アプリールの吟遊詩人
問題編
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    ※

 名を呼ぶ声がかすかに聞こえたような気がして振り向くと、先ほど自分が歩いてきた道を辿って、見覚えのある亜麻色の髪が駆けてくるのが見えた。
 ――さては、文句でも言いに来たのかな…?
 思い出してみれば、彼女にだけ、今日のことを話していない。自分のうかつさと、そして、そのうかつさをどこかで黙認していた自分に気付く。
 ――まあ…今日くらいは、思い切り平手打ちされてもしょうがないかな。
 益体もないことを考えている内に、少女が、自分の所まで追いついてきた。身支度の暇もなかったのか、いつもポニーテイルにアップされている髪が下ろされていて、所々ほつれている。
「はぁ、はぁ…」
 村からここまでずっと走ってきたのだろう、顔を真っ赤にしてなにか言い募ろうとしているようだが、それよりも息が切れていて、言葉にならない様子だった。着ている空色のブラウスにも、汗が滲んでいる。
「殴っても良いよ」
 ぜえぜえと息をついているのが少し可哀相になって、自分から少女に話しかけた。
「そのために、ここまで来たんだろう? そのくらいの覚悟くらい、僕の方はできてるさ」
 だが、案に相違して、言われた少女の顔は、なにかとてつもなくひどいことを言われたかのように、さっと悲しげな表情に変わった。
「あ、その…。悪かったとは思ってる。謝るよ。黙ってるつもりはなかったんだけど、その…」
 いつも笑っているような印象が強い彼女の悲しそうな顔に戸惑って、あわてて言葉を繋ぐ。沈黙してはいけない――と、根拠はないが、そう確信する。
「なかなか、言い出せなくてさ…」
 だが、焦れば焦るほど、言葉が出てこない。いつもは、彼女相手ならそれこそ何時間もしゃべりっ放しのことも珍しくないのに、なぜか、頭の中から言葉が消えている。
 少女の、いつも元気そうな黒い瞳に湛えられた、悲しい色のせい…?
「……だから、その…ごめん。好きなだけ、殴って良いからさ」
 ようやく、それだけを言い、自分の不器用さに内心舌打ちしながら、そっと目を閉じる。
 ――きっと、今日の平手打ちは、いつもの3倍くらい痛いだろうな…、
 だが、衝撃はほっぺたではなく、胸に来た。
 目を開くと、少女の右手が突き出されて、こちらの胸に当てられていた。手は拳に握られていて、ふくらみ具合から、中に何か小さなものを握っていることが判る。
「…?」
「……」
 一瞬――少女が、何かをこらえるような顔になった。両目をぎゅっと閉じて、口を真一文字に結んで。
 震える肩と、閉じられた目じりに浮かんだ涙が見えた。
 だが、次の瞬間、少女はバッとこちらの手を取り、掌を開かせて、持っていたものを握らせた。そして彼が、それが何であるかを確認するより早く、少女はきびすを返して、もと来た道をまた駆け戻って行った。
 ――あ――
 行くな、と、喉元まで出かかる。だが、彼は懸命にそれをこらえて、自分の手に握らされたものに、視線を落とした。
 透き通った、綺麗な石がそこにあった。
 多角形にカットされて表面を磨きあげられた、白い輝き。
 それは、彼女が祖父からもらったという、『龍の涙』と呼ばれる結晶石だった。
 カルナス大陸北部のラグーナ山近辺でしか採石されることのない結晶石の中でも、その質の高さから、宝石と同等以上の価値を誇る龍の涙。若い頃に諸国を放浪したという彼女の祖父が、お守りとして持っていたそれを、現在では孫娘の彼女が、肌身離さず持っていた。
 それが今、自分の掌の中にある。
 ――こんな、大事なものを…
 顔を上げると、しばらく行った先で、少女がこちらを向いて立ち止まっていた。
 そして、息を大きく吸い込むような仕草の後、全身を使った大声で、こちらに向かってひと言叫んだ。
 その言葉を聞いた時、彼は先ほど「行くな」と言わなかったことを激しく後悔した。そして、また村へと駆け出して行った少女の後ろ姿を見ながら、ここ数年、流したことのなかった涙を、いっぱいに溢れさせた。


   1


 緩やかな陽光をいっぱいに浴びた白雲が浮かぶ、3月下旬とはいえ小春日和というにはまだ少々肌寒いカルナスの空の下、フィード=サテンフォールの歌もそろそろフィナーレにさしかかっていた。
 辺りには、仕事の手を休めて束の間の憩いを楽しもうと集まってきた村人たちが、まだ若い、黒のマントを羽織った赤毛の吟遊詩人の歌に、じっと耳を傾けている。

 ――それは、南の地にひっそりと咲いた、悲恋の花。
 ――たったひとつの白い輝きに込められた、想いの雫。

 今日の演目は『封じられた伝説』という、千年の時を越えて再び巡り会う恋人たちの物語だった。吟遊詩人の奏でる曲としては、恐ろしくスタンダードなものだが、これがフィードの一番のお気に入りである。
 携えたリュートの旋律が、物語に花を添える。時に天空を飛翔する燕のように、時に草木を撫でるそよ風のように、高く低く。
 旅に出た当初は、まだ話の盛り上げ方すらあやふやだったメロディも、2年間の放浪生活の賜物か、最近では聴衆の反応を見ながら、臨機応変に演出を変更することができるまでになっている。

