時には星座を数えるように 〜第一話〜
C73冬コミ出展作品
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 僕は今でも思い出す
 あの春の日の、不思議な夜の出来事を



     ※



 あの頃、僕はとんでもない悪ガキだった。
 世の中のことなんか何も判っちゃいなかったし、そのくせしたり顔で大人達を見下して、自分が世界の中心にいるような気になって得意になっている、そんな典型的なバカだった。11歳なんていう中途半端な齢のせいも少しはあったかも知れないけど、それでもやっぱり、同い年の子達に比べて明らかな劣等生だった。
 勉強なんてぜんぜんやる気はなかったし、かといってスポーツに打ち込むでもない。やることと言えばせいぜい悪戯くらいなものだった。それも、カタカナで書くような可愛らしいイタズラではなく、いま自分で思い出しても眉を顰めるような、漢字で書く悪戯だ。
 例えば虫。近所には緑も多かったから、そこらの雑木林に入っていけばカブトムシやらなんやらたくさん採れた。
 もちろんその中には毒を持った虫もいる、枯れ葉を少しよけてやれば、ムカデの一匹や二匹はすぐ見つかった。それを火ばさみで掴んで持って行くんだ。何に使うかって、驚くべきことに、これをそこら辺の家に投げ込むんだ。窓の開いている家を探して、思いっきりぽーんってね。
 うまくすれば家人の悲鳴が聞こえたりして、やっている最中は痛快だった。刺された人がどれだけの激痛を味わうかなんて、これっぽっちも考えてなかった。
 他には爆撃。本物の爆弾なんかじゃもちろんなくて、かんしゃく玉を使うんだ。
 道沿いの街路樹やら塀やら、あるいは空き家の屋根に上って、通りかかる車の屋根にかんしゃく玉をぶつける。手で放っただけだと爆発しない時もあるから、ゴムのパチンコを使って飛ばすのがセオリーだった。
 ねらい目はもちろん高級車だ。バーン!っていう乾いた音が鳴って、車の屋根に紫色の火薬痕がべっとり付着する。もちろん運転手は慌てて飛び出してくるんだけど、その頃にはもう僕は遠くへ逃げている。してやったりの笑みを浮かべてね。
 まだある。同級生の女の子のスカートだのズボンだのをずりおろして回る遊びだ。パンツごと下ろしてやれば高得点。言うまでもなく、そんな得点は僕の脳内だけのものだ。
 事ある毎に、女の子の背後から忍び寄って、思い切りよく掴んで引っ張り下ろす。ベルトを締めている子だとなかなかそうはいかないけど、そう言う子はまぁ狙わない。得点にならないから。たいていの場合、ちょっとおとなしい目の子がターゲットだった。当然、被害にあった子は泣いて嫌がったよ。もしかすると、ひどいトラウマになったかもしれない。
 そして、いじめもやった。率先していじめた方だ。
 僕は男子の中ではそれなりに要領よく立ち回れた方だったから、自分は決してターゲットになることなく、ひたすら加害者側であり続けた。
 相手の私物を隠したり陰口を回したりハブにしたりはもちろん、トイレに入っていれば必ず個室のドアを蹴って怯えさせたり、ホースで上から水をかけたりした。直接的な暴力だって振るったし、子供ながらに悪知恵を巡らせて罠にはめたりもした。加えて、ターゲットには男子も女子も関係なかった。昨日まで仲良くしていた子をいじめの対象にすることもあった。
 いまさら謝っても、とても謝りきれたものじゃないそれらの所業。でもその頃の僕は、そういった人達の気持ちなんてただの少しも気にかけなかった。ひたすら自分が安全圏にいて、他人が困ったり不快だったり傷ついたりするのが楽しかった。
 そんなどうしようもない、最低の馬鹿が僕だった。もちろん、本当に心を許せた友達なんて誰もいなくて、僕はいつも独りぼっちだった。
 親はそんな僕を見て、事ある毎に叱った。そりゃ叱るよね。叱らない親なんかいないだろう。でも、両親のありがたい言葉は、当時の僕にとっては単なる雑音。馬の耳に念仏とはよく言ったもので、その場でははいはいと頷くものの、それを守る気なんてさらさら無かった。
 その内、父も母も、そんな僕に愛想を尽かすようになった。僕には七つ上の兄貴がいて、そっちはどこに出しても恥ずかしくない優等生だったからね。僕が将来、どこにも働き口が見つからずにのたれ死のうと、兄貴さえまっとうに育っていけば、彼らの老後は安泰だったから。せいぜい、借金だのなんだので自分たちに陰を落としさえしなければ、それで良かったんだと思う。
 そんなだから、僕はますます調子に乗って悪ガキ街道を歩んでいった。親も教師も、自分を止めるには至らない。もちろんそれは単に見捨てられていただけだったんだけど、当時の僕にとっては、目の前の道に障害物は何もなく、まさに自分こそがこの世の中心であると思えたんだ。
 裏を返せば、ただ寂しかっただけなのかも知れないけれど、それでも、そんなことはつゆほどにも意識せず、ただただ益体もない悪さばかりに明け暮れていた。


