涙の生姜焼き
〜過ぎゆく時を〜
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 食べ物に関する思い出、と言うのはたいていの人にあるものだと思う。
 道に落ちていたお菓子を拾って食べたら腹を壊したとか、バナナの皮で滑って転んだとか、まあ人によって様々だろう。またそういう思い出がない人も、ネズミの踊り食いでも経験して来れば、それがすぐに思い出になるから心配しなくてよい。1流のフランス料理店でちまちま出てくるディナーを食べるよりは、はるかに話のネタになるだろう(※1)。

 さて、私の思い出は、フランス料理とは縁もゆかりもない、大衆食堂のアイドル「生姜焼き」である。肉嫌いでなければ、おそらく誰もが食べた事があるだろうこの料理だが、私はこれを20歳を越すまで食べた事がなかった。
 私の食卓事情が格別貧困だったわけではない。まあ一人暮らしの今はかなり貧困なのだが、実家にいる頃は3食手作りの料理だったわけだし、父親の道楽で畑や田んぼもあったので、食料に困ったと言う記憶は皆無である(※2)。
 おそらく母親が生姜焼きを作れなかったのだろうと思う。ハヤシライスを作ろうとしてシチューを作ってしまう人だから、生姜焼きの作り方を知らなくても不思議はない(※3)。
 では外食ではどうだったか…と言うと、これが100%食べなかったと断言できる。我が家では外食と言うとまずは中華料理屋で、そうでなければ回転寿司にしか行かない(※4)。イタリア料理店で食事したこともなければ、ファミリーレストランに入った記憶もない。大衆食堂など近くになかったし、旅行に行けば旅館の食事か、さもなくば屋台の焼きソバである。
 生姜焼きの出る幕など、家庭においても外食においても、まったく無かったのである。

 では私は20歳になるまで生姜焼きの存在そのものを知らなかったのか…と言うと、これが案外早い時期に名前だけは知っていたのである。
 ところで皆さんは、10年くらい前に流行った「カードダス」と言うのをご存知だろうか。「機動戦士ガンダム」とか「魔神英雄伝ワタル」とか、当時の男の子が喜びそうなアニメのイラストが描かれた、今で言うトレーディングカードのような物である(※5)。中年を自認する方々には、プロ野球カードか仮面ライダーカードのような物だ、と言えば判ってもらえるだろうか? とにかくそう言うものである。
 1枚20円で、ガチャポンのような器具に硬貨を入れて買い求めるのだが、これがもう大流行で、男の子のみならず、女の子にも大人気だった。私もご多分にもれずハマッた口で、今はもう残ってないのが悲しいが、Zガンダムとか武者ガンダムとかのカードが大事な宝物だったものだ。
 さて、男の子が喜ぶようなアニメ…と先ほど書いたが、そういうアニメで真っ先に思い浮かぶものがあるだろう。そう「ドラゴンボール」である。
 当然の事ながらドラゴンボールもののカードダスも存在していた。悟空とかクリリンとかのアニメセル画がイラストの代わりになっていて、私も何枚か買った事がある。
 さて、ドラゴンボールと言うと、奇抜な敵役の宝庫であると言っても良いだろう。そもそも原作者の鳥山明自体が「Dr.スランプ」な人なわけだし、マトモな敵役の方が少なかったくらいだ(※6)。かろうじてマトモな敵と言えたベジータでさえも、最初の内は「サイバイマン」などと言う、気の抜けるような子分を使役していたくらい(※7)。いったいどれだけの数の、バカな敵役が存在したことだろう。しかもそれは、原作マンガやテレビアニメだけに留まってはいない、劇場版まで公開されているのだから、その数は推して知るべし。私は劇場版を見た事が無いから、それこそ知らないキャラクターがたくさんいることだろう。
 その「知らないキャラクター」の1つだろうか、私が買ったカードダスの中に、緑色の身体をした、見た事のない不気味なモンスターの絵が載っているカードがあった。何となく「妖怪人間ベム」のベロに似ていて、そこはかとなく親近感。だが、絵柄はこの場合特に問題ではなかったと言って良い。ドラゴンボールにはもっと変なキャラがたくさんいた。
 ではなにが私の目を引いたかというと、カードダス上部に書かれた、キャラクターのセリフであった。