 ――悠久の季節を越えて、いつの日か解き放たれるその時まで、

 ゆっくりと、音の余韻を残しながら、物語を閉じる。

 ――きっと忘れないで、風に溶けた、封じられし物語を――

 かすかに残る弦の振動をそのままに、約30分に及ぶ演奏が、すべて終了した。
 しばらくの静寂ののち、ほっ…とひとつ息をついて立ち上がり、リュートを抱いて一礼する。すると、それまでじっと耳を傾けていた、決して多くはない村人たちの、それでも「盛大な」という形容がふさわしい拍手が一斉に響いた。そして、取り囲んだ聴衆の何人かから、「良かったよ」「面白かったよ」の感想と共に、いくばくかの食料と銅貨が手渡される。フィードはそのひとつひとつを大事に受け取りながら、地面に広げたシートの上に、それを整理して並べていく。
「若輩者の演奏にお付き合いいただき、身に余る光栄です。お聴き苦しい所など、ございませんでしたでしたか?」
「なんのなんの。兄さん、若いのになかなか良い声をしてるじゃないか」
 少々体格の良過ぎる40代と思われる女性が、パンを差し出しながらそう言ってくれた。それがお世辞でないことは、真っ赤になった彼女の耳が証明している。こういったささやかな幸福のために、吟遊詩人をやっていると言っても過言ではない。例えて言えば、好きな子の気を惹くために、わざわざ犬を散歩させているという状況に近いだろうか。
「いえ、恐縮です」
 普段から糸目と言われるそれを、ますます細めて微笑む。この状態のフィードは、口を見なければ眠っているように見える。幼い頃は、近所のリーザという幼なじみに、よくからかわれたものだ。
「ははは、うちの女房は、涙もろいからなぁ。こういう話にはめっぽう弱いんだろう?」
 横合いから、50がらみの小柄な男性がニヤニヤしながら婦人に声をかけた。どうやら、夫婦らしい。とても体格の釣り合いのとれた夫婦だ、と心の中だけで呟く。
「うるさいね、このジジィは。デリカシーのデの字も知らない奴が、口を挟むんじゃないよ!」
「デリカシーだってよ、おい聞いたか、おまえら。意味判って言ってんのかねぇ?」
「やかましい! これ以上その無駄におしゃべりな口を開いたら、かろうじて虫歯にやられていない、数少ない前歯を旅行に出かけさせても良いんだよ!」
「それは困るな! 旅に出るのは、アルスさんの所の娘っ子で充分だ!」
 2人のやり取りに、それまで演奏の余韻にひたっていた村人たちの間から、どっと笑いがあふれる。その笑い声を聞きながら、フィードはもう一度、北の大地に吹く風の匂いを全身で受け止めた。


 カルナス大陸北部、グローザム領の要として栄える交通と商業と工芸の街・フレアリーフ。この地方では珍しい石造りの街並みが広がる景色も、西の門から外へ出たとたん、木々や草花の緑と、土の茶色に彩られた、深い森へと姿を変える。
 その森の中をくねくねと曲がりくねって進んでいく道を、馬に揺られて2時間ばかり行くと、雄大なラグーナ山脈の足元、広大な畑に周りを囲まれた小さな村にたどり着く。
 見渡す限り広がる畑は、1つ残らずすべて花畑で、そこではたった一種類の花だけが、いつとも知れぬ昔から、ずっと栽培し続けられている。
 大ぶりの葉に彩られた茎は大人の膝丈ほどで、途中から3本に別れた先に、それぞれ一輪ずつ純白を咲かせるその花は、容姿の可憐さから「雪の姉妹」とも言われ、旬の時期である6月から8月の間には、この村のみならず、近郊の街や村、果ては国境を隔てたグレイドラやアプリールの花屋を真っ白に埋め尽くすほどだ。
 なぜかその地にしか咲くことのない、そのマリークレアと言う白い花を育て、近隣の街や村と取引しながら生計を立てているのがこの村で、名は、花と同じくマリークレア村。小さいながらも、栽培される花の美しさと共に、大陸中にその名を知られた、有名な村である。
 もっとも、3月下旬の、この地ではようやく冬が明けた所という時期では、まだ花は蕾すら付けてはいない。種まきが終わっただけだ。フィードがこの村までやってきたのには、別の、2つの理由がある。
 1つは、この村からラグーナ山脈へと続いている森の中にある、この地方で最も大きな湖、カルナス湖である。味も素っ気もない名前の湖だが、別名を妖精の瞳と言い、その水の透明さは、夜空にきらめく小さな星々をも映し出すほどだという。花と共に村が誇る、大自然の芸術である。
 近隣から見学に訪れる者が多くなる5月に入るよりも前に、その妖精の瞳を、誰にも邪魔されずに1人だけで見ようと言うのが、今回の来訪目的の1つである、
 そしてもう1つ、それよりは幾分か散文的な、極めて実務的な用事がある。


