私は古書店、中古CDショップなどで買い物をするということが滅多にない。よほど珍しいものか、絶版本などを探す時以外は、立ち寄ることさえほとんど無いのである。東京に住んでいる本好きのくせに、神保町の古書店街すら、ほんの数回しか足を運んだことがない。理由は無いでもないがここでは書かない。他人に理解してもらえたためしが無いからだ。たとえ理解してもらえたとて、そもそもこれから書くこととは関係が無いから割愛させていただく。「この雑文の作者は古書店に行かない」それだけ理解していただければよい。
ところが、まだまだ日差しの厳しい8月のある日、気付くと神居はバイト先の近くの、古書&中古CD店内で一息ついていたのである。いったいどうしてそんなところに足が向かったのか、皆目わからない。特別欲しい本やCDがあったわけではないし、涼をとるなら近くのファーストフード店にでも入ったほうがよほど快適だし、そもそもバイトが終わって辺りはもう真っ暗なのだから、家に帰ってクーラでもつけるのがベストの選択のはず。なぜこんなところに……?
連日の猛暑に、私の脳回路のどこかが、とうとう混線を起こしたのだろうか。そうでも考えないと、自分の行動が理解できない。
さて、急に話は変わるが、中学生当時――今でもそうなのだが、私はJ−POPにほとんど関心がなかった。かろうじてB'zと槙原敬之が好きだったくらいで(それも彼らの歌を、ほんの1、2曲だ)、なんとサザンオールスターズや、尾崎豊ですら、名前を言われてとっさに頭に思い浮かばないほどであったのだ。筋金入り、と言っても良いと思う。
そんなだから、自分でCDを買うなど思いもよらぬことで、家にあるCDは両親が自分たちのために買ってきた「リゲインのテーマ」とか「愛は勝つ」とかくらいだった(※1)。しかも「リゲインのテーマ」と来たらリミックスバージョンしかなく、実はいまだにオリジナルバージョンを通して聴いたことがなかったりする。要するに、音楽的なものとはまったく無縁の中学生だったわけだ。(それでも小学校のとき金管バンドクラブだったし、エレクトーンを5年ほど習っていた。……高みを目指さないかぎり、人間なんていい加減なものだ)
だが、誰にでも運命の出会いというものはあるもので、中学3年生のある日、ようやく私にもその瞬間がやってきたのである。それはあるドラマの、エンディングの場面だった。
当時「白鳥麗子でございます!!」というドラマがやっていたのだが、うちの母親はそれがいたくお気に入りの様子で、再放送の時も欠かさず見ていた。私が見たのは確か5時くらいからやっていた放送だったので、おそらく再放送だったと思う(確証はない、ドラマが何時に始まるものなのか、今もってよく知らない)。とにかくその日、部活動から帰ってきた後、やることがなかった私は、別段見たくもなかったそのドラマを、母と一緒につらつらと見物していた。途中からだったのでシナリオが良く把握できなかったのだが、白鳥麗子役の松雪泰子さんがなかなかに魅力的で、思わず引き込まれてしまったことをよく覚えている。
そして……思わせぶりなところでその日の放送分が終了し、おもむろに響きだしたその曲を聴いた時、私の身体に、電流にも似た衝撃が突き抜けていった。
これから何かが始まることを強烈に予感させるイントロ、優しさと力強さが同居した透明感あふれるヴォーカル……ZARDの歌う「負けないで」である。
なんて素敵な歌声なんだろう――ドラマも面白かったが、この歌の存在感、印象はまさに圧倒的で、J−POPに免疫のなかった私は、一発でめろめろ状態になってしまった。
そして次の日曜日――なけなしのお小遣いをポーチに入れて自転車に乗り、私は駅前のCDショップへと、ハンドルを向けたのだった。そして手に入れてきたのが、当時のZARDのニューアルバム「揺れる想い」である。
帰ってきてCDプレーヤにセットし、曲が始まったときの感動といったらもう……一流の推理小説を読んだときですら、滅多に味わえないほどの感動が部屋中に満ち溢れ、当時建替えたばかりの、私の家の部屋が、別世界にでもなったかのようだった(※2)。「負けないで」だけでも感動ものなのに、私が買ってきたのはアルバムだったから、それが10曲も続いたのである。中でも「揺れる想い」は、「負けないで」以上に私の心を揺さぶる曲で、あの時よく自分は感動で気絶しなかったものだと思う。そう思えるほどに、ZARDとの出会いは強烈無比だった。
