向坂先輩とかカッコ良いよね。見た目」
「ええー、ユウ君?」
 このみの脳裏に、向坂雄二の顔が思い浮かぶ。確かに見た目は良いが――
「でも、ユウ君と付き合うと、メイドさんのカッコとかさせられそう〜」
「あはは、そっか、メイドさんが好きなんだ。そりゃちょっと遠慮したいなぁ」
 メイドさんのコスプレをさせられたところを想像しているのだろうか、「ええ〜」とか「いや〜」とか口にしながら、よっちがくすくすと笑っている。意外と満更でもないのだろうか、何やらクッションをぽふぽふしたりして楽しそうだ。
「でも、一緒にいて面白そうってのはあるよね。メイドさんはともかく……」
「あ、それはあるかも」
「でしょ? よく冗談言ったりするし……、うん、そだな、やっぱり、それは重要かもしんない。見た目もそうだけど、それって大事だよね。あたしおしゃべりだから、無口な人が相手だと疲れちゃうかも。Gacktとか……すごくカッコ良いけど、何話して良いか分かんないよね」
 よっちの言葉に、テレビで見かけるGacktの様子を思い出してみるこのみ。確かに、見た目は中性的でカッコ良いけど、一緒にいるのは非常に気疲れしそうである。まぁ、普段は普段で違うのかもしれないが。
「そうだね〜。ヘンなこと言うと睨まれそう。芸能人で言うと、じゃあ誰が好きなの?」
「え、誰だろう。中居君とか?」
「あー、楽しそう楽しそう。いいパパになりそうな感じの」
「でしょでしょ。でもちょっともうオジさんかなぁ」
 相手に対しては何とも失礼な話であるが、思わず2人で笑い転げてしまう。言われてみれば、確かにもうずいぶんとイイ年のはずだ。
「じゃあ、よっちの好みは若い頃の中居君だね」
「まぁそんな感じかな」
「ちゃるは? ちゃるはそういうのある?」
「ん……」
 先ほどから2人のやり取りを静かに聞いていたちゃるに、このみが話を振る。よっち以上に男性の好みが不明だったし、この機会にぜひ聞いてみたい。
「あまり考えたことがない」
「そうなの?」
「でも……。優しい人が良いな」
「えー、でも、優しい人が良いってのは、みんなそうじゃないの? あんまり答えになってなーい」
 親友の回答に、よっちはご不満らしい。まぁ、『優しい人』だけではどんな人かよく判らないのは確かである。
「そうか?」
「じゃあ、芸能人で言うと誰よ。どんな感じ?」
「……加藤鷹」
「はぁ!?」
 思わぬ回答にびっくり仰天のよっち。対照的に、このみの方は誰のことだか判らない。きょとんとして2人を交互に眺める。
「え? 誰?」
「こ、このみは知らなくて良いの! っていうか、あんたそれマジ!?」
「冗談だ」
「だよねぇ? あー、びっくりした」
「え?え? 誰? 加藤さん?」
「だ、だから知らなくて良いって。……えっと、アレだよ、ま……マンガの主人公」