「あの、失礼ですが、ちょっとお聞きしたいことがあります」
 もう日常の風景と化しているのだろう、毒気のいっさい感じられない夫婦の口喧嘩に言葉を挟む。
「ん? なんだい?」
「パトン・マーグレットさんという方にお会いしたいのですが、どちらへ伺えば良いでしょうか」
「マーグレットさんのとこ? あんた、パトンさんと知り合いなのかい?」
 小さな村のこと、住民すべてが友人知人なのだろう、すぐに体格の良い婦人が反応する。
「いえ、そうではないのですが…。フレアリーフで、少々用事を預かって参りましたので、お伺いしたいのです」
 そこまで言った時、人垣の間を割って、1人の少女が「あの…」と声をかけてきた。
 スラリとした身体に明るい白の上着を羽織った、16、7歳くらいの、顔立ちの整った美しい娘だった。落ち着いた雰囲気が少し大人びていて、目にも鮮やかなプラチナブロンドの長い髪と、それとは対称に慎ましやかな光を湛えた、深い青の瞳が印象的である。
「ああ、ミリアじゃないか。ちょうど良い所に来たね」
「こんにちは、おばさん。あの…吟遊詩人さん、今、パトン=マーグレットって言いました?」
「はい、間違いありません。えっと…ミリアさんでしたか」
「兄さん、ちょうど良かったね」
 そう言って、体格の良い婦人が、少女の肩をぽんぽんと叩く。
「この子が、パトンさんの娘さんだよ」
「はじめまして」
 行儀良く一礼して、ミリアと呼ばれた少女が、詩心を刺激するほど完璧に微笑んだ。
「私、ミリア=マーグレットと言います」


   2


 交易都市フレアリーフにフィードがやってきたのが、つい昨日のこと。アルグレフからカルナス大陸へと向かう船の中で知り合った少年を、デルファーレに送り届けたついでに、北まで足を伸ばしたのである。
  だが、この時期のフレアリーフは、雪に閉ざされ続けた冬がようやく明けた影響で、結晶石鉱山をはじめ、交通、貿易などが一斉に活気を帯びはじめて、非常にあわただしい。道行く人はたいがい仕事に追われているし、立ち止まって吟遊詩人の歌に耳を貸してくれる人など皆無なので、正直フィードは来る時期を間違えたかと後悔をしていた。
 しかし、たまたま立ち寄った『パイプと紫煙』という食堂の夫婦が、フィードの歌にいたく喜び、なんと夕食をただでご馳走してくれたのである。
 オノリさんとナーナさんという、生まれた時から笑いじわが消えたことがないんじゃないか?と、勘繰ってしまうほど終始笑顔の夫婦が経営している、店名に反抗するかのように明るい店で、創作料理らしい様々な料理がテーブルに並べられた。どれもこれも、ベースになっているオリジナルが何の料理なのかさっぱり判らない物ばかりだったが、思わず舌鼓を打つほどに美味しかった。
 その後、食事だけいただいてハイさようならというわけにもいかないので、しばらくオノリ氏の酒の相手をしたのだが、その際中に「あんた、マリークレア村にも寄って行くのかい?だったら…」と、頼まれ事を預かったのである。なんでも、村にいるパトン=マーグレットという…酔っていてフィードはよく覚えてはいないが、イトコだかハトコだか遠い親戚だか単なる知り合いだかに、手紙を届けて欲しいのだという。手紙の内容は、詳しくは聞かなかったが、どうやら身内の相談事か何からしいと言うことは、口ぶりから推測できた。
 断る理由もなかったし、カルナス湖を見てみたいということもあったので、快くその依頼を引き受け、そして現在に至るというわけである。


