委員チューは小動物である 〜起床編〜
第二回葉鍵板最萌トーナメント出展作品
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 〜序文〜


 委員チューは小動物である。名前は小牧愛佳というが、呼び捨てにすると恥ずかしがって隠れてしまう。どこで生まれたのかというと、本人は普通の産婦人科だと主張するが、どう見ても獣医さんが妥当な線であろう。彼女はいつも書庫の中で、ほのかな紅茶の香りと古ぼけた本たちに囲まれながら、スコーンを齧っている。
 …これは、身の丈10センチの小さな身体にハムスターの耳、ふさふさの尻尾をチャームポイントに、図書室の書庫で本の整理にいそしむ『委員チュー』と呼ばれる小動物の、ちょっと変わった物語である。


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 〜起床〜


 委員チューはお寝坊さんである。決して怠け者ではなく、むしろ働き者なのだが、例えば暖かい陽気の4月の窓際、そろそろ涼しくなってきた秋口の昼食後、ちらちら舞う雪を眺めながら焼き芋をほおばっている冬のコタツなど、眠気を催す類のイベントにはことごとく弱い。
 今も、書庫の奥、文机の上に開いたままの小説ののどに頭をかけて、すやすやと可愛らしい寝息を立てている。何の夢を見ているのか、時折嬉しそうに『にへっ』と口元を緩ませては軽く寝返りを打つ。そのたび頭のハム耳がぴくぴくと動き、顔にかかる栗色の髪がふさふさと頬の上を揺れる。今にもよだれの落ちそうな口元が何事が呟くような動きを見せたと思えば、今度は白い靴下を履いた可愛らしい足がぱたぱたと組みかえられ、赤いセーラー服のリボンは、その奥に隠された女の子の秘密を囁くように、時々左右に揺れる。
 春の女神が花の香りを乗せてカーテンを揺らす書庫の午後。委員チューのお昼寝は誰にも邪魔されることなく、楽しげな夢を彼女の胸に運んでいた。
 …とはいえ、自宅のベッドでもない固い机の上では、そう何時間も寝ていられるものではない。少し強めの春風がカーテンを揺らすそよそよという音で、委員チューはその愛らしいまぶたをそっと開く。
「う…うにゅー…。…ふわぁ〜…むにゅむにゅ…」
 ひとつ、小さくあくび。夢の名残が彼女の胸から吐息に溶ける。おねむの時間はおしまいのようだ。
 しかし、春眠暁を覚えず。完全に覚醒するには、カーテンの音だけでは刺激が足りないらしく、いまだ彼女の頭の中ではたんぽぽに蝶々がとまっているようだ。眠たげな目をトロトロととろけさせながら、おぼつかない足取りでどこへなりと行こうとする。
「起きました…起きましたぁ…。おしっこ行くの…」
 誰に起きたことを宣言しているのかは不明だが、どうやらお手洗いに行きたくなった様子である。
 さて、再度言うが彼女の頭はいまだ完全に覚醒にはいたっていない。ここがどこであるかという認識が欠落している。
 彼女が現在立っている場所は書庫の文机の上であり、そして彼女の身長はたったの10センチ程度でしかない。
 ふにゃりと尻尾が左右に揺れ、ふみふみと足を進めていった数センチ先…、7歩目の左足を踏み出そうとしたそこにはもう机の板はなく――
「ふぁ…? …………う…………うぁああああ!?」
 気づいた頃には時既に遅し、バランスを崩した委員チューの身体は眼下の床へと――