「あ、そうなんだ。へぇ、それ、貸してくれる?」
「あ、いや、うーん……また今度ね」
 何となく歯切れの悪い親友だったが、その内貸してくれると言うことなので、今は気にしないことにする。
 それにしても、よっちがあれだけ驚くというのは、何かギャグマンガとかの主人公だろうか? すごく変な人なのだろうか。何となく楽しみになってきた。今度タカ君にも聞いてみようと思うこのみである。
「まぁいいや、とりあえずちゃるは『優しい人』ね、うん、それでいいよもう」
「ん」
「で、このみは……」
「えへ〜」
「ま、聞くまでもないか。河野先輩っしょ?」
「うん!」
「かーっ、なんか当てられちゃうなぁ。幼馴染みが好きな人っていうアドバンテージがあったとはいえ、このみに先を越されるとはなぁ」
 満面の笑みを浮かべて頷いたこのみがよほど羨ましかったのだろう、よっちはクッションを抱いたまま布団の上をころころと横向きに転がり出す。
「うぁー、ほしいほしいほしい、あたしも彼氏ほしぃー」
 まるで駄々っ子だ。よほど飢えているのかなんなのか、それとも、そんなに自分は幸せそうに見えるのだろうかと、いろいろ複雑に思うこのみである。
「よっちだって、その内できるよぉ。可愛いもん」
「そうかなぁ。そう思う? あたし可愛い?」
「可愛い可愛い」
「くぁ。このみぃ、アンタはホント良い子だねぇ」
「あん、やだ、くすぐったいぃ」
「うぅ〜。すりすりすり……」
 再びクッションを放り出して、よっちが頬をすりすり擦り寄せてくる。お風呂上がりのつるつる肌同士、なんだかくすぐったい。
「あぁ、いいなぁ、このみ……。このままあたしと付き合っちゃおうよ」
「ふえぇ? よ、よっちと?」
「うん、そう。大事にするよ、このみ」
「あ、あはは〜。遠慮しとく……」
「そんなこと言わずに。ね、ね。チューしよう、このみ」
「あはは、やぁだぁ」
 奇妙な申し出に、笑いながらいやいやをするこのみ。
 しかし、よっちの方は既にやる気満々らしい。目をそっと閉じて口をすぼめて、このみの顔に急接近。
「ひゃあっ!」
 間一髪、驚いて攻撃をかわす。もうあと数瞬遅かったら、操は奪われていたことだろう。
 だが、相手の攻め手は緩まない。ずっと自分のターンだと言わんばかりに、唇の速射砲を連打連打。
「まぁまぁいいから良いから、むぅんー」
「やだやだ、やめてやめて」
 さすがに身の危険を感じて足をばたばたさせるも、ついにがっちりと両肩をロックされてしまった。それでも顔を背けて嫌がっていたら、あろうことか勢いで布団の上に押し倒されてしまう始末。
 そうして、肩どころか背中にがっちり腕を回され、もうどこの襲われシーンですかという有様である。
「うふふふふ、観念すべし。優しくしてあ・げ・る♪」
「やぁらぁ〜」
 ――と、