「すると、この手紙を届けるために、わざわざこちらまで足を運んで下さったというわけですか。いや、どうも…ご足労をおかけして申し訳ない」
 パトン=マーグレットは、これはどうやらオノリ主人と血縁関係にあるなと確信できるような、人懐こい、笑顔の絶えない御仁だった。天然パーマなのだろう、くるくると波打ったアッシュブラウンの髪と、色素の薄い茶色の瞳があいまって、中年男性のはずなのに妙に可愛らしい。娘とは似ていないが、他に父親似の女の子が生まれたら、きっと可愛いだろうという、変な想像をしてしまいそうだ。
「いえ、このくらいは苦ではありません。それよりも、こちらの方こそ、夕食をいただいたり、部屋をお貸ししていただいたりで…、恐縮です」
「なに、構わないよ。こんな辺鄙なところだろう?お客さんも滅多に来やしないから、こういう時は捕まえておかないと、楽しみが減ってしまうんだ。はは」
 手紙を届けて、すぐにカルナス湖に向かい、見物次第フレアリーフに戻るつもりでいたフィードだったが、やはりオノリ主人と血縁なのだろう、半ば強引に夕食をご馳走してくれて、おまけに、今夜寝るための部屋まで提供してくれたのである。
「それに、主人はね」
 パトン氏の妻、ミーシャ=マーグレットが、紅茶の入ったカップをテーブルに運んできた。はきはきした物腰をこげ茶色の室内着とエプロンに包み、娘と同じ金色の髪に彩られた青い瞳が温厚そうに微笑んでいる。上品な、というと大げさだが、しっかりした感じの、人の良さそうな婦人だ。
「ずっと男の子が欲しかったんですよ。あいにく…というとミリアに失礼だけれど、女の子が1人生まれてからは子宝に恵まれませんでね、あなたのような若い男の方と、こんな風に家で話すことにずっと憧れていたんですよ」
「お前にも、弟の1人や2人、作ってやれれば良かったんだがなぁ」
「ううん、良いの。気にしないで。友達がたくさんいるから、平気」
 母親から受け取った紅茶にシロップを注ぎながら、ミリアは器の熱さを確認するかのように、つっとカップの口を人差し指で撫でた。外で着ていた上着は脱いで、今はライトグリーンのブラウスに赤いチェックのフレアスカートを着ていた。
「どうもお前は、16歳のくせにしっかりしすぎとるなぁ…」しっかりしているに越したことはないだろうに、何かとんでもなく教育を間違えたかのように、パトンがそう呟く。「もっとこう、くだけた感じでも良いんだぞ? ほら、あれだ、えっと…なんだ、血沸き肉踊る?」
「何を言ってるの、あなた。女の子が血沸き肉踊ってどうするのよ。だいたい、それじゃあさっぱり意味が判らないわ」
「いや、だからさ、お前…あー…その、そういったふざけた感じでも良いということで」
「ふざけたミリア?」
「ま、まぁ…なんとなく言いたいことは判るよ、お父さん」
「そ、そうか?話が早いよな、ミリアは。母さんも、見習いなさい」
「あなたねぇ…」
 ため息をつきつきテーブルについて、夫人は自分で入れた紅茶を口に運ぶ。フィードの正面にパトン、右隣にミーシャ、左隣にミリアという配置になった。
 この地方の農家らしい大きな家で、今いるダイニングも、3人家族には少し広すぎるほどのスペースを持っている。しかし、テーブルクロスやクッションの明るい色調、女性たちのお手製らしき壁飾りなどが、それとなく雰囲気を賑やかにしていて、淋しい感じはしない。デフォルメされた羊の人形がかかっている様などは、微笑ましいくらいだ。
「ん?あれ、何の話をしていたんだっけな?」
「しょうがない人ねぇ。いい加減にしないと、フィードさんが笑ってるわよ?」
「いえ、そんな。とても明るいご家庭で、羨ましいですよ」
 突然話を振られて困ったので、曖昧にごまかして紅茶に口をつける。アップルティだった。ほんのりと甘い香りが、口の中に広がる。
「あの、フィードさんって吟遊詩人さんなんですよね。いろいろ面白いお話とか、聞かせていただけませんか?」
 父親のためかフィードのためか不明だが、絶妙の間合いでミリアが話の軌道を変える。慣れているのだろう。
「ええ。まだ2年目の未熟者ですが、そんな者の話でもよろしければ」
「未熟だなんて。昼間の歌、とっても素敵でしたよ」
「恐縮です。では…どんな物語をお話しましょうか。ご主人は、どういった話がお好みですか?」
「そうだな、やっぱり血沸き肉踊るような…」
「あのねぇ、あなた、何をそんなに『血沸き肉踊る』にこだわってるのよ」
 呆れた様子で、夫人がたしなめる。
 言われた主人の方は、「いや、まあ、話の勢いでね…」と言いながら、紅茶を飲んでその場をごまかした。「あ、これ美味しいね」という声が、取って付けたようにわざとらしい。
「えっと…奥様は、何かご所望は?」
 そう話を向けると、夫人は少し考えるような仕草のあと、ミリアの方を少し見て「そうね…。普段聞けないような話の方が面白いかしら」と言った。
「普段聞けないような話?」
 きょとんとした顔で、娘が母親におうむ返し。
「だって、ほら、せっかくこうやって吟遊詩人さんを家族で独り占めしてるわけじゃない?普通にリュートで奏でるのとは違った話も、面白いんじゃないかと思って」
「うーん…そうか」
「あ、でも、フィードさんの方が迷惑かしら?こんなお願いは」
「いえいえ、そんなことはありませんよ。たまにはそういう話をするのも良いですし」
「じゃあ、甘えてしまってもよろしいかしら?」
「もちろんですよ。では…そうですね、何が良いだろう…」
 快諾したはともかく、普段こんなことをお願いされることなど皆無なので、何を話したら良いのか判らない。いちおう、フィードも5大陸の主要都市を回ってきた経験があるので、少なからず話題があると言えばあるのだが、どれも雑談の種くらいにしかなりそうもない。各国の風土を語るにしたって、そんなものは経験の披露にしかならないし、旅の苦労話などを語ってみたところで、しょせんは苦労話だ。物語として面白いわけではない。吟遊詩人が語るにふさわしい話など、案外少ないものだ。
 …と、その時、ふと窓枠に飾られた置物に目が留まった。
「あれは…何の置物です?」
「え?」
 それは、赤子の腕のほどの大きさの、木彫りの置物。頭と胴の部分があるようなので、どうやら人形のようなのだが、はたして何をかたどったものか、いまいち不明である。
「あの、窓枠の」
「ああ、あれは、雪の守護像です」
 そう言うと、ミーシャは窓枠まで歩み寄り、その人形を手にとってフィードに手渡してくれた。近くで見ると、目や口が彫られていることに気付く。もっとも、やはり何の目だか口だか判らなかったが。
「雪の守護像?」
「この辺りは、冬になると雪に埋め尽くされてしまうんですよ。多い時には、屋根の下まで覆ってしまうほどたくさん。そして、この村はラグーナ山がすぐそばにあるでしょう? いつ何時雪崩れが押し寄せてくるか、冬はちょっとスリリングなくらいで」
「スリリング…ですか」
 血沸き肉踊るを批判した夫人の言とは思えない。似たもの夫婦のようだ。
「その像を祀っておくと」パトン氏が後を引き継ぐ。「神さまが雪の恐怖から我々を守ってくださるんだ。それが証拠…なのかどうか判らんが、この村ができて以来、雪崩れが来たという話はないらしいよ。その代わり、もっと北東の森の方は、頻繁にドドッと来るらしいけどね」
「クローディさんのとこの奥さんによると、地形の関係だかなんだかで、雪崩れの方向がこちらよりも東にずれているからなんだそうですよ。まあでも、万が一ということもありますし、この守護像はずっと飾られていますけどね。村長さんの家には、すごく大きな像が祀ってあるんですよ」
 夫婦の話を聞きながら、守護像を手にとって眺めてみる。なるほど、そう言われれば、なんとなくありがたいような造形をしていると言えなくもない。もちろん、知らなければ、できそこないの猿にしか見えないが。
「しかし、なんというか不思議な形ですね。雪の神さまをかたどっているのでしょう?」
「そうなんですけど、それは…」
「うちの娘が、小さい時に彫ったものだからね。実際は、もっと綺麗な顔つきの女神さまだよ」
 見ると、ミリアが真っ赤になって、うつむいていた。
「もう…、あんまり恥ずかしいこと話さないで」
「ははは、すまんすまん。ええっと…何の話だったっけな?」
「あなた、もう…しょうがない人ねぇ。フィードさんが、とっておきの話をしてくれるんですよ」
 いつの間にか「とっておき」という枕言葉が付いている。プレッシャーが肩に300グラムほど加算された。
 だが、雪の守護像を見ている内に、不意に、あることを思い出した。遠い昔の、もうずっと忘れていた記憶。
「そうだ…あれが良い」
「え?」
「私の、子供の頃の話でも…よろしかったでしょうか?」
 ちょっと不可解で、ちょっと不思議で、ちょっと余韻を引く話。存在感のある話というわけではないが、こんな席にはちょうど良いだろう。
「ええ、もちろんですよ。お父さんも、ミリアも、それで良いでしょう?」
「うん、私も聞きたい」
「それじゃあお前、なんかお菓子とか持ってこい。クッキーがあったろう。紅茶とクッキーで、ゆっくり話を聞こう」
「はいはい。まったく、食いしん坊な人ね」
 笑いながら、夫人が奥のキッチンから皿に乗せたクッキーを運んでくる。
 ミーシャが席につくのを見計らって、フィードはおもむろに話し始めた。記憶の底をつつきながら、一語一語、確かめるように。
「ずっと昔の話です。私が9歳か10歳の頃ですから、もう12、3年は昔の話になりますね…」


