あの日、あの時、あの場所で 〜ある日の風景 由真〜
第三回葉鍵板最萌トーナメント出展作品
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 世の中に『絶対』というモノはないというけど、男よりも女の方が絶対に気苦労が多い。
 これはたぶん、人類が生まれる前から決まっていたことであって、動かしようのない事実だ。間違いない。あたしが――、この十波由真が今そう決めた。
 そもそも不公平なのだ。女はいちいち着飾らなきゃいけないし、スカートはかなきゃいけないから風が強い日は裾が心配だし、あぐらだって自由にかけやしな い。腕力に劣るからあんまり無茶できないし、社会に出たら男の方がお給料も良いらしい。お化粧だって勉強しないとスッピンじゃ怖いし、太るから美味しいも のだってたくさん食べられないし、毎月一度はお腹が痛くなるし、ええい、いくつあるんだ、こらぁっ!
 そうよ、なんでこんな苦労しなきゃいけないのよ。理不尽じゃないの。レディースデーごときじゃ補填にならない。もっと女は優遇されるべき。
 いっそ、毎月の祝日に、男にプレゼントを要求できるような制度を作ったらどうかな。相手はもちろん指名制で。モテる男の子には悪いけど、そのくらい義務よね。
 だから――

「のんきに寝ちゃって、まぁ……」

 今こうしてあたしの目の前で寝ているこいつ――河野貴明になんだかムカついているのは、至極自然なことなのだ。たぶん。

  『とにかく俺は眠いんだ、散れ散れ』

 寝入る前に貴明が呟いていたことを思い出す。
 何様のつもりだ、この。たまたま休講だからってこんなとこでサボって偉そうに。
 自習しろ自習。
 まぁ、あたしもサボり組だけど。
「女の子を目の前にして、他にやることはないのかーい……?」
 そう聞いてみても、ベンチに横になった男の子から応えはない。ゆうべ夜更かしでもしていたのか、夢の世界がよほど心地良いのか。
 いずれにせよ、桜もいいかげん散り終えた五月の初旬、本来なら授業中だから他に人がいないとはいえ、こんな良い天気の屋上をひとりじめして寝ているとは大胆なやつだ。先生が来たりしたらどうするつもりなんだろう。
 それとも、男の子はそういう人目を気にしないものなのかな。何ともうらやましい。こんなとこでも不公平だ。
「ふー……」
 起きる気配のない貴明から視線を外し、あたしはゆっくりと伸びをした。
「んっ……」
 晴れ渡った青空の屋上。校舎のどこかから、陽差しに乗って誰かの歓声が聞こえてくる。フェンスの向こうには見慣れた街の小さな風景がどこまでも広がって、ところどころ落ちた雲の影がゆっくりと流れていた。
 ここはあたしの大好きな場所。鳥かごに入れられた小鳥が、ほんの一時、高いところまで飛んでいける気になれる場所。
 屋上に立って、当てもないどこかを眺めているだけで、積み重ねられる嫌なことを忘れられる、そんな場所なのだ。
 そう、そもそも屋上まで来たのは、貴明の寝顔を見るためじゃない。ここ数日のもやもやをちょっとだけでも発散したかったからだ。
 親からの期待、先の見えない将来、どこにいるかわからない自分自身、そして、心に貼り付いて離れない男の子。
 考えて、悩んで、また考えて、また悩んで。眠れない夜をいくつも過ごして、でも何もわからなくて。
 だから、ちょっとだけ、鳥になった気分になりたくて来たというのに。

 なのに――

 なのに、なんて理不尽。
 まったく、なんでこいつがいるんだろう。
 よりによって、もやもやの原因のひとつに会っちゃうなんてね。ほんと、ついてない。
 おまけに、この男と来たら、せっかくあたしが話しかけてやったのに、ロクに返答もしないでグースカ寝入っちゃって。ムカつくったらありゃしない。
 人の気も知らないで。ほんとに。
 こいつってば、こんなのばっかり。