  ぽかっ

「ぁいたっ」
 再び振り下ろされた唐竹割りがよっちの頭頂部にヒット。
 オヤジ風味100%の友人を見かねたちゃるが、このみからよっちを引きはがした。
「そのくらいで許してやれ、緑のタヌキ。このみが嫌がってる」
「誰が緑のタヌキか! この赤いキツネ!」
「そう言うな。収まらないなら私が相手してやるから」
 いきなりの大胆発言。驚いてちゃるを見ると、既に瞳を閉じて『さぁ来い』の体勢に入っていた。やることが早すぎる。
「おおっ! そうかそうか、なんだかんだ言っても良い奴だなぁあ」
 そして、ほぼ即決で了承のよっち。慌てて振り返れば、こちらも既に臨戦態勢。早速とばかりに友人の肩にがしっと手を置き『さぁ行くぞ』の体勢。やはりやることが早すぎる。
「ちょ、ちょと待ってよ。相手って、2人とも……」
 そして、おろおろするこのみを尻目に、双方女の子座りで向き合って、段々と顔が近づいていく。
「ほ、ホントに……?」
 そして――
「んぅ〜」
 ちゅっ、と擬音が聞こえそうな光景。
「ん……」
 そうして、ちゅ、ちゅとついばむようにお互いの唇をくっつけ合うちゃるとよっち。
 唇が触れているだけのソフトなものだが、見ているこっちが照れてしまうほど甘々だ。どこかでメープルシロップか何かをこぼしただろうか。
「ん、ん……」
「んぅ……」
「ふわぁ……」
 そうして20秒ほど経過した後――
「んぁ……、ふぅ」
「……ふふ」
、ようやく唇が離れて、くすくすと2人が笑う。
「へへ……。うん、相変わらずちゃるの唇は柔らかいね」
「よっちのもなかなかだ」
「え、ええ? 前にもした事あるの?」
 2人の言葉に驚くこのみ。女の子同士でキスなんて、なんだかえっちぃ。
 だが、当の本人たちはあっけらかんと「うん、あるよ」と言った。慣れっこなのだろうか、2人して『ねー』とか言い合っている。
「女の子同士とか、けっこうしない?」
「ええ、しないよぉ。……あ、でも、リッちゃんたちが、そう言えば……」
 否定しかけたこのみだったが、そう言えば高校の友達でそんなようなことを言っていた子がいたように思う。あの時は話の雰囲気から冗談かと思っていたが、もしかすると本当だったのだろうか。
「で、でも、女の子同士なのに……」
「まぁ、練習みたいなもんだって。本番で失敗したらイヤだし」
「練習?」
「そそ。やっぱりカッコ良く決めたいっしょ?」
「そういうのに成功とか失敗とかあるのかなぁ」
 キスで失敗と言われても何となく実感がわかない。どういう状況だろう、位置がずれるとかだろうか。
「そりゃまあ、あるんじゃないの? 歯がぶつかったとかはよく聞くなぁ」
「歯が? でも、キスする時って、口閉じてない? 歯なんてぶつかるかなぁ」
「……このみはずっとそのままでいてほしいなぁ」
「同感だ」
「え、ええー?」
 なんだか2人して納得しているのを前に、わけが判らず困惑してしまう。とりあえずどういう状況で歯が当たるかをシミュレーションしてみるが、やっぱり想像付かない。
 ――彼女がディープキッスを覚えるのはいつの日か。
「でも、するとアレか……。ひょっとしてこのみはまだ手つかず……」
「はい?」
「へっへっへ」
「あ、あの……、何? なんでよっちは手をくねくねさせながらこのみに近づいてくるの?」
「ちゃるー」
「うむ」
「あ、あの……、何? なんでちゃるはこのみを後ろから羽交い締めにするの?」
 いつの間にか背中からがっちりロックされ、前には足の間に割り込んできたよっちの顔。まごまごしている間に、完全に捕捉されてしまっている。
「んっふっふ。まさか河野先輩より先にいただきますできるとは思わなかったけど……。いや、間近で見るとやっぱり可愛いよ、このみ〜」
「やぁだ!やだやだ、よっち、ダメ〜!」
「観念するが良いぞよ〜。っていうか、そんなに嫌がらなくても、アレだよ、ほら、練習練習。ノーカン」
「そ、そんなこと言ったって……」
「大丈夫」
「ちゃ、ちゃる?」
「よっちは意外と優しくしてくれる。力を抜いて、身を任せていればすぐに済む。……その後は私とだ」
「やぁらぁー!」
 どうやら援軍はないらしい。ますます近づいてくるよっちの唇からなんとか顔を逸らすが、もうそろそろ可動範囲も限界である。それどころか、がしっと顔を掴まれて強引に前を向かされる。
「でわでわ。このみの初めて、いただきまー……」
「わ、私、初めてじゃないよ!?」
「ほぇ?」
「た、タカ君と……」
 そう、このみは初キスではない。
 2ヶ月ほど前、川原で貴明と経験済みである。歯が当たったりするようなキスではなかったが。