   ※


 私が生まれたのはアプリールの…そう、グローザムの隣の隣にある領ですね。そこの、ステシールという村が郷里です。リンゴの栽培が盛んな村で、近くの、リドルという港町で取引をしながら生活をしていて…そう、アルグレフからやってくる貿易商たちとです。
 とにかく、私の実家も、ステシールのそういった平均的な家で、秋になるとリンゴが文字通り山積みになるほど収穫されました。そう…ですね、この村と似ていますね。ここが花を育てているのに対して、ステシールはリンゴを作っていたと。
 違いと言えば、私たちの場合は、作ったものが食卓にあがると言うところですか。ええ、それはもう周りはリンゴだらけですから、収穫時期の前後は毎日毎日飽きもせずに今日は剥きリンゴ、明日はアップルパイ、明後日はじゃあ焼きリンゴを食べましょうか、明々後日はアップルジュースを作ろう、そう言えばリンゴ酒がそろそろ美味しくなるね、と言った具合で、1時期は見るのも嫌でしたね。もっとも、そのおかげか、病気らしい病気はしませんでしたけどね。1日1個のリンゴは医者を遠ざける、です。
 だからというわけではないですが、こう見えて子供の頃は元気いっぱいでしてね。村の外へ遠出して迷子になったり、海の向こうから来る人たち見たさに、勝手に馬を持ち出して港まで行っては叱られたりと、とんでもないやんちゃ坊主でした。イタズラも、思いつく限りのことはしましたし。ええ、今ではもう見えないでしょう?時々そんなことを話したりすると、たいがい驚かれますしね。
 それでですね、当時、一緒になってそんな悪いことばかりやっていた友達がいるんです。いえ、男の子じゃないんです、リーザと言う女の子でね。男勝りというのではないのですが、私に輪をかけたような元気印でして、たいがいの悪ふざけはその子と一緒にやりましたよ。やんちゃ坊主と、おてんば娘のコンビです。大人たちにしてみれば、もう手のつけられない悪ガキどもでしたでしょうね。
 え?いえ、確かに親はそこそこ厳しかったですけど、まあ人並みですよ。それに私は3男坊で、上の兄貴たちが割かし真面目だったことから、ぶらぶらほっつき歩いていても、お目こぼししてくれたんです。物にならなくても、そのうちムコにでも出せば良いか、というところですよ。今こうやって、吟遊詩人なんて言う地に足のつかない生活ができるのも、そのおかげですね。家業は、兄貴たちに任せておけば良いと。
 それでですね、えっと、あれはその年の一番早いリンゴが収穫された頃でしたから、9月頃だったと思いますけど…ええ、もう秋の気配が漂う頃ですね。またその日もリーザと一緒に、馬を引っ張り出してリドルの港まで探検しに行ったんです。
 …そう、探検という言葉がぴったりでしたね。今行けば、1日2日あれば全部を見られますけど、まだ小さかった頃は、自分たちが住んでいる村にはない珍しい物や建物、海の向こうから来た異人さんたちがたくさんいて、さながら秘境を探検しているかのようでした。
 中でも、とりわけ私たち2人をわくわくさせたのは、港の広場で行商人たちが広げたシートの上に並べられた、様々な商売品でした。アルグレフから運ばれてくるキラキラした装飾品とか、サーザムから来た人たちが売っている民芸品、マドロアの商人たちが売っている、目の玉が飛び出るような金額の織物や宝石…。それに、時々ですけど、メルベレスから来た人たちも混ざっていましてね、片っぽにしか刃のない湾曲した剣とか、クッキーよりも小さい砂糖菓子なんかを売っていましたよ。何の役に立つのか判らない、2本1組の棒とかね。
 とにかく、見るもの聞くもの何もかも面白くて、行けば必ず後で親に叱られるんですけど…ええ、そりゃ馬で1、2時間はかかる場所ですから、親も心配するでしょうし…それでも、大人たちの隙を見ては、2人で遠征したものでした。お弁当なんていう気の利いた物は作れないから、リンゴばっかり鞄に詰めて。
 で、子供ですから、その内に、見るだけでは満足できなくなりますよね。自分の手に取って、家に持って帰って心ゆくまで眺めてみたくなる。
 でも、ただでさえ悪ガキでならしたものでしたから、お小遣いなんてもらえたためしがない。買おうにも、お金がないんですね。
 さて、そこで悪ガキ2人が考えた作戦とは…まぁ、言うまでもないですね、盗みを働くと。凄まじく短絡的な発想で笑ってしまいますが、楽をして欲しい物を手に入れるには、それがいちばん手っ取り早いですから。
 でも、これはさすがにうまくは行かなかった。当時はそんなことには考えも及びませんでしたけれど、港町の警備体制って、すごくしっかりしてるんですよ。大金が動く場所でしょう? 衛兵はもちろんのこと、港に常駐している商人たちが、もうみんな仲間みたいなもので、お互い支えあって生活しているんです。そうでなければ、最終的に損をしてしまいますからね。もちろん、商売敵でもあるわけですから、ある程度は牽制しあっている部分もあるんですけど、いざ「万引きだ!」の声があがれば、近くの人たちが一斉に飛びかかってくるくらいには連帯している。それもまあ、その場で逃がしてしまったら、あとから自分の所の売り物も盗まれてしまう可能性があるから、という打算ゆえだといえば、そうなんですけどね。