 どう思う?
 そんなクソガキが、どうなるものか……。
 僕だって、違う立場だったらこう言っていただろうね、「あーだめだね、こりゃ将来、悪事に手を染めるかバクチで身を持ち崩すか、まぁ誰かを殺すとかしなければマシなんじゃない?」って。


 でも、ね


 いや、もうホントにね、何が起こるか判らない。
 そんな、どうしようもない、救いようのないクソガキが……
 たった一人の大人との出会いで、変わることができたんだから。


 それはね


 桜が満開になっていた、春の日のこと。
 満天の星と、銀に輝く月が夜桜を照らしていた、四月のある日のことだったんだ。


 その日、僕は夜の街をパトロールしていた。もちろん、近所の治安を守るための警護活動なんかじゃない。縄張り確認というか、要するにブラブラしていたかっただけ。意味は特にない。あるいは夜歩くという行為が、何か例えようもなくアダルトなものに感じられたからかもしれない。いずれ、ロクな動機でなかったことは確かだ。
 自宅から親の目を盗んで抜け出し、人通りの無くなった街をあてどもなく歩いた。時間はもう、子供どころか大人だって外には出ないような頃で、すれ違う人の影もない。どこかで聞こえる犬の鳴き声と、まだ肌寒い風がたてるひゅうひゅうという音だけが響いて、闇に包まれた周囲の様子に異質な気配を漂わせていた。ちかちかと切れかかった街灯の明かりが、いやに目に付いたことを覚えている。
 そうして僕は、時折通りすがるコンビニでお菓子やジュースなどを買い食いしながら徘徊し続け、やがて近所の高校の前へとたどり着いた。近所とは言っても家からは歩いて40分はかかろうかという距離のものだが、とりあえず自分の家からいちばん近い高校だった。
 その内、自分もここに通うんだろうか? と、何となく校門の前でそんなことを考えてみる。不思議なもので、普段は中学を卒業するまで学校に通わなければいけないことすら嫌なのに、いざ高校の前に立ってみると進学の二文字が頭に浮かぶ。どうせ自分の成績では、もっと偏差値の低い所や、倍率が一未満の高校くらいしか選択肢はないくせに、それでも近所の一般的な高校に懸想するとは、ずいぶんと図々しい話だ。しかしまあ、受験とかのシステムがよく判っていなかったせいもあり、その時はあまり疑問には思わなかった。要するに世の中舐めてたってことだ。
 だからというわけでもないけれど、何となく親近感を覚えて、僕は閉じられた校門の向こうに見える校舎のたたずまいを、しばらくぼんやりと眺めていた。もちろん、頭に浮かぶのは殊勝に勉強している自分ではない。そういえばこの高校の制服は女子に人気だという話だから、高校に進んだらもっとスカートめくりの得点が稼げるかも知れないなと、そんな不遜なことを妄想していたんだ。まったくロクでもないガキだ。まぁ僕なんだけど。
 でも、動かない校舎をただじっと眺めていても面白くはない。ましてや子供の時分のことだから、学校に対して何か格別の想いがあるわけでもない。次第に退屈を感じて、僕は何か面白いことはないかと辺りを見渡した。
 そうすると、やがて僕は校門の一部に、足をかけられそうな出っ張りがあることに気がついた。そこを伝って上っていけば、どうやら校庭に入り込めそうだと気づいた時、それからの遊びが僕の中で確定した。
 おとなしく校庭で地面にお絵かき? まさか。そんなおとなしい物ではもちろんない。その時、僕は校舎の窓ガラスを手当たり次第割って回ろうと考えていたんだ。石を投げて一発で割れれば高得点。きれいに粉々になったらさらにボーナス。
 もちろんそれは犯罪そのものの行為なんだけど、僕の頭にはそれについての罪悪感も逡巡もまったくない。あるのはただ、これから脳内ポイントで何点取れるかという予想とワクワクばかり。
 そんな風に僕は、罪もない高校の校舎に近づいていったんだ。きっと、明日になったらみんなびっくりだなと、次の日の騒動を思い浮かべながら一人悦に入って。