 さて、小学校で飼っているウサギにウサギ係がついているように、書庫の委員チューにも――飼われているわけではないが――世話係のようなものが存在する。特にそういう役職があるわけではないが、何とはなしにこの恥ずかしがりやの生き物と仲良くなってしまったごく普通の少年、河野貴明と言う名の男の子がそれにあたる。
 今日も、書庫で本の整理に精を出す委員チューのお手伝いをしてあげようと、書庫の前までやってきた貴明である。
「遅くなっちゃったな…愛佳のやつ、無理してなきゃいいけど」
 委員チューのことを名前で呼ぶことを本人から許可されているのも、男子では河野貴明ただ一人。このことからも、委員チューと彼の間の親密な関係を伺えるであろう。ちなみにこの事実が、委員チューウォッチャーの間での重要事項として認識されていることはいうまでもない。
 …余談だが、この高校には、「委員チューウォッチング部」という部活動が存在しており、少なくとも正会員が5人存在している。
 ともかく、カラリと軽やかな音を立てて、貴明が書庫の引き戸を開ける。
 ――と
「きゅーっ!きゅーっ!」
 貴明の耳に、珍妙な鳴き声。
「愛佳? どした?」
 鳴き声はどうやら書庫の奥から聞こえてくるようだった。声色から察するに、どうやら委員チューこと愛佳の声のようだ。きゅー、きゅー、というおかしな声を便りに書庫の奥へと足を進める。
「きゅうーん! きゅー!きゅー!」
 見ると、書庫の文机の端にしがみついている委員チューの姿。なにやら必死に懸垂運動を行…おうとしているようだが腕力が足りないらしく、たくったくっと断続的に全身が僅かに跳ねているのみ。ハム耳はぷるぷると震え、ピンと伸びた尻尾が時折ぴこぴこと動く様は、客観的に見てキュートだ。
 無論、本人は床に落ちることを全力で回避すべくがんばっているわけなのだが、ぶら下がり健康法をしているように見えなくもない。
「…何やってんだ…?」
 委員チューの真意を測りかねて、とりあえず本棚の影に身を隠す貴明。以前、フルーツ牛乳瓶のフタを舐めているところを偶然目撃した折、思い余った委員チューに辞書で殴られそうになったことがあるのだ。…もっとも、重い辞書を持ち上げることができなかった委員チューが汗だくになっただけだったが。
「あうーっ!あうーっ! きゅううううーーん!」
 懸垂は無理だと判断したのか、今度は左右に身体を懸命に振り出す委員チュー。何度も言うが彼女は助かりたい一心でがんばっているだけなのだ。だが、はたから見ると、ぶら下がり健康法に飽きたおうちゃくさんが左右に身体を振って遊んでいるようにしか見えない。
 しかし、小さき者の願いが通じたか、委員チュー渾身の振り出しは彼女の右足を文机の角に引っ掛けることに成功した。
 そのおかげで、ふさふさの尻尾が踊るおしりがあらわになったが、もはやそんなことを気にしている余裕は委員チューにはない。貴明が隠れていることにも気づいていないので、白いおぱんつ全開で、懸命に身体を机に上げようと力を振り絞る。

 さあ、読者の皆さんも、彼女にエールを送っていただきたい。
 すなわち『委員チュー、がんばれ!』と。

「きゅ…きゅー……きゅーーーっ!」
 委員チューの身体が少しずつ上昇する。あとすこし、あとちょっと、あともうちょっとで安住の地だ。委員チューがんばれ!
「うー、うー…うーっ!」
 しかし…
 運動音痴は運動音痴であるが故に、運動音痴でしかありえないのだ。
「う、う…………うぁーっ!」
 哀れ、せっかく机にかけた右足を滑らせて、ぷらーんぷらーんと振り子のように振れながらぶら下がり健康法を再開する委員チュー。
 …心配しなくても、読者のエールが小さかったせいでは決してない。
 要するに、運命なのだ、これが。
「う、うう…うぁああーん、うぁああーん」
 とうとう泣き出す委員チュー。
 しかし、ことここにいたっても、本棚に隠れている貴明の目には、あまり深刻そうな風景には見えていない。

 無理もない。
 全体的に、光景があまりにも微笑ましすぎる。

 結局、委員チューが貴明の手によって救助されたのは、それから5分が経過した後だった。
 その後、一目散にトイレに駆け込む委員チュー。出てきたあと、彼女が辞書を探して書庫の中を歩き回ったことは言うまでもない。そして、相変わらず辞書を持ち上げようとして孤軍奮闘した挙句、やはり汗びっしょりになっただけのくたびれもうけに終わったことも、また、言うまでもないだろう。


―――――――――――つづく
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