 とにかく、2人して、露店主の気がそれた瞬間に、どこかの民芸品を1つさっと盗んだんですけど、ものの5分もしない内に取り押さえられてしまいましてね。ええ、それはもう、こっぴどく怒られました。家なし子というわけではなかったし、とりあえずもう悪さはしないと約束させられただけで、その日はちゃんと家に帰れたから良かったですが、そうでなければ、子供といえども鞭打ち10回くらいは罰を与えられていたかもしれませんね。
 え?ああ、港にはね、孤児が集まってくるんですよ。そこいらの都市よりも物があふれていて、残飯だってたくさんありますから。うまく立ち回れば…うまく立ち回ればですが、街行く人から財布のひとつくらいはスれるかもしれませんしね。そういうこともあるから、警備体制が厳重になるんですけど。
 とにかく、その日は無罪放免となって、晴れて釈放になったんですけど、それで「なにか良い物」が欲しい気持ちがおさまったわけではない。むしろ、失敗したことで、ますます…それこそ、何でも良いから欲しくなってくる。
 でも、1度盗みに失敗して、これはどうやらタダで手に入れるのは難しいということに気付きましてね、他の方法を考えることにしたんです。
 とは言っても、なにしろまだ10歳前後の子供ですから、何をしたら良いのかさっぱり判らない。辺りにある道具と言えば農道具くらいだし、辺りにあるものと言えばリンゴばっかりです。
 ですが、そこではたと気付いたんですよ。そういえば、最近「今年いちばんの、新鮮なリンゴ」が収穫されたっけなと。
 そう、リンゴを持って行って、それを売ってお金を稼ごうと考えたんです。
 5日くらい、ほとぼりが冷めるのを待ちまして、ええ、もう袋に詰めるだけのリンゴを詰めて、港まで行きました。それで、露天商よろしくシートを敷いて「さあ、今年いちばんのリンゴだよ!甘くて美味しい、蜜がたっぷりのリンゴだよ!」と声を張り上げたもんです。もう、ホントに幼くて、今でも笑っちゃいますよね。私が売り子で、リーザは女の子ということで客引き。それでお客さんにアピールしようというんですから。
 ですが、やれることはやってみるもので、驚くべきことに売れたんですよ、ええ、ひとつ残らず全部。きっと、子供の商売人なんて珍しいし、それに…そう、リンゴの相場なんて知らなかったから、とんでもなく安値だったのも幸いしたんでしょうね。なにしろ、1個辺り、穴あき銅貨…ホールブロンズ5枚なんて言う値段でしたからね。相場の…5分の3くらいかな。あの時は、確か40個くらい持って行きましたから…ええ、もう重いですから、いくつもの袋に分けて、馬にくくりつけてね。けっこう大変な作業でしたよ。えっと、それで全部売ってホールシルバーが2枚。それでもまあ、子供にとっては大金と言える金額が手に入ったわけですね。
 それはもう嬉しかったですよ。なにしろ、お小遣いをもらうより先に、自分たちでお金を稼いだわけですから。リーザと2人で「お兄ちゃんたちより、僕らの方がすごいよね」なんて言ったりしてね。
 それで、そのお金を半分こして、2人でそれぞれ買い物をしてきましてね。その時に、どうせ何がどう良い物なのか判らないんだから、お互いに、買ってきたものをプレゼントしあわないかということになったんですよ。普通に買うより、その方が、なんだか面白いんじゃないかということでね。普通の買い物だってしたことがないのに、まったく生意気なことですけど…そう、きっと大人ぶってみたい年頃だったんでしょうね。
 それで、これはもう変なものは買えないなということで、子供ながらに一生懸命売り物を吟味して…そう、私が買ったのは、確かアルグレフの行商人が売っていた帽子でした。こう…つばの部分がくるっと曲がってましてね、カルナスではちょっと見かけない帽子です。大人用の物でしたから、私たちには大きすぎるんですけど、これなら文句は言われないだろうということでね。案の定、リーザの方も、目元まで隠れてしまうかのような帽子を被ってご満悦でしたし。
 リーザが買ってきたのは、サーザムで作られた置物でした。そう…その、窓枠の所の、雪の守護像のような感じの置物。なんだか、大げさに目とか鼻とか口が彫られた、なんとも言えないユーモラスな人形でしてね。あの頃は知りませんでしたけど、半年ほど前にサーザムに行った時に、それとよく似た物を見かけまして、土地の人に聞いたら、なんでも大地を表した像なんだそうです。いえ、神ではなくて、大地そのものを人として表現した物なんだそうです。あの辺りは、神書の教えとは違った教義に則って生活しているらしいんですよ。そう、そうです、精霊主義というやつですね。神ではなく、ひとつひとつの物に宿る精霊を大切にするという…ミリアさんも、よくご存知でしたね。…ああ、なるほど、確かに最近は、色々な紀行書の類も出回っているようですし。
 えっと、置物に戻りますが、まあ、穴あき銀貨1枚で買えるような代物ですから、たいしたものではないんでしょうけど、でも、もう見れば見るほど奇妙で面白くって、いっぺんに気に入りましたね。今でも、実家の方に大切にとってありますよ。
 それでですね、ここからが話の本題なんですけど…、前振りが長くって、ええ、申し訳ありません。
 その置物をですね、兄弟3人で寝ている寝室の窓枠の所に飾っておいたんですけれど…そう、ちょうどそこの守護像みたいに。でも、それが、どういうわけだか、いつの間にか置物の向きが変わってしまうんですよ。