「ニブちん、ばーか」

 思い返せば、いくつも出てくるムカつく思い出。
 仲良くしようと思ってアプローチしてるのに、こいつ全然気付かないんだもん。
 それどころか、なんだか変に敵対関係になっちゃったりして。
 別に、あたしはそんなにこだわってないのに。
 ……や、ちょっとはこだわってたかもしれない。
 しょうがない、そこは少し譲歩してやろう。あたし、大人だから。
 そして、こいつは子供。
 ……子供だから、ニブいのか。
 気が利かないんだよね。
 同い年のクセに。
 あ、なんかムカついてきたぞ。
 これは新しいムカつきだから、譲歩する必要は無いよね。
「結論、河野貴明はニブちん。そしてバカ」
 声に出して言ってみる。
 うん、しっくりくるわ。100年前から決められていたみたいに。
 だいたい、人の気持ちを汲むってことを知らないのよね、こいつってば。
 屋上であんたを見かけて、あたしが話しかけるまで、どれだけの勇気が必要だったか。
 話しかける時、声が震えないようにするのに、どれだけの努力が必要だったか。
 そういうこと、全然分かろうともしてくれないんだから。あー腹立つ。
 溢れる言葉を塊にして、投げつけてやりたい気分。顔に命中させたら、きっと100点。そしたら、ちょっとは気分も晴れるだろうし。

 でも、ああ、なんか、それだけじゃダメみたい。
 だって、ほら、あたしもう、こいつのこと許し始めてる。

「なんでかなぁ」

 穏やかな寝顔を見ているだけで、ささくれ立った気分がなだらかになる。
 悔しいけれど、勝てる気がしない。こんな気分になるの、あんたが初めて。
 だから、そっと、あたしはベンチの脇に膝を下ろす。

「なんで、あんたなのかなぁ」

 立っている時より、ずっとあたしに近づいた顔。
 こんな近くでこいつの顔見たの、そういえば初めてだな。
「カッコよくないし、たくましくもないし、ニブちんだし、成績だって大したことないし、顔見れば喧嘩ばっかりしてるのに」
 目の前で寝入った貴明に、あたしは語りかける。
 夢の世界から帰ってこないように、そっと、小さな声で。
 臆病なあたし。嫌になる。
「なのになんで、あんたのこと、こんなに気になるのかなぁ」

 でもきっと――

 カッコよくて、たくましくて、気が利いて、成績も良いステキな男の子だったら、
 たぶん、あたしは、こんなにドキドキしない。

 なんでか分からないけど、きっとそう。

 前までのあたしだったら、そんなことすら気付かなかった。
 でも今なら、確信をもってそう言える。
 そんな男の子、ちっとも興味ない、って。

 ああ、きっと、こいつのせいなんだろうなぁ。

 やっぱりちょっとムカついて、ぷに、と頬をつついてみる。
 起きるかな。どうかな。
 うん、まだ寝てる。よっぽど眠いんだな。

「どうせあんた、知らないでしょ……?」

 いつからだったっけ。
 マスコットを交換した時から?
 あたしのために赤いぬいぐるみを取ってくれた時から?
 満開の桜を一緒に見た時から?
 MTBで一緒に坂道を駆け下りた時から?
 一緒に映画を観に行った時から?
 ゲーセンで遊んだ時から?
 野球をしている姿を見かけた時から?
 あの日、校門でぶつかった時から?
 それとも――
 あんたとまだ知り合う前、愛佳と楽しそうに話しているのを、遠くで見かけた時から?

 いつから、あたしは、こいつのことが、こんなに気になり始めたんだろう。

「あたしが、あんたのこと、どう思ってるか……とかさ。全然、知らないでしょ?」

 ドキドキして、もやもやして、いらいらして、
 不安で、泣きたくて、でも甘えたくて、
 ほっとして、悲しくて、寂しくて、嬉しくて、
 そして毎日が、例えようもなく楽しくて
 自分が今どんな気持ちなのか分からないほど、こいつのことばかり考えて。

 それなのに、あんたってば声かけても起きないくらいに安眠でさ。
 話しかけても散れ散れって、素っ気なくて。
 何よ、もう。ちょっとくらいあんたも悩みなさいよ。
「あたしばっかり、絶対、不公平よ」
 それとも、あたしのことなんか、全然なんとも思ってないの?
 もしそうなら、はっきり言ってよね。
 長引かせられたら、その分だけ、つらくなっちゃうし。