 だが、なんとなく恥ずかしくて、2人にはまだナイショにしてあったのだ。恋愛相談に乗ってもらっていた手前、『うまくいったよ』とだけは伝えてあったが、『こういう風にうまくいったよ』とは伝えていなかった。
 だが、こうなっては隠していても損なだけである。仕方なしに、このみは川原での状況を2人に語った。
「マジで!? あの時そんなだったんだ……」
「なるほど」
「だ、だから、私は別に練習とかいらないかな〜、って」
 言いながら、このみはあの時のことを思い出す。
 貴明にフラれるのが怖くって、川原をゲンジ丸と一緒に逃げていた時だ。
 つまづいて仰向けに転がった貴明をのぞき込んだ時、腕を掴まれてそのまま引っ張られて――
 そして、初めてのキス。
 突然のことで、ホントは良く覚えていないけれど、でも、とても温かかったことだけは覚えている。
「ふぁー。……そっか、河野先輩と……そっかー……」
「う、うん……。ゴメンね? 黙ってて……」
「それは良いけど……」
 ファーストキスの味を思い出してなんだか頬が熱くなってしまうこのみの一方、友人2人は呆然とした表情のままである。信じられない、といった感じ。
「彼氏ゲットに続いて、初キスまでこのみに先を越されたなんて……。なんかショックだなぁ」
「そ、それってなんか失礼だよ〜」
「だぁって、だってだってだって、このみの初キスー! あーあ、こんなことなら、もっと早く押し倒しておくんだったなぁ」
 敷き詰められた布団の上でばたばたと足をばたつかせながらダダをこねる女友達。その様子を見ながら、『早めに経験しておいてホントに良かった』と胸をなで下ろすこのみである。
 なにせファーストキス。よっちもちゃるも平気なようだが、やっぱり初めてのキスが女の子というのは、ちょっとばかり遠慮したい。だってそれは男の子とするものだから。
 ――と、
「じゃあ!」
「ひゃい!?」
 いきなり起き上がって、またもこのみの顔に急接近のよっち。驚いて後ろにひっくり返りそうになってしまう。
「な、なに?」
「このみに稽古をつけてもらう、と言う方向で一つよろしく」
「は、はいぃ?」
「それは名案だ」
「ちゃ、ちゃるまで!? ちょっと待ってよ、稽古ってどんな……」
「そりゃもちろん、未経験ズなあたしたちに、先輩のこのみがちゅーのやり方をご教授してくれるという」
「ええー! む、無理だよぉ」
 未経験ズも何も、先ほどちゃると2人してちゅーちゅー唇をくっつけあっていたではないかと思うこのみだったが、よっちの方は既にその気になっているらしい。またぞろずりずりとこのみに近づいてくる様子がかなりコワい。
「なんでよー。先輩としたんじゃないの?」
「し、したけど……。でもでも、ちょっと『ちゅっ』てされたくらいで、あんまりよく覚えてないし……」
「回数は?」
「1回だけ……」
「1回? なんだ、じゃあこのみだって練習のつもりーでいいじゃん。ねえ? ちゃるもそう思うっしょ?」
「そうだな。2回目がうまくいくとは限らない。ここで再確認しておくのが良いと思う」
「えええー?」
「ほらほら、早くぅ♪」
 再確認っていったい何を確認すれば良いのか。しかし、戸惑うこのみを置いて、事態はどんどん加速していく。既によっちはこのみの前に陣取り、ちょこんと唇を突き出して『来て来て』の体勢。
 まさか女の子からキスを要求される日が来るとは思わなかったこのみである。もちろん、こんな時の対処方法など知らない。学校でも教えてくれなかった。
「ちゃ、ちゃるも……、ねえ、冗談だよね?」
「大丈夫。こわくなーい。それとも……、私の方が良いか?」
「どっちも同じだよぉ」
「そうか。じゃあ、私はよっちの後でいい。期待しているぞ、このみ」
「も、もうやること前提なの?」
「んー、早くー」
「え、えええー、ホントにするのぉ……?」
「んー、んー」
「あぅ……」
 前門のよっち、後門のちゃる。逃げ場はどうやらないようだ。
 しかし、やっぱり何となく躊躇してしまう。しない方がおかしい。
 だってだって、こういうのはやっぱり男の子とするべきで、女の子同士なんて、なんだかイケナイことっぽいような気がしてならない。
 しかし、そんなこのみの耳元に、ちゃるが必殺の一言を囁いた。
「キスが巧くなったら……」
「え?」
「河野先輩、きっと喜ぶ」
「え……」
 これぞ殺し文句。
 一瞬でこのみの思考が停止する。
「そ……そうかな」
「もちろん。きっと、このみのキスで、河野先輩もメロメロ」
「め、メロメロ? メロメロに……なっちゃうの?」
「もちろん」
「はぅ……」
 タカ君が喜ぶタカ君が喜ぶタカ君が喜ぶタカ君が喜ぶ――――……
 単一なリフレインと共に、脳裏に頬を染めてはにかんだ表情の貴明が思い浮かぶ。