 ――と、その時


「……?」
 ふと、僕の目に、何かの影が飛び込んできたんだ。校舎の二階の辺り、校庭に面した窓のひとつに、ちらりと。
 それは一瞬のことで、最初は鳥か何かが横切ったのかなとも思った。でも、しばらく見上げていると、また窓の向こうに見えた。今度はもう少しはっきりと。
 お化け――? そう思った。こんな時間に人がいるわけがないから、何かいるとしたらそういう物の怪の類だと考えた。
 よくあるだろう? 学校の七不思議。ひとりでに鳴るピアノとか、理科室の人体模型が動くとか。そういったものかと思ったんだ。
 それに、――それにね? その影は、薄ぼんやりと光っていたようにも見えたんだ。ぎらぎらと明るく辺りを照らしているような物ではなく、本当に、ぼう……っと薄暗く。それを見れば、誰だって幽霊か何かだと思うはずだ。
 僕は怖くなった。無理もないよね。学校に忍び込んで窓を割ろうとしている僕に、校舎の幽霊が怒ったのかと思ったんだ。すぐに引き返して、家に帰ろうとした。
 でも、僕は思いとどまった。ここで逃げたら、ただの弱虫だって思ったんだ。それよりも、あの変な影が何であるか、確かめなければいけないと思った。確かめて、もし可能なら捕まえて、そうすれば僕はヒーローだ。
 だから僕は校舎のぐるりを周り、見つけた昇降口から中に入った。なぜか鍵はかかっていなかったけれど、その時はあまり疑問には思わなかった。なぜ疑問に思わなかったのか、それはよく判らない。あるいは、その時にはもう、魅入られていたのかもしれないね。あの、得体の知れない影に。
 中に入ると、僕は急いで階段を上がり、さっき見かけた影がいたはずの教室に入った。二年生の教室だった。
 だけど、入ったその部屋には何もなかった。幽霊はもちろん、人っ子一人いない。
 おかしいな、逃げられたのかなと、僕は少なからずがっかりした。とりあえず教卓の下や掃除用具箱の中身もあらためたが、やはり空振り。その教室には何もいないということを確認しただけだった。
 念のために、隣のクラスやそのまた隣のクラスまで調べたが結果は同じ。どこにも誰もいない。たたりの類も起こらない。
 拍子抜けして、僕はやっぱり窓ガラス割りに精を出そうかと考えた。だから、せいぜいそこら辺の机の脚をけっ飛ばしながら、最後に入った教室を後にしようとした。


 その時、だった。


「ねえ」


 不意に――
 僕の耳に、知らない人の声が飛び込んだ。


 驚いて、僕は振り向いた。教室の中には誰もいなかったはずなのに、いったい誰が僕に声をかけたんだろうと。まさか、本当に幽霊がいるのだろうかと。


 そして振り向いた僕の前方に、一人の女の人がいた。
 ……いや、ごめん、それは正しくない。
 より正確に言えば、一人の、見たこともないような綺麗な女の人が、いたんだ。