 でも、もし、そうじゃないなら――

 ……あたしは、なんて言って欲しいんだろう?
 もう、全然分からない。悩むの、疲れちゃった。
 わからないよ、こんなの。めんどくさい。もういい。

「だから、あんたなんか、大嫌い」

 そう言った瞬間――

 ズキン、と、胸のどこかが痛くなる。

「大嫌い……に、なれたら……」

 ああ、やだな……

「そしたら、きっと、楽なのに」

 自分がこんなに女々しいなんて
 もっと、凛としているって、思ってたのに

「ねえ、あんたはどう思う?」

 変わらない寝顔に、
 あたしはそっと話しかける。
 返ってくるはずもない、嬉しい言葉を期待して。

「あたしのこと、どう思う――?」



 サァ……と、やわらかい風があたしの髪を揺らす。
 新しいリンスの香り、寝ているから気付かないよね。もったいない奴。
 あたしは、あんたのシャンプーの香り、いまも感じてるのに。
 同性からは決して漂ってこない、ちょっとツンとしたトニックシャンプーの香り。
 女の子みたいな顔してるのに、そういうところはやっぱり男の子だよね。
 あたしばっかり、そんなところに気付いちゃう。

「ほんと、不公平だなぁ……」

 そして、たぶん、だからこそ――
 女は、男よりずっと、ずるくできているんだ。
 だって、いま、
 あたし、とんでもないこと考えてる。
 その証拠に、ほら、
 貴明の顔、だんだん近づいてくるよ?

  『寝てる間にいたずらすんなよ……』

 寝る前にこいつが言ってたことを思い出す。
 まさか本当にいたずらされるなんて、思ってなかっただろう。
 あたしだって、夢にも思ってなかった。
 今だって、こんなことしちゃダメ、って、頭の中ではわかってる。

「これは、罰……」

 だけど、貴明があんまり不公平だから
 あたしのこと、こんな気持ちにさせるから、
 何も知らなかったあたしに、恋の味なんか覚えさせるから――

「あたしのことやきもきさせてる、罰なんだから」

 だから、女は、ずるくていいんだ

「――っ」

 見ているのは、お日さまだけ。
 誰もいない昼下がりの屋上で
 二つの影が、一つに繋がる。

「…………」

 きっと、その一瞬は、永遠だった。
 だってほら、離れてもあたし、まだ、夢を見ている気分。
 おかしいな、空はこんなに明るいのに。

「……しちゃった」

 たぶん、あたしと貴明の、大切なコト。
 あたしだけが知っている、大切なコト。
 しちゃった。

 あーあ、

 初めてが、こいつだなんて。
 ムカつくったらありゃしない。
 その割には、顔がニヤけて止まらないけど。
 ま、いいか。

 でも、さて、どうしようか。
 こんなことして、いつか言わなきゃいけないのかな。
 やれやれ、また難題を抱え込んじゃった。まったく、これじゃあ気の休まる時がない。
 それなのに、こいつと来たら、何も知らずにまだ寝てる。
 あたしのリップ、あんたの唇についちゃったぞ。わかってるの?
 いいや、もういい、一生貴明には話してやらない。
 そうだ、それがいい。そうしたら、あたしはいつだって、貴明の一歩先だもん。
 こいつがファーストキスをする時は、あたしはセカンドキス。こいつがセカンドキスをする時は、あたしはサードキス。
 ずっとずっと、ずーっと、あたしだけ、キスの数が一回多いんだから。ふん、ざまあみろ。

 だから――

「あたし以外と、するんじゃないぞ」

 そう言って、あたしは貴明の唇にちょんと指を当てる。

 あたし専用、もう決めた。

 そう決めると、なんだか少し、晴れやかな気分になる。
 うん、まだ頑張れる。
 屋上の扉を開けた時より、ずっと心地良い。

「さて――」

 ふっと一息つくと、あたしは立ち上がる。
 うじうじするのは好きじゃない。
 もっとさっぱりで行こう。せめて、そうである自分になるために。

 だから、いまは、

 この日、この時、この場所で、
 あたしだけが知ってるこのことだけは、

 まだずっと、秘密だよ――



 ――――――――――――――終わり

(画像:(c)Leaf/AQUAPLUS 「ToHeart2 AnotherDays」)
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