 以下、このみの妄想でお送りします。

 『キス上手なんだな、このみ』
 『えへー。タカ君のために、練習したんだよ?』
 『そっか。偉いな、このみ』
 『タカ君、嬉しい?』
 『もちろんさ。大好きだよ、このみ。もう1回キスしよう』
 『うん! じゃあ、目を閉じて?』
 『こうか?』
 『うん。じっとして、このみに任せてね。みんなこのみがやってあげる』
 『わかった。このみは頼りになるなぁ』
 『えへー……。このみお姉ちゃんだよ?』
 『ああ、このみお姉ちゃん……。早く、キスして欲しいな』
 『もう、タカ君はしょうがないなぁ〜』

 以上、このみの妄想でお送りしました。

「えへ、えへ、えへへへへへ……」
「こ、このみ? どうした?」
「はっ!」
 気がつくと、引きつった顔のよっちがこちらを見ていた。
 あわててぱしぱしと自分の顔を叩いて正気に戻る。なんだか凄いシーンが脳内で再生されていたような気がする。
「ご、ごめん。ちょっと考えごとしてて」
「なんか、何考えてたのか判るような気がするッス……」
「や、やぁん、考えないで考えないで」
「はは、まぁ、いいんだけどね」
「うんうん、いいのいいの……。そ、それじゃあ、あの、その……」
「うん?」
 タカ君が、喜んでくれるなら――
「い、いくであります」
「おお! その気になった?」
 このみの言葉に、ぱっと笑顔になるよっち。いったい女の子とのキスがそんなに嬉しいのかと、詳しく聞きたくなるような明るい顔である。
「ちょ、ちょっとだけね? ちょっと、練習するだけだから」
「うんうん!おっけーおっけー! さあ、ばっちこーい!」
「う、うん……」
 頷き、意を決してこのみはよっちの肩に手を置く。
 そして、まずはじっと相手の唇を見つめてみる。
 『よっちの……くちびる……』
 プルンとした唇。
 自分のよりも少し厚めだろうか、柔らかそうな薄赤の唇だ。
 いつもはそこから、明るい笑い声と楽しい言葉が紡がれているはず。
 なのに、今はきゅっと小さくすぼまって、このみのことを待っている。
 まるで誘うように――、このみの唇を待っている。
 『ここに……』
 そう、ここに、自分の唇をくっつけるのだ。
 何のことはない、ただそれだけの話。
 でも、それがなぜだかすごく難しいことのように思えてくる。
 タイミングは?角度は?くっつけ合う時間は?
 唇はどうしておくべきだろう。軽く結ぶだけ? それともぎゅっと固くした方が良い?
 唇は舐めて濡らしておいた方が良いのだろうか? それとも、少し乾燥させた方が良いのだろうか。
 それに、鼻がぶつかりそうな気がする。ちょっと斜めにしなければいけないけれど、斜めすぎるとヘンだろうか。
 あと、思わず肩に手を置いたけれど、ホントはどこに置くのが良いんだろう。相手の手を握る? それとも背中に手を回す? あるいは頭を抱えて引き寄せる? それとも何もしない方が良い?
 そう考えていくと、なるほど、確かにキスって難しい。
 ちゃんと練習しておかないと、いざ本番という時に恥をかいてしまいそうだ。ヘンなやり方して貴明に笑われたら、もう生きていけないかもしれない。
「早くー」
「あ、ご、ごめん」
 よっちの催促に我に返る。待たせすぎてしまったようだ。これもまた本番でやっちゃいけないことの一つだろう。
 考えている暇はない。
 『よ……よーし』
 一度深呼吸して、このみは『こうかな……』と、そっとよっちの顔に近づいていく。
 とたん――
 ふわり、と甘い香りが漂ってきた。
 『いい、香り……』
 それはリンスの香りだった。
 いつもこのみが使っているシャンプーとリンス。今日はよっちも同じ物を使っている。
 そうか、こんな匂いがするんだと、なんだか新鮮に思う。
 あの時、貴明もこの香りをかいでいたのだろうか? そう思うと、かっと頬が熱くなってしまう。
 それに、相手の表情が何とも言えない。
 『よっち……、キスの時、こんな顔するんだ……』
 親友の、見たことのない顔。
 そっと目を閉じて、唇を結んで。
 上気した頬もほんのり赤く、女の自分から見ても色っぽい。
 その様子に当てられて――
「あっ……」
 このみは、親友の頭に手を回す。
 そして、そっと――
 自分の方に、引き寄せて……

