時には星座を数えるように 〜第四話〜
C73冬コミ出展作品
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 春の星座 髪の毛座のおはなし

 紀元前三世紀頃のおはなしです。エジプト王プトレマイオス三世の王妃ベレニケはたいそう髪の美しい方で、その流麗さは国の内外まで広く知れ渡っていました。
 ある年のこと、アッシリアとの戦いに出陣した王が敵に捕らえられてしまったという報せが入りました。驚いたベレニケは、女神イシスの神殿に入り、王の無事を願って祈りを捧げます。その時、彼女は供物として、命よりも大事な美しい髪の毛を切り落とし、祭壇に捧げました。
 女神イシスはベレニケの愛に心打たれ、プトレマイオス三世をアッシリアの敵軍から救い出し、さらに、エジプトに勝利をもたらしました。
 やがて王は国に帰還し、ベレニケと再会します。愛する王妃の髪がばっさりと切られていることに驚く王でしたが、大臣たちから理由を聞くと、涙を流して感動したそうです。
 その時です。エジプトの天文学者が王に駆け寄り、空に新しい星座が輝き始めたと告げました。見ると、確かに新しい星座ができています。
 それは、女神イシスに捧げられた王妃の髪の毛。今もなお春の天頂近くに輝く、あの美しい髪の毛座なのでした。


     ※


 夜空の星々がいつか必ず朝の光に消えていくように、楽しい時間にもやがて終わりがくる。
 長い間星を眺めていた僕たちも、草壁さんの「もうお開きにしなきゃね」の一言で、屋上をあとにすることになった。
 正直、家になんて帰らずに、このままずっと草壁さんと星を見ていたかったけれど、彼女を困らせるのはもっと嫌だったから、僕はしぶしぶながらもそれに従った。ばたんという屋上の扉の閉まる音が、何かとても残酷なもののように思えた。
 でも、それでも、僕は不思議と澄んだ気持ちになっていた。草壁さんから星座の話をいっぱい聞いて、それが僕の中でまだ温かく語りかけてくるようだったから。
 帰り道だって、空を見ながら楽しく帰れるだろう。あれはスピカ、あれはアルクトゥルス、あれはレグルス、北極星、大熊座……。いろいろな星座を見て、神話を思い浮かべて、きっと楽しいだろう。
 そう思うとうきうきしてくるような、どきどきするような、そんな不思議な感覚が僕の中に芽生える。何かを知っているってことがどれだけ世界を広げるものか、僕はその夜初めて知ったんだ。
 だから、校舎の中を昇降口目指して歩いている時も、来た時とは反対に、僕の方が前に立って歩いていた。

 彼女が、その時どんな顔をしていたのかも知らずに、ね。

 そしてしばらくの後、僕たちは昇降口ホールの前へとたどり着いた。
「また、明日も会える?」
 僕は草壁さんにそう聞いた。
 なんだか未練たらしくて、男らしくないような気がしたけど、それでも聞かずにはいられなかった。聞かなければ、この夜のことが嘘になってしまうような気がしたから。
 そして、僕は当然「会えるよ」と言ってくれるものだと思っていたんだ。
 でも、
 彼女は僕の言葉に少し俯くと、
 やがてはっきりと、首を横に振ったんだ。
「え――?」
 信じられなかった。いや、信じたくなかった。明日も会える、絶対に会いたいと思っていたのに。
 でも、草壁さんは僕の方を見ると、小さく、そしてはっきりと「ごめんね」と言ったのだった。
「どうして?」
 僕は聞いた。だって、本当にどうしてそんなことを言うのか理解できなかったから。
 でも、彼女が口にしたのは、謎のような一言だった。
「私は……、本当はここにはいない人だから」
 そう。彼女はそう言ったんだ。
 聞き間違いなんかじゃない。はっきりと、彼女は自分のことを『ここにはいない人』と言った。
「え?」
「春の夜の夢。今夜だけの幻」
 意味が判らなかった。判るわけがない。
 夢? 幻? だって、草壁さんはここにいるじゃないか!
 でも、彼女の目はとても真剣で、冗談を言っているようには見えなかった。
「だから、もう、ここに来てはいけませんよ」
「やだよ!」
「ごめんね……」
「わからないよ! なんだよそれ!」
 僕は大声を上げた。彼女が何を言っているのか判らなかったし、会えないなんて絶対に嫌だった。
 でも、草壁さんは僕がどれだけ嫌がっても、怒っても、決して首を縦に振らなかった。そして僕が何か言う度に、あの透き通った声で「ごめんね」と言うのだった。僕を叱るでもなく、呆れるでもなく、ただ小さく「ごめんね」と。
 その草壁さんの姿に、やがて僕の声も小さくしぼんでいき、怒鳴る声は次第に泣き声に近くなる。
「本当に……もう、会えないの?」
「うん。寂しいけれど……、これでお別れです」
 はっきりと草壁さんは言う。
 その声が耳に入った時、僕にもようやく、その意思は変わることはないのだと判った。
 本当に、もう会えなくなるのだ。
 僕は俯いてしまう。何も言えず、何を言って良いかも判らず、目の前の現実から逃げるように。
「男の子だもの、大丈夫ですよね?」
 大丈夫なんかじゃない。そんなことを言う草壁さんはひどいと思った。