 最初は、誰かが触ったあとに、無造作に置いたんだろうなということで気にもしていなかったんですけど、それがもう3日と開けず頻繁に起こる。
 ええ、それはまあ、私はことあるごとに手に取って眺めていましたし、兄貴たちも、そんな珍しいものですから、いろいろ触って見ていたでしょうけど…でもね、例えばミリアさん、あなたがあの雪の守護像を手に取って眺めたとして、また窓枠の所に置きますよね? その時に、像の向きはどちらに置きますか?
 そう、室内側に向けますよね。表に向けていても、室内からでは背中しか見えないですから。看板ではないのだから、それが普通ですよね。表に向けていなければいけない、という規則があるのなら別ですが、そうでなければ、普通はこちらからよく顔が見えるように置くでしょう。
 でもね、私が持っていたあの像は、どういうわけかこちらに背を向けた格好になっているんですよ、なぜか。
 兄貴たちに聞いても、自分たちが触っても逆向きに置くなんてことはないと言いますし、親たちに聞いても、そんなものには興味がないから、触ることもしないと言う。リーザに聞いても同じような回答です。他の村人たちにしたって同じですよね。確かに、窓はいつも開いていましたから、窓の外からひょいっと取って眺めることはできる。その場合に元の所に置いたとしたら、外側向きに置いてしまうかもしれませんけれども、そうそう頻繁に、役にも立たない置物を眺めたりなんかしないでしょう? 口こみで村中にその置物の噂が広がったとしても…まあ、そんなことはなかったと記憶してますが、そういう場合は、窓の外から勝手に取るなんてことはせずに、玄関まで行って「見せてくれ」と言いそうなものですよね。格別閉鎖的でなくても、それが人情というものでしょう。大人たちなら、その程度の礼儀はわきまえているだろうし、子供たちならそれこそ、私に「見せて」と言った方が手っ取り早いですから。そもそも、たいして高価なものでもないし、格別ありがたいものでもないし、なにかすごい特徴があるわけでもない置物です。ただ、変な顔をしているだけでね。買った当人もらった当人はともかく、その他の人たちには、さしたる魅力のないものですよ。
 では、やはり身内なのか…と考えると、これもまた判らない。無意識でも故意でも、逆向きに置いたことを私に隠したところでしかたない。何気なく逆向きに置いたのなら「ああ、さっき見てた時に、逆に置いたのかな」と言えば済むことです。私もそんなことで怒るような変人ではなかったですしね。
 では、故意にそうしたのか…と考えると、今度はそんなことをする理由が判らなくなる。あの像を逆向きに置いたところで、誰もなにも得をするわけではないのですから。イタズラにしては恐ろしく意味不明なイタズラだし、なにか効果があるとも思えない。
 私に女の子の姉妹がいて、あの像の顔が気味悪いから裏向きにしてしまおう、というのなら納得が行かなくもないですが、家にいるのは、すでに農作業の助けにまで成長していた兄貴が2人でしたからね。あんな像ひとつに怖がるとは到底思えない。現に、2人とも「なんだこれは、ヘンテコな木彫りだな」とか言いながら、つついたり叩いたりと、けっこう粗末にしてましたからね。
 そんなわけで、像が裏向きになる理由には、さっぱり思い至らなかった。
 唯一考えられるのは、神さまとか天使とか…妖精の類とかのイタズラですが、そういうのって、たいがい何かしらの「意味」があるか、もしくはもっと判りやすいものでしょう? 例えば、旅行く人が、周囲に誰も何もいないところで、突然腕に傷が走るという現象がありますが、それが起こるのは「今のままこれ以上進むと危険だよ」という、神さまの警告だと言われています。そうではない無邪気なイタズラでは、頭に敷いていた枕が、いつの間にか足元に来ているなんていうのとか…そう、有名ですよね、この話は。でも、そういうのは、イタズラされた人が、朝起きて「あれ?」と思うからそうするわけですよね。イタズラっていうのは、そういう「やられた側」の反応が面白いんですから。
 でも、ひるがえって、じゃあ置物が裏向きになるのはどうかと考えると、効果らしい効果は何もない。せいぜい「変だな」と思うくらいで、あとはそれっきりですよ。頻繁に続いたのは少し気味が悪かったですけど、それでも明らかな反応は期待できないし、現に私もなにか騒ぎ立てたわけではない。イタズラにしては、あまりにも細かすぎるんですね。
 それで、そういうことが2ヶ月ほど続いたんですけど…ある日ぷつっと、止んでしまったんですね。なんの前触れもなく。
 その時も「どうして突然止んだんだろう?」と不思議に思いましたが、考えても考えても結論が出ない。その内、考えることを諦めて、それから今、ここで雪の守護像を見るまで、ずっと忘れていました。
 そう…この話に落ちはありません。なにしろ、語っている本人が、どういうことなのか全然判らないんですから。
 でも…ちょっと不思議な話でしょう?
 なぜか裏向きになってしまう、異国の置物。
 誰が、なんのためにそんなことをしたのか?
 それとも、やはり神さまのイタズラなのか?
 派手な話では決してないですけれど…
 なかなか…魅力的な話だとは、思いませんか?
 どうです? 今夜はこの謎を、みんなで考えてみませんか。
 たまにはこういう話の謎解きに興じるのも…悪くはないでしょう?