「ショウガヤキー!」

 そこにはただひとこと、そう書かれていた。
 ウソも誇張もない、ホントにそれだけしか書いてなかった。
「ショウガヤキー!」
 『語感から推測して、おそらく「ショウガ」と「焼き」と言う2つの単語の組み合わせであろう、2つ合わせると「ショウガ焼き」だな…』子供の私にもそのくらいは判った。
 だが、それが何を表すのかが皆目判らない。
「ショウガヤキー!」
 『…ショウガ焼き? おそらく料理の名前なんだろうが、いったいどんな料理なんだ? ショウガと言うとあの赤いやつだな。「焼き」と言うくらいだから焼くんだろう、でもショウガ…って漬け物の類じゃないのか? それを焼く? 焼く? ショウガを?』
 私の中で妄想が妄想を呼び、次第に「ショウガ焼き」がなにかとても素晴らしい料理のようにも思えて来る。
 『食べたい――!』
 『ショウガ焼きを――!』
 きっと焼かれても色は赤いんだろう、生姜と言えば赤に決まっている。寿司のガリはむしろピンク色に近いが、いずれ赤系の色に間違いないだろう。焼くとどんな味がするかは不明だが、たいがいの物は焼けば香ばしくなるから、生姜もきっとそうなのだろう。香ばしく焼けた真っ赤な生姜を、さてそのまま食べるのか。いやいや、きっとソースかしょうゆでもかけて食べるんだ。それとも、まだ見た事のない、素晴らしい調味料でもあるのだろうか。そうだ、そうにちがいない、色も黒っぽいのはソースと見分けがつかないから、きっと茶色とか、赤に合わせて白色とかそういうのだろう。ああ、もう、なんだか素晴らしい料理じゃないか。いったいこの世に生を受けて、ショウガ焼きを食べずに死ぬなんて許されることなのだろうか。小学5年生にもなって、存在すら知らなかったなんて、神に対する冒とくではないのか――。
 『知りたい――!』
 『その料理を――!』
 だが、それまでに自分の家の食卓に上ったことがないことを考えると、おそらく母親はこの料理を作れないだろう、行きつけの中華料理屋のメニューに載っているかもしれないが、少なくとも今までに見た事はない、どこの国の料理か判らないからどんな料理屋に行けば良いのか判らない、自分で探して食べに行くしかないが、あいにくそこまでの資金力なぞ持っていない――。
 素直に親に「ショウガ焼きが食べたい」と言えば、あっさり解決する問題ではあったのだろうが、小学校5年生だった私は反抗期のまっただ中であり、ささいなことであれ、親に「知らないという恥」をさらすことが嫌だった。友人連に聞こうにも「なんだそんな事も知らなかったの?」と言われるのがやはり嫌で、結局ショウガ焼きの正体については誰にも聞けなかった。
 そして時は巡り、いつしか私はショウガ焼きのことを忘れていった。

 さて、年数は飛んで、話は2年前になる。
 1998年4月、私は「舞台役者」を志すために劇団に入り、東京の片隅で一人暮らしを始めることになった。飼っていた犬や猫と遊べないのは淋しかったが、6畳1間とはいえ自分の城が出来たのは、やはり嬉しかった。生活だって、自分の時間が完全に自由になるし、親の目を気にせずイケナイコトに精を出すのも自由ときたもんだ。多少アパートのお隣さんに気を使う必要はあるものの、慣れてみればそれなりに1人暮らしも楽しく、5月に入れば家事全般にもすっかり慣れ、お芝居の稽古やアルバイトに熱中する日々を送っていた。
 そして瞬く間に3ヶ月が過ぎた、7月のある日のこと――
 いつものようにアルバイト(※8)から帰ってくる途中、ふと思い立って今日の晩ご飯は外食にしようと思い、私は駅前にあった「松屋」と言うお店の前に立った。松屋は、関東では吉野家と並んで勢力を振るっている牛丼屋で、吉野家と違うのは「ハンバーグ定食」とか「カレーライス」とかの、牛丼以外のメニューがあるところだ(※9)。
 当時はまだ入ったことがなかったので、どんなものを食わせてくれるのかなど知らなかったのだが、店先に下げられた広告に牛丼の写真が載っていたので、「吉野家」とか「らんぷ亭」みたいなものだろうと推測し、特に懸念も期待もなく自動ドアをくぐった。
 店に入ると、入り口付近に食券販売機があり、客はこれで食券を買い求めて、カウンタ内にいる店員に渡すシステムらしい。厨房を取り囲んで半円形に、固定イス付きのカウンタ席が巡らされているので、店員が食材を料理している様がよく見えた。
 夕食時と言うには少しばかり遅い時間だったので、20脚ばかりある席には5〜6人ほどしか客の姿はなく、私の後に入ってくる客もいなかったので、何を食べようかなとじっくり時間をかけて思案する。味には全くこだわらないが、何を食べるかにはうるさい。だから私は隅から隅までメニューを眺めるくせがあるのだが、そのくせのおかげか、私はメニューの中から、数年ぶりに目にする懐かしい名前を発見した。
 「豚生姜焼き定食:580円(※10)」
 『こ…これは!』
 『生姜焼き定食!』
 いや、この時の衝撃と来たら、ちょっと筆舌に尽くしがたい。どういう因果か、小学校から中学、高校、演劇学校を経て東京で1人暮らしをするに至るまで、目にすることすらなかったショウガ焼きの名前が、ここに至って、再び私の眼前に出現したのである。
 「豚」の文字が気になったが、とにかく「生姜焼き」である。値段も580円でステキに安価だし、定食というくらいだから、夕食に見合うだけの量もあるだろう。
 『買うしかないよね――』
 恐る恐る硬貨を入れ、ボタンを押して食券を買い求め、ふらふらとした足取りでカウンタまで行き、店員に食券を渡す。
「豚生姜焼き定食でよろしかったですね?」
 店員の質問に、思わず「はいっ!」と元気な声で返事をする。
 返事をするような客など普通いないので、店員がちょっと怯んだようだったが、生姜焼き定食とはどんな料理だ? という宇宙的命題を眼前にした私にとっては、そんな事は瑣末な問題だった。
 ショウガ焼きが食べられる――
 思えば長い道程だった。カードダスの表面に、初めてその名を目にしてから、すでに9年が経過している。図書館で借りた本の図書カードに名前を認め、やがて恋人同士になった「耳をすませば」の月島雫と天沢聖司より感動的だろう。
 ショウガ焼きが食べられる――
 ああ、なんて甘美なその響き。夢にまで見たショウガ焼きが、あと数分もすれば私の目の前に正体を現すのだ。砂漠のド真ん中でオアシスに巡り会ったとして、果たしてこれほどまでに胸が震えるだろうか?
 なんてったって、ショウガ焼きなんだよ? もうワンダホーって感じじゃないか。
 1家に1皿ショウガ焼き。うん、なかなか良いな。これからの政治はこうあるべきだ、うんうん。