 だって……、
 だって僕は、その時にはもう――。

 でも、草壁さんの哀しそうな目を見たら、僕は何も言えなくなってしまった。
 だから、小さく――本当に、嫌だったけれど――僕はこくりと頷いた。
「良い子ね」
 初めて、そんな風に言われた。
 でも、その時だけは、そんな風に言われたくなかったけれど。

 そして、最後の別れの言葉が、草壁さんの口から流れて落ちる。

「さようなら。元気でね――」

 僕の口から、別れの言葉は出なかった。その時にはもう、嗚咽をこらえるので精一杯だったんだ。
 だから僕は無言で回れ右をし、その場から立ち去ろうとした。

 でも――
 でもね、

 僕は、弱虫だった。

 どうしても、彼女と会えなくなるのが嫌で
 僕は、二、三歩走り出してすぐに、
 もう一度、
 もう一度だけお願いしようと思って、
 草壁さんの方を、振り向いたんだ。

 けれど

「え――?」

 振り向いた僕の目に飛び込んできたのは、

「お姉、ちゃん――?」

 信じられない光景だった。

 だって、そこにはね、
 誰も、いなかったんだ。

「嘘だ……」

 そう、嘘だ、って思った。
 だって、さっきまで草壁さんは確かにそこにいたんだから。

 慌てて僕は、さっきまで草壁さんが立っていたはずの場所へ駆け寄る。
 そして、周囲をきょろきょろと見渡し、どこかに隠れていないか、後ろ姿が見えないかと、目をこらして見渡した。

 でも、やっぱり彼女はどこにもいない。

 廊下には隠れる場所なんてどこにもない。教室の扉が開いた音も、向こうの階段の陰に隠れるために走っていった足音も、何一つ僕は聞いていなかったはず。

 だから、そこにいるはずなのに。
 草壁さんは、まだそこにいるはずだったのに。

 まるで、そんな人は最初からいなかったとでも言うように
 そこには、ただ静かな校舎の風景が広がっているだけだった。

「お姉ちゃんっ!」

 僕は駆けだした。
 そして、校舎中を走り回って、草壁さんの姿を探した。
 教室の一つ一つ、階段の裏や、ロッカーの陰さえもくまなく探した。
 息が上がり、汗が噴き出て、心臓が痛いほどどくどくと鳴ってもなお僕は走るのをやめず、ひたすら彼女の姿を探し回った。
 きっとどこかにいる。教室の扉の陰、廊下の曲がり角の向こうで、あの穏やかな笑顔を浮かべながら僕のことを待っているはずだ。そう信じて。