そんなだから、あのアルバムに入っている曲は、みんな大好きである。だが……ただ1つだけ、「好き」という言葉だけでくくれない曲がある。過去形ではない。当時ももちろんそうだったが、今でも現在進行形で、それは「ある」のだ。
2曲目の「Season」という曲がそうである。
この曲の歌詞を要約すると、「学生時代に好きだった人……好きという気持ちをとうとう伝えられなかった憧れの人を、今でも時々思い出す」というものである。
それはまったく他人事ではなかった。私にもいっちょまえに初恋というものはあって、そして……当時の私は、その秘めた想いを、打ち明けられずに悩んでいたそのまっただ中だったのだ。
そんなだから、この曲を聴いた時……胸が締め付けられるような、息をするのがつらくなるような……そんな奇妙な感覚にとらわれたものだった。「切ない」という感覚を初めて味わったのは、今にして思えば、まさにこの瞬間だったように思う。
そして――いくつかの季節が足早に過ぎ去り、私は卒業のシーズンを迎えた。告げられぬ想いを、胸の内に秘めたまま。卒業式が終わったらきっと言おう、どんな結果に終わっても、最後のこの日に、想いを告げよう……そう、胸に誓いながら。
両脇に並んだ在校生たちの間を歩みながら体育館を出……学校のすぐ近くの桃山公園までみんなで歩いていく(※3)。それは我が中学校の伝統のようなもので、そこで卒業生たちは教師や親や友人たちと、中学生最後の思い出を作るのである。
最後の思い出――。
広い公園の中、私は時折駆け足になりながら、目的の人物の姿を探した。「言わなければ――」「自分の想いを、打ち明けなければ――」。
桜花散る公園――友人たちと談笑する者、教師に礼を言う者、親と肩を並べて歩く者、記念写真を撮影する者、想い人と寄り添いあう者――様々な想いが交錯する公園の中、私はただ1人の人を求めて歩く。溢れ出す想いをこぼしてしまわないように……こぼれてしまわないうちに打ち明けろとせきたてられるように――。
そして……公園内の池にかけられた橋の上に、ようやく私はその人の姿を見つけた。
2年間、ずっと思い続けた人。
他の全てが霞んでしまうほど、恋焦がれた人。
ようやく、打ち明ける時が来た。
打ち明けられる時が来た――はずなのに。
でも……
あの人の、まぶしい太陽のような笑顔を見た瞬間――
あの人の、澄み渡った瞳を見た瞬間――
私の脚は、あの人に近づく前に、その歩みを止めてしまったのだった。
言わなくてはいけないのに……
今を逃したら、もう言う機会など無くなってしまうはずなのに……
でも、私の脚は動かない
一点の曇りもない、その笑顔。
憂いのかけらもない、輝く未来だけを見つめるその瞳。
そこに自分などが入っていく余地はない――。
そんな想いに、とらわれる。
何の根拠もないはずなのに
言ってみなければ、結果など判ろうはずもないのに……
でも……
いくら自分を叱責しても……
いくら自分を奮い立たせても……
私の足が、あの人の元へと駆け寄ることは、とうとうなかった。
秘めた想いは、打ち明けられることなく――
私の胸の内にひっそりと、その身を隠してしまったのだった。
もう、ZARDを聴く気はしなくなった。特に「Season」――もう、何もかもが他人事ではない、その歌詞――何もかもが歌詞の通りの、私の初恋――。
とても、聴けなかった。
自分が壊れてしまいそうで――どうにかなってしまいそうで――。
そして私は、宝物だったそのアルバムを、中古CDショップへと持っていってしまったのだった(※4)。
あれから7年の月日が流れた。
日々の雑事に追われる中で、いつしかあのアルバムの存在は小さくなっていき、あれだけ胸を痛めた初恋の思い出も、心の引出しの中にしまいこまれてしまっていた。
忘れたわけではなかった。
折に触れて私はあの頃を思い出し、ほのかな胸の痛みを感じたりもした。
ZARDがベストアルバムを出した時も、あの人の顔を思い出しながら、買いに行ったものだった。
だが……それでもやはり、私の中であの思い出は、やりきれないほどに小さくなっていた。
大人になる、というのは残酷なことだ。
忘れてはいけないことを忘れ、軽くしてはいけないものを軽くする。
純粋だったものは否定され、社会で生きるための、目を背けたくなるような不純を肯定する。
「何かを得る」などと言う反社会的な希望は剥奪され、我々は日々、何かを失いながら生きていかなくてはならなくなる。
でも……
夜空に流れ星を見つけるのと同じくらいの確率で……