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 …物語の途中ですが、ここまでで「アプリールの吟遊詩人」前編が終了いたしました。もしも、これを読んでいる人の内に「推理小説」になじみが深い方がいれば、前編を「問題編」として認識するかもしれません。もちろん「前編」という呼び名にしろ「問題編」という呼び方にせよ、物語そのものにはさして影響はありません。ストーリーは、ただそこに在るのみです。
 さて、これに続く後編ですが、少々出し惜しみしてみたいと考えています。本来であれば、後編も一緒に、一括してアップロードするがあたりまえですが、「ここまでの話を元に、読み手も色々考えたら、それはそれで面白いんじゃないか?」と考え、思い切ってこのようなアップの形式をとってみました。
 ここまで読んで下さった方々、どうぞ、作中の吟遊詩人・フィード=サテンフォールのお話に付き合ってあげて下さい。先を読むという気持ちを少し休めて、ミリア=マーグレットやパトン、ミーシャらと一緒に、この霞のような謎に想いを馳せてみるのも一興かと思います。
 ただ、ひとつ気をつけてほしいことは、これは決して、あの有名な「読者への挑戦」ではないということです。
 この物語は、読めば判るようにミステリーの形態こそとっているものの、決して論理第一優先の「本格ミステリー」ではありません。作中の謎を、完全に「論理」で解くことは、文章上不可能になっています。もちろん、作者の書き方いかんによって、これを論理ミステリーの形式にするのも可能なのですが、それはここで展開される物語とは相容れないものと考え、意図的にそこから外した構成にしてあります。
 この物語の謎は、幾通りもの解決を容認する謎です。あらゆる可能性が、否定されることなく考えられます。

 ただし…
 もしも読者の皆さんの心の中に、まだ幼い頃の感性が残っているならば…
 まだ、純粋だった子供の心を、大切にしまってあるならば…
 ひょっとしたら、作者の用意した「物語」を、予測できるかもしれません。

 論理ではなく、感性で紐解くミステリー。それが、この物語です。

 では、後編にて、またお会いしましょう。



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