笹と涙と女とパンダ
★パンダ? いや、好きですけど★
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 天下の往来のド真ん中にパンダが倒れている…という状況を想定していただきたい。想定というか、事実そういう光景が広がっているのだが、読者の皆さんには文字しか見えていないはずだから、一応『想定していただきたい』と書いておく。倒れているパンダから北方に2メートル離れて、一台の自動車が止まっていて、男が一人乗っている。染めたのか脱色したのか、日本人の癖に金色の髪の毛をして、耳には大きなピアスをぶら下げ、浅黒い肌にサーファー風のシャツを着用した、要は『世間につば吐いて生きてるぜ』と全身で主張しているような、そういう男である。しかしながら、いつものことは判らないが、少なくとも現在の彼の状態は、なにやら一所懸命猫背を心がけ、両肘両手首を精一杯に揃えながら小さくなり、脂汗をだくだくと流しながらハンドルにしがみつき、愛しい人に告白する間際の乙女のごとくぷるぷると震えているという、はたから見たら通風の老婆でも思わず微笑みがこぼれてしまうような、弱々しき姿である。まあ、市街地の国道で事故を起こしたのだから、いたしかたないことかもしれない。普通でも平素ではいられぬだろうし、ましてや撥ね飛ばした相手はどう見てもパンダである。一生に一度あるかないかの体験だろう。いや、10回生まれ変わっても、多分ない。前代未聞である。泡を食って逃げ出さなかっただけ、肝が据わっているのかもしれない。まあ、パニックになって動けないだけかもしれないが。

 ――と。憐れ轢き殺されたはずのパンダがむくりと起き上がった。そして、「パンパン」と身体に付着した埃を払うという気が遠くなるほど月並みな行動を見せると、仰天して飛び上がった拍子に天井に頭をしたたか打ち付けて自慢の愛車をがくんと揺らしている男に向き直って、「気をつけてよね、もう! おシャレ服が台無しになるところじゃない!」と中々確かな発音――しかもひどく可愛らしい声――で文句を言い、何事もなかったかのようにその場を後にした。

 読者の皆さんの中には、文章中に、一度も野次馬の描写がなかったことに気づいた方もいるやも知れぬ。筆者の文章力不足ではない。本当にいなかったのだ、野次馬が。実は、この街ではこうした光景は珍しいことではないのである。頻繁にあるわけではないが、あっても話題にならないほどには起こっている。そして、みな知っているのだ。彼女――そう、「彼女」だ――が、たかが自動車に撥ねられたくらいで怪我をするような女ではないことを。

 乙女の心に鋼鉄の身体。パンダの着ぐるみに身を包んで、愛しい「あっくん」とのデートに胸躍らせる、純情可憐な16歳。彼女の名はさやか。熊野・エクスパンダ・さやか。後の世に『伝説のパンダ』と語り継がれる、地上最強の美少女である。

 ――――――――――――続かない可能性が高い

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