 でも

 僕がどれだけ一所懸命に探しても
 泣きながら彼女の名を呼び、走り回っても
 彼女の姿が見つかることは、ついになかった

 そして、月明かりが照らす帰り道
 僕はゆっくりと、
 まるで、柔らかい紙に水がしみていくように、
 静かに、悟ったんだ

 ああ、そうか――

 もう、魔法は解けてしまったんだ……って


     ※


 夏の星座 琴座のおはなし

 トラキア王と、そして音楽の女神カリオペの間に生まれた子、それがオルフェウスです。アポロンから授けられた竪琴を奏でる彼の歌声はとてもとても美しく、清らかな物であったといいます。
 ある日、彼の美しい妻であるエウリディケが毒蛇に噛まれ、息絶えてしまいました。オルフェウスはどうしても妻を忘れることができず、死者の国の王ハデスに妻をかえしてくれるよう頼みました。オルフェウスの熱意と、そして彼の奇跡のような歌声に感激したハデスは生まれて初めて涙を流し、エウリディケをかえすと約束してくれました。ただし、オルフェウスがエウリディケを無事に死者の国の外へと連れ出すまで、けっして後ろを振り返ってはならないという条件を課しました。
 オルフェウスはエウリディケを後ろに従え、地上へと向かいました。そして、やがて死者の国の出口が見え、地上の光が見えてきました。
 その時です。オルフェウスは、妻とともに家に帰れる嬉しさで、死者の国の出口を過ぎる前に、つい後ろを振り向いてしまったのです。そしてその瞬間、エウリディケの姿は霧のように消えてしまいました。
 約束を破ってしまったオルフェウスは、二度とエウリディケに会うことはできず、ついには深い悲しみの末に死んでしまいました。
 アポロンは彼を哀れみ、オルフェウスに贈った竪琴を空にあげ、そして、琴座が生まれたということです。


     エピローグ


 次の日、僕はたぶん生まれて初めて、両親に土下座をした。
 そして、全力でお願いしたんだ。「天体望遠鏡を買ってほしい」って。
 その代わり今後一切お小遣いをもらわなくていいし、他に何もねだらない。家で飼っている犬は必ず僕が散歩に連れて行くし、悪事も金輪際やめる。言うことは全部素直に聞くし、勉強だってちゃんとする。誓約書だって書くから、だから、どうしても天体望遠鏡を買ってほしいって。
 あの時の呆気にとられた両親の顔を、僕は生涯忘れないだろう。
 そりゃそうだ。だって、あの悪ガキが「星のことを勉強したいから望遠鏡を買ってくれ」だもの。誰だって驚くだろうさ。
 それでも、最初はさすがに渋った。望遠鏡なんて、良い物を買うとなるとかなり高価だし、だいたい僕がそんなにすぐに真面目になるなんて普通は信じない。だから、その時はにべもなく断られた。
 でも、僕は粘り強く交渉した。その日からすぐに犬を散歩に連れて行くようにしたし、宿題もやった。これまでいじめた子のところには『ごめんなさい』を言いに行って、遊び道具も全部押し入れの中に放り込んだ。
 そのあまりの変貌ぶりは、逆に親や周囲が心配するほど凄まじかった。もちろん僕だって、それまでの生活様式から百八十度反転した生活に慣れなくて、最初はずいぶんストレスをためたものだった。でも、僕はどうしても天体望遠鏡が欲しかったから、歯を食いしばって我慢して、真面目に生活することを心がけた。大丈夫、このくらい、天を担ぐ巨人アトラスの苦労に比べればなんてことない、そう自分に言い聞かせて。
 そうして二ヶ月が経った頃、ついに両親が折れて、僕に天体望遠鏡を買ってくれた。それもその辺のホームセンターで安売りされているようなのじゃない、ビクセン社の何万円もする本格的なやつだ。
 その代わり僕がきちんと高校に受かるまで、お小遣いは一切無しになった。もちろんそんなことは何の気にもならなかったけれどね。だって、いちばん欲しい物をその時手に入れたんだから。
 そしてその日から、僕の天体観測が始まった。普段は家で、時間があれば山の方へ遠征して、ひたすら星を観測し続けた。
 春も夏も秋も冬も……、一年を通して、晴れている日は一日も欠かさず空に星を探した。修学旅行などで望遠鏡が手元にない時も、肉眼や、あるいは誰かに双眼鏡を借りたりして夜空を眺めた。
 神話の勉強もした。お小遣いがないから本は買えなかったので、図書館に足繁く通って神話の本をむさぼるように読んだ。星座のみならず、普通のギリシャ神話や北欧神話、はてはケルト神話にまで手を伸ばして、時にはそれらの関連性について思いを巡らすまでになった。
 きっと、小学校の頃の友達たちは、びっくりしただろうね。あの箸にも棒にもかからないクソガキさ加減はまったく影を潜めて、口を開けば星が星がなんて言うようになるなんて、誰一人予想できなかったろう。
 おかげで、中学を卒業する頃には、僕は『ハカセ』なんてあだ名されるようになっていた。天体博士だ。何しろ、理科の先生よりも、僕の方が星座のことをよく知っていたんだもの。
 だから、キャンプに行った時なんて、大活躍だったね。空いっぱいの星を順に指さして、あれは琴座、あれは天秤座、あれは蠍座って。特に女の子たちにはすこぶる評判が良かった。
 いや、自慢してるわけじゃないよ。
 そうすることで――、星を勉強することで、僕は近づけると思っていたんだ。
 真夜中の学校で、僕に星のことを教えてくれたあの人に近づけるって。