 だが――

「お待ちどうさまでしたー」
 間の抜けた店員のセリフと共に、それが私の眼前に据えられた。
 『…………?』
 『なにこれ』
 皿に盛られていたのは、どこといって変哲のない、普通の焼肉に見えた。
 『違う――』
 『こんなのは私の求めているショウガ焼きじゃない――』
 だってだって、ショウガ焼きと言えば赤いショウガを香ばしく焼きあげて、得体の知れない調味料を景気よくふりかけた、見るからに不気味な物体じゃないのか。ショウガを焼くから『ショウガ焼き』じゃないのか。それがスジってもんじゃないのか――。
 『これは詐欺だ』
 『これは「焼肉」であって、ショウガ焼きではない』
 『いったい何故、こんな焼肉野郎が、私の目の前に――?』
 くらくらする意識の中で、私は必死にこの惨状に説明をつけるべく、この世に生を受けて以来、もっとも早かったであろうスピードで脳を回転させた。だが、どうにも早く回し過ぎたらしく、しばらくすると私の頭から、回転摩擦によってぶすぶすと煙が噴出しはじめ、そのおかげで脳の回路がどこか断線したらしく、純粋思考は妄想へとその姿を変えてしまった。
 『こんな事はあってはならないことだ』
 『尋常では絶対に考えられない、あるとすれば国際的な政治方面の謀略とか、そういう類の大きな――』
 『そうだ、なにかCIAのスパイとかが、私にショウガ焼きを食べさせないために、こんなでたらめな料理を出したんだ――』
 『するとこいつが――』
 『この店員がスパイ――?』
 善良な市民としては、こんな極悪非道な行為を見逃してはいけないだろう、即刻警察に届け出てスパイを捕まえさせ、すみやかに、ショウガ焼きを食する権利を確保しなければいけない。それが基本的人権の主張というものだ。なんなら少林寺拳法で鍛えた鉄拳を、この間抜けヅラした野郎の顔面に叩きこんでやってもいい。なにだいじょうぶ、見た目は弱そうに見られるけど、これでもすごいんだぞ。屈強な男にだって、そう簡単にはやられないさ。
 だがしかし、私の足は、一向に警察へ行こうとはしなかった。私の拳に力が込められる事もなかった。頭のどこかで『これは現実なんだよ――』と囁く声がする。
 『そんな』
 『いや、しかし』
 意思に反して、叩きこまれるはずの拳は割りばしを握り、恐る恐る、皿に盛られた肉片にのびていく。
 ドキドキと、うるさいくらいに高鳴る鼓動。
 ジュ―ジューと、店員が肉を焼く音。
 ゴクリ…と喉が鳴る音。
 普段は意識しない、小さな音の群れが、一斉射撃のように私の脳に打ち込まれる。
 ぶるぶると震える手つきで肉片をつかみ、
 割りばしを口に運び、
 ほおばる。
 咀嚼。
 瞬間――
 『ああ!』
 私は理解した。なぜこの肉料理が「ショウガ焼き」であるのかを。
 『肉の味の中に――』
 長年抱きつづけていた夢が、音をたてて崩れてゆく。
 あの赤い生姜が焼かれている様、見た目にも不気味な料理の幻想――。
 『ほのかに生姜の風味が……』
 それはただ、生姜を味付けに使った、ただの焼肉。私が抱いていた奇怪な妄想など影も形もない、何の変哲もないただの焼肉。
 焼けた生姜も、素晴らしい調味料も、そこにはなかった。
 あるのはただ、何の変哲もない、ただの焼肉――。