思いもかけない、素敵なものにめぐり会える瞬間が、ある。
たんぽぽの綿毛が、春風に吹かれて舞うような小さな幸せが、確かにある。
ふらりと入ったお店の片隅で……7年の時を越え、私は懐かしいその思い出と再び巡り会ったのだ。
中古CDコーナの隅……新品なら3000円で売られているはずのCDアルバムが、580円で売られている特価品の棚……そこに見つけたのだ。想い出のアルバム「揺れる想い」を……。
普通のCDショップであれば、こんな出会いは無かったと思う。
私がCDショップに行く時は「B'zならB'zの、ゆずならゆずのCDを買いに行く」というように、極めて目的がはっきりしているので、お目当てのCD以外のものは目に入って来ない。たまたま中古ショップで、ウインドーショッピングを楽しんでいるという、普段の私では考えられないような状況であったからこそ、この出会いは実現したのだ。
思わず手にとって、懐かしいそのジャケットを見たときは、本当に胸が震える想いだった。
薄く、霧がかかったような幻想的な色調で統一された、坂井泉水の写真。裏面に印刷された、忘れることのできない曲目。
「揺れる想い」「In my arms tonight」「負けないで」そして……「Season」。
あれから7年もの時が過ぎた。
いくつもの季節を経験し、以前よりずっと強くなった自分がいると思う。
もう、聴いても良いだろう、想い出のあの曲を。
他のいくつかのアルバムと共に買い求め、家路へと自転車のペダルを漕ぎ出す(※5)。
……色々な場面が、頭に浮かんだ。
家までの15分の道程の中、いくつもの場面が、フラッシュのように閃光的に、次々に思い出される。時を越え、場所を越えて……私の心が、あの頃へと戻っていく。
心に甦る、中学時代の自分。
時を越えて語りかける、いくつもの季節。
それらが、グラスに注ぎすぎたカクテルのようにあふれて、胸の中いっぱいにしみていく。
ささやかな我が家のCDプレーヤからサウンドが流れ出した時には、私の心はもうすっかり中学時代のそれに替わっていた。
忘れてなんかいない。
存在が小さくなったなんて嘘。
ただ、時という優しさがワインを甘くするように、想い出さえも口当たりの良いものへと変えていただけ。
どんな想い出だって、そうなのだろう。
忘れることなんかできっこない。
それはいつだって自分自身だから。
長い長い道を歩いてきた、かけがえのない足跡だから。
忘れることなんてできるわけはないのだ。
宝石箱にしまった手紙のように、
本棚に眠るアルバムのように、
いつの日か開かれることを夢見て、
大切にしまわれている。
追い立てられるように過ぎ去る時――
振り返るひまなど与えられない社会と言う名の悪意――
でも、足早に過ぎ去る時間の中で、ひとかけらの幸せさえ見つけることができれば、
それは光を忘れた私たちの胸に、鮮やかに甦るのだ。
ZARDの4枚目のアルバム――「揺れる想い」。
初めて自分で買ったCD。
初めて「切ない」という感情を覚えたあの瞬間。
初めての恋を象徴するような――あの曲。
それが7年の時を越えて、再び私の元へと帰ってきた。
もう、手放したりなんかしない。
絶対に、手放さない。
宝物をしまいこんだケースの鍵のように
大切に大切に、私のそばに置いておく。
なぜなら、私にとってのZARDとは、長い長い道の入り口の…その扉に手を伸ばしかけていた、あの頃の自分そのものなのだから。
恋焦がれたあの人と共に過ごした、中学時代という季節……あのSeasonそのものなのだから。
――――――――――終わり
(初出:2000年)
※1:基本的に演歌が好きなはずなのに、たまに何か買って来るとこういう奇妙な方向である。我が親ながら変わった人間だと思う。
※2:一流の…などと書いたが、中学時代の作者は推理小説から遠ざかっていた。あのころ好きだったのは推理小説ではなく、もっぱらテレビゲームで、作者のお気に入りはPCエンジンの「天外魔境U」だった。あのゲームは今でも作者のベスト1である。
※3:大きな風車がある、我が町自慢の公園。春になると桜が満開、秋になれば紅葉が真っ盛り。中学時代の、部活の同級生たちと、ここで花見をした。
※4:実は買ったところと同じ店。新品と中古と両方置いてある、田舎にしては便利なお店だった。
※5:このとき買ったのは「ZARD TODAY IS ANOTHER DAY」(ZARD)と「Time to Destination(Every Little
Thing)」の2つ。