 そうして、何年かの時が過ぎ、僕は高校生になった。
 もちろん進学した先は、あの夜に彼女と出会った高校だ。

 そして――。

「――ねえ」
 その声に――、僕の意識は現実へと回帰する。
「また、ぼーっとしてる」
 見ると、同級生の佐倉春菜が、ベンチに腰掛けた僕の顔をのぞき込んでいた。ボブカットの髪先が頬にかかる笑顔は、いつも見慣れた彼女の顔。
「ああ……、いや」
「考えごと?」
 そう言って、彼女は僕の隣に腰を下ろす。いつもはくりくりとよく動く瞳が、今はじっと僕の方を見つめているばかり。
「ちょっとね」
「どんな?」
「内緒」
「えー?」
 にこやかに笑ったまま、頬だけぷっと膨らませて抗議。でも、彼女の無言の文句にも、僕は何とも答えない。
「まあいいや。それよりさ、そろそろ始まるのかな」
「何が?」
「……何がって」
 僕の言葉に、佐倉は呆気にとられたような顔をした。
「あっきれたぁ! ぼーっとしてると思ったら、そんなことも忘れちゃってるの? しっかりしてよね、ぶ・ちょ・う・さん!」
 ああ……、と僕はようやく思い出す。
 今は四月。僕は、部活動の仲間たちと、夜の学校の屋上に集まっているんだった。
 お目当ては、もちろん天体。春の流星群の中でも、もっとも多くの流れ星を観測できる、琴座流星群。そう、僕はこの学校の天文部で、部長をしているんだ。