 ほほに涙が流れる。いかなる故か判らない、激しい虚無感に包まれる。
 だが、それでも私は涙で霞む視界の中で、ひたすら生姜焼きを食べ続けた。

 なぜって――

 くやしいけど美味しかったから――。

 描いた想像とは似ても似つかぬものだったけれど、それでも生姜焼きの美味しさが舌に染みていく。
 ちくしょうちくしょうちくしょう。美味しいじゃないかよ、ちくしょうっ!

 これが「現実」と言うものか――

 20年間生きてきて、9年間待ち続けて出会った生姜焼きの、これが現実と言う名の回答か――

 わけの判らない想いに胸を焼き、初体験の味に舌を染め、はらはらと流れ出る涙にほほを濡らしながら――
 私は私の中で、1つの時代が去りゆくことを感じていた。
 何も知らぬ若造だった、20歳の夏のことである。


――――――――――終わり


(初出:2000年)




※1:「いい思い出」と言うのは決して美しい思い出だけを指して言うのではない。むしろ「ネタになる思い出」の方が、はるかに記憶に残る。結婚式などでも、滞りなく進むよりはバージンロードで新郎とかが転んだりする方が、インパクトも面白さも、また「思い出」としてもはるかに美しい。50年後に残るのは、こういう思い出だろう。

※2:まさに道楽。何しろ赤字続きだ。畑も水田も、やらない方が家族の生活水準は向上する。だが父親の趣味の1つを奪うわけにもいかないから、気のすむようにさせている。だいたい父親が自分の稼いだ金でやっているわけだから、家族に異論のはさめるわけも無いのだが。

※3:母の名誉のために書いておくが、彼女は決して料理が下手な人ではない。レパートリーもそこそこ豊富と言える。単に抜けているだけだ。

※4:中華料理店の行きつけは、愛知県豊明市にある「上海」と言うお店。餃子が絶品で、父も母も餃子を食べに行くためだけにそこに行ったものだったが、店を改装してからは味が落ちたと言って、あまり行かなくなった。その代わりに「丸忠」をはじめとする、回転寿司屋に行くようになった。

※5:「魔神(マシン)英雄伝ワタル」というのは、広井王子氏原作の、当時人気だったアニメである。剣と魔法のファンタジー+ロボットものという、破天荒な設定。「ガンダム」は今さら説明の必要は無いだろう。トレーディングカードそのものは、おそらくカードダスより歴史が古いだろうが、多少なりとも名前がメジャーになり始めたのはつい最近の事だと思われるので、こういう表現を使わせてもらった。

※6:Dr.スランプの奇抜さは他を圧倒していた。なにしろ、鉄クズを平気で食べる「ガッちゃん」とか、宇宙人のくせに名古屋弁をしゃべる、顔だけで身体が構成された「にこちゃん大王」とかが、平気で闊歩していたマンガである。ドラゴンボールの敵役など、あれに比べれば地味だったような気もする。

※7:種を地面に蒔くと、そこからモンスターがにょきにょきと生まれてくる、それがサイバイマンである。子供ながらに大笑いしながら観ていた。めずらしもの好きな方は一度見てみると良い。

※8:当時の作者は、秋葉原の某パソコンショップで売り子をしていた。秋葉原と聞いて「おお、パソコンに詳しかったんだろうなァ」と思われる向きもあるかもしれないが、当時の作者はパソコンなぞまったく知らないド素人だった。ソフトウェアの1枚はおろか、そもそもパソコン1台持ってはいなかった。「これからはパソコンの時代、秋葉原でバイトでもすればパソコンのことに詳しくなれるだろう――」と思って始めたのだが、おろかな思考は世間のキビシサを嫌と言うほど満喫させてくれた(泣)。

※9:全品に味噌汁がついてくるのも松屋の魅力の1つである。だがカレーライスにも味噌汁がついてくるのはちょっと…。

※10:現在は550円に値下がりしている。


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