 ――――――っ♪

「ん……」
「んぅ……」

 柔らかい、感触。
 こんなにも、柔らかいものなのだろうか。

 頭がまっ白で、よく覚えていなかった感触。
 貴明は、覚えているのだろうか。
 この、どこまでも熱く、柔らかいキスの味を。

「ん、ん……」
「はふ、あ、ん……」

 ちゅっちゅっと、静かな部屋に乙女の息づかいが流れる。
 愛おしむように、慈しむように、紡がれる唇と唇。
 ちょっと長すぎるだろうか。でも、もっとこうしてついばみ合っていたい。
 だって、こんなにも気持ちいいんだから。

 でも――

「はふ……」
「ぷはっ」

 時間は有限。
 そっと、2人の唇が離れていく。
「こ、このみ……、激しすぎっしょ……」
「え、そ、そうかな……」
「うん、でも……。なんかドキドキしちゃった」
「私も……」
 ぼぉっとした頭で、このみはキスの余韻を反芻する。
 何だか身体が火照って、良い心地だった。こんなにも気持ちいいことだったなんて。
 それに、まだ胸がドキドキとときめいて、まるで雲の上にいるみたいだった。
 現実感はどこまでも希薄で――
「じゃあ、今度はちゃるだね……」
「ん……」
「こっちに来て……ちゃる……」
「え? あ……」
 2人の様子を、ちょっと離れて見ていたちゃる。その友人の手をそっと掴んで、自分の元へと引っ張る。
 すると、このみの意外な行動に無抵抗だったちゃるが、胸元へと倒れ込んできた。ぽふっと柔らかい音を立てて、親友の顔を抱きしめる。
「わ、なんかこのみ、ノリノリ……」
「こ、このみ……」
「大丈夫、このみがしてあげるから……」
 そう言って、潤んだ瞳でじっと見つめる。
 そこにあるのは、見たこともないほど不安そうなちゃる。
 こんなにも、かよわかっただろうか?
 いつもはもっと冷静そうなちゃるが、今は、こんなにも愛らしい。
「あ、あの……。優しく……」
「うん。任せて……」
 もじもじと、先ほどとは裏腹に戸惑っているちゃるの言葉に、優しく頷く。
 大丈夫、不安なことなんてない。
 だって、私は『このみお姉ちゃん』なんだから――
「あ……」
 よっちの時と同じく、このみはちゃるの頭の後ろに手を回す。
 そうして、片方の手は背中にも回して、そっと引き寄せる。

 そして――
 触れる唇と、唇

 再び、甘い匂いに包まれた、ふんわりとした時間が訪れる。
 それはたぶん、天使が戯れる泉のひととき。
 ずっとずっと続けばいいと思う、透き通った時間。


 だが――
 急を告げる風は、
 いつだって乱暴なまでに突然だ。


  ガチャッ!


「このみー。お菓子の差……」


 突然開く部屋の扉。
「し入れ……なんだけど…………」
 そして、そこにはお盆一杯にお菓子を載せた母親がいて――
「あ……!」
「!」
「んぅ?」
 固まる時間。
 もう見事に固まってる。
 理論がどうとかではなく、とにかく固まってる。
 よっちは『あちゃー』と言った表情で。
 春夏は扉を開いたままの表情そのままで。
 ちゃるは目を閉じたまま動かず。
 このみはちゃるとチューしたまま凍り付いて。

 そして――

  バタン

 閉まる扉。
 今度は「ごゆっくり」の一言もない。
 そしてもちろん、数瞬後にはこのみの悲鳴。

「ちーがーうーのーーーーーーーーー!!!!!!!!」

 とはいえ――
 この誤解は、どうやらなかなか解けそうにない。
 だって、誤解というにはあまりにもな状況なんだから。

 そして――
 夜はまだ、続いていく。



――――――――――――つづく

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