 そして今夜、極大の日――。

「思い出した? まったく。自分がいちばん楽しみにしてたくせに、当日になって忘れちゃうかなぁ」
「いや、ごめんごめん。ちょっとさ、子供の頃のことをね」
「子供の頃? あ、考え事の?」
「そう。俺が星に興味を持った時のさ、なんて言うか、きっかけ」
「あ、それ知りたい。ねえねえ、何があったの?」
「それは……」
「それは?」
「内緒」
「えー?」
 再度の抗議にも、僕は笑ってごまかす。おとぎ話は、自分だけのものだからね。
 でも、今度はちょっとだけ、相手も鋭かった。
「男の子がそうやってごまかす時はぁ。うん、あれだな。女の子がらみのあれ」
「がらみって……」
「そして子供の頃だもんね。あれでしょ、初恋とか!」
 そう言って、彼女は自信たっぷりの顔で僕を見やる。まったく、女の勘ってのは時としてバカにできないほど的確だ。
「あー、どうだかな、それは」
「あ、あ、あ、ズバリ? もしかしてズバリでしょう! 大正解? やったね!」
「いやいや」
「どんな人? 可愛かった?」
 僕がふるふると首を振っても、彼女はどうやら百パーセント確信しているらしい。なんでだ? そんなに顔に出ていただろうか。
「まあ、ね。あれだよ。似ているとしたら……」
「え? 誰? あたしの知ってる人に似てるの?」
「佐倉に似てるかな」
 ホントはぜんぜん似てないけど。
「えー!」
 僕の言葉に、佐倉はそうとう驚いたらしい。オーバーだよと言いたくなるほどのけぞって、あんぐり口まで開けて。いやもう、まったく似てないね。あの人なら、間違いなくそんな顔はしないだろう。
「えー、えー、えー! うそ、マジで? やだ、どうしよ、告られたぁ!」
「おいおい」
 誰が告ったんだ。そんなことは言ってないぞ。
「ねえ、ちょっとみんなぁ! 部長があたしのこと好きだってー!」
「おいっ!」
 今度はこっちがびっくり仰天だ。何を言い出すんだよ。
 しかも、少し離れた場所で望遠鏡の調整をしていたらしい部員連中は、「あー、もうつきあっちゃえよー」とか「ノロケは別んとこでやってくれー」とか、まるで否定する様子がない。まぁ、調整の邪魔だから適当にあしらっただけかもしれないが。
「そんなこと言ってないだろ、もう」
「ま、ま、いいじゃんいいじゃん。たまには」
 ホント、ぜんぜん似てないよ。まぁ、このノリ自体は嫌いじゃないけれど。
「それよりさ、流星群には神話とかないの? 何か聞かせてよ」
「あー……」
 流星群が本格的に始まるには、まだもう少しあるだろう。屋上の真ん中で望遠鏡を代わる代わる覗いている部員たちを眺めながら、僕らはベンチで二人、とりとめもない雑談をしながら、静かにその時を待った。
 空には、あの頃と変わらぬ満天の星。その下で、僕らの時間は穏やかに流れていく。
「ねえ」
 と――
 ふと、佐倉が僕の名を呼ぶ。いつも元気な彼女にしては珍しく、静かな声音。
「うん?」
「知ってる? 天文部ができた時のこと」
「…………」
 この天文部ができた時のこと、か。
「何年か前にさ、二人の生徒で作ったんだって。その二人は、恋人同士でね――」
「二人で見た琴座流星群が忘れられなくて、創設した……」
「あ、やっぱり知ってたんだ」
 知らないはずがないさ。
 だって、初代部長だったその人は――
「二人は恋人同士で、すごく仲が良くて。いつも二人で、星空を見ていたんだって」
 佐倉は夢見るように語る。
 その頬はほんのりと赤く、柔らかく微笑みながら、見たことのない恋人たちに思いを馳せていた。
「ロマンチックだね。なんだか、あこがれちゃう」
「そうだね。きっと……、夢のような時間だっただろうな」
 そう、きっと、
 僕が見た夢は、あの人が見た夢のひとかけら。
 たぶん、そういうことだったんだろうと、今では思える。
 それはほんの少しだけ切なくて
 でも、それでも僕は、確かな温もりを今でも抱き続けている。
 繋いだ手、かけられた言葉、
 小さな息づかいまでもが、まだ鮮やかに。
「ね――」
 少しだけ、佐倉が僕の方に身を寄せる。
「いま、その人たちも、同じ空を見ているのかな……」
 そう言って、彼女は少し潤んだような瞳で、僕の目を見つめる。
「さあ、ね――」
 なんだかくすぐったくて、僕は視線を空へとまた戻す。
「どうなんだろうね。見ているのか、いないのか」
 きっと見ているのに違いないとは想ったけれど、何となく僕はそんなことを口にする。照れくさかったのかもしれない。
 すると、息がかかるほど近くにあった佐倉の口から、ふうと小さくため息が漏れた。
「ばか」
「え?」
 きょとんとして彼女を見ると、佐倉はもう僕を見ておらず、あらぬ方を向いてぷっと頬を膨らませていた。
「なに?」
「ばーか」
「なんで」
 何となく察しは付いたけれど……
 でも、うぬぼれかもしれないから、それは言わないでおこう。
 ――と
「おーい!」
 望遠鏡を囲んでいたチームから、僕たちに声がかかる。
「良い雰囲気のとこ悪いんだけど、いまいっこ見えたぞ!」
 どうやら、流星群が始まるらしい。
「あ、行く行く! あたしにも見せて! 次、望遠鏡あたし!」
 嬉しそうにベンチから飛び上がった佐倉が、僕をその場に残してさっさと天体望遠鏡の所まで駆けて行く。やっぱり元気いっぱいだ。さっき見た憂いっぽい表情は、まぁ僕の気のせいだったのかも。
 そして、苦笑しながらベンチから立ち上がり、僕もみんなの所へ歩いていく。
 振り向いて見上げれば、そこには宝石を散らしたような星空があって――
「お……」
 僕の目にも、流れ星が落ちるのが、はっきりと見えた。
「あーっ! あーっ! 見えた見えた! いま見えたよ!」
 どうやら佐倉にの目も見えたらしい、嬉しさいっぱいの声が耳に聞こえる。佐倉だけではない、どうやらそこにいたみなが、今流れた明るい流星を見ていたようだ。
 そして、それが呼び声になったように、いくつもの流星が一斉に夜空を彩りだした。
「うわ……、すげ! すげえ! おい佐倉、望遠鏡代われよ! 俺にも見せろ!」
「やだ、もうちょっと待ってよ。あたしが見てるんだから」
「あ、こっちにも! うわぁ、すごいな……」
 小さな屋上に、部員たちの歓声が響く。佐倉を筆頭に、みな本格的に始まった流星群を見ながら、口々にすごいすごいと驚きの声を上げている。