「どうしたのかな? こんなところで」


 その人は、窓枠に腰掛けてこちらを見ていた。いつの間に窓が開いていたのか判らなかったけれど、それよりも、僕はその人の姿に見とれてしまった。
 まず瞳。黒目がちの大きな瞳に僕は魅入られた。夜の闇の中で、それでも淡い光を集めてきらきらと星を散らしたその瞳は穏やかに笑っており、小さな唇の薄赤と絶妙にマッチして、とても優しそうに見えた。
 そして何よりも、さらさらと揺れる長い黒髪が印象的だった。窓外から降り注ぐ月明かりを反射して、銀色に輝いていたあの長い髪。ぼうっと青白く光る髪が春風に揺らめいていたあの光景を、僕はいまでもはっきりと思い出せる。
 それはあまりにも幻想的で、誰か有名な人が描いた絵画のようにも見えた。まるで儚い幻のような、それでいて確かな存在感を持った、そんな不思議な一枚の絵画のように。


「もう夜も遅いですよ? 子供がこんな時間に出歩いてると、お母さんに怒られちゃうかも……」


 もう一度、その人はそう言って僕に笑いかける。でも僕は、その呼びかけに何も応えることができず、ただ馬鹿みたいにその人のことを見つめていることしかできなかった。
 そんな僕を不思議に思ったのだろう、その人は腰掛けていた窓からひらりと教室の中へ舞い降りた。たぶんこの学校の制服なのだろう、薄赤のセーラー服のスカートがふわりと踊って、僕はとてもどきどきした。スカートの中が見えたわけではないけれど、それでも、白く伸びた太ももは何か子供が見てはいけないものに思えたんだ。女の人を見てどきどきしたのは、思えばそれが初めてだった。
「どうしたの? 眠くなっちゃったのかな?」
 押し黙ったままの僕を不思議に思ったのだろう。す、っと、その人は僕に顔を近づけてそう言った。
 瞬間、かいだことのない甘い匂いが漂ってきて、僕はもっとどきどきした。それが、女の人の使うリンスの香りだと知ったのは、僕がもっと大きくなってからのことだ。その時は、ただどうして良いか判らない感覚を抱えて、くらくらしていただけだった。
「それとも……、もう、眠っちゃってるのかな?」
「あ……の……」
 五回目の呼びかけに、僕はようやく言葉にならない声を出すことができた。うまく呼吸できなくて、ずいぶん震えた声だったけれど、その時はそれが精一杯の声だった。
「あら? ちゃんと起きてたみたいですね。うふふ」
「ゆ……」
「うん?」
「幽霊さん、ですか……?」
 いま思えば、なんて間抜けな質問だったのだろうと思う。でも、それ以外に言うことが思いつかなかったんだからしょうがない。
 でも、その人はそんな突拍子もない質問に、決して苦笑ではない微笑みを湛えながら応えてくれた。
「そうだね。幽霊かもしれないね」
「ほ、ホントに?」
「さあ、どうでしょう……。どう思う?」
「お、俺は……」
 俺は、と言ったきり、僕はなんと続けて良いか判らなくなって、また黙ってしまった。当人を目の前にして、幽霊だというのも幽霊じゃないというのも、何だかしっくりこなかった。
 と、そんな風にあれこれ考えながら俯いていた僕をしばらく見つめていたかと思うと、その人は不意に僕の両手をきゅっと握って顔の高さまで持ち上げた。
「ほら……」
「え? あ……え……?」
 突然の出来事に、僕は金魚のように口をぱくぱくとさせるばかり。手を握られるなんて思っても見なかった。
「触れるでしょ?」
「え? え?」
「残念、幽霊じゃなかったのです。がっかりした?」
「は…………」
 にっこりと笑ったその顔はイタズラっぽくて、どこか親しみを感じさせるものだった。
 そして、その笑顔を見ながら、ようやく僕は我に返ったんだ。
「お、お姉ちゃん……だれ……?」
「あら? ダメですよ。女の子に名前を聞く時は、男の子から名乗らなきゃ」
 もう一度、その人はイタズラっぽく笑って、僕にそう言った。確かに言うとおりかもしれない。マンガとか映画でも、人に名前を聞く時は自分からが常識だったように思う。
「えっと……俺は……」
 そう思って、僕は自分の名前を口にした。名前を言うだけで声がうわずったのも、