 それはまさに、自然が見せるイルミネーション・パレード。
 夜を舞う天使たちのダンスが空いっぱいに輝いて、見る者の心を魅了していく。

 そして――
 その中で、僕は想う
 今、同じ空の下にいるであろう、あの人のことを。

 あの人も今、きっと同じ空を見て
 僕ではない、誰か素敵な男の人と一緒に、この星たちの舞に、心ゆだねているに違いない。

「草壁さん――」

 ひとつ、その名を僕は呼ぶ。
 そして、目を少し移せば、そこにはあの乙女座のスピカ。

 なんて、綺麗なんだろう。
 そして――
 なんて、優しい光なんだろう。

「ほーら、部長ー! こっちこっち!」

 ふと、僕を呼ぶ声。
 見ると、天体望遠鏡を占領した佐倉が手を振って、僕を手招きしている。
 その声に一つ応えて、
 僕はゆっくりと、彼女たちの元へ歩いていく。

 今、この屋上にあの人はいない
 代わりに、かけがえのない仲間たちが共にいてくれる
 笑い声と、喜びと、幸せに満たされた毎日が、僕を包んでいる

 そこにあるのはきっと、あの時とは違う、僕自身が見る夢。

 でも、
 それでも――

 ふと、夜道に空を見上げるように

 満天の星空の下、時には星座を数えるように

 僕は今でも思い出す

 あの幼い日に見た夢の世界の物語を
 月の光が少年にかけた、小さな魔法のお話を


 あの春の日の、不思議な夜のできごとを――



 ――――――――――――――――――――――――――――――終わり





参考文献
「春の星座博物館」著:山田卓(地人書館)
「星座神話ガイドブック」著:沼澤茂美、脇屋奈々代(誠文堂新光社)
「星の神話・伝説図鑑」著:藤井旭(ポプラ社)





あとがき


本編は、2007年末に冬コミで頒布されたToHeart2アンソロジー「時には星座を数えるように」の表題作になります。あれから二年が経ち、そろそろ公開しても良いのかなと考えて、このたびWebに本作のみアップした次第です。なお、同時収録されている「感謝の日」(ひかりさん)、「僕<やつがれ>=にゃあは独り語る」(Sohmaさん)の作品については今のところ未公開です。こちらはいずれDiGiket.comにて、本作を含むパッケージとしてDL販売しようと考えています。

それにしても、今読み返してみても異色な作品です。ToHeart2のSSでこういったテイストを持つ作品は、おそらく自分しか書かないだろうなーと思ってみたり。まぁ、一人くらいこんな作家がいても良いかな〜、良いですよね、ね。
神秘と幻想に彩られた夜の学校。読んでくださった方の心に、星々の囁きと初恋のときめきが蘇ったなら書き手冥利に尽きるのですが。楽しく読んでいただけますように。

なお、2007年末に同時頒布されていた「ミステリ研活動日誌!」については、既にDiGiket.comにて配布されておりますので、興味のある方はアクセスしてみてください。
現時点での価格は300円。190ページ近くある長編なのでけっこうお買い得ですよ!(宣伝宣伝)
ちなみにそちらは、「時には〜」とは似ても似つかないドタバタコメディですけども(笑。

さて、2009年末には冬コミにて最新作「神様のおくりもの」が頒布されます。まだまだ尽きないToheart2の世界。いくつ紡いでいけるかな。
詳細はサークルサイト「Walkway of the Clover」あるいは「Walkway of the Clover別館」にてどうぞ。

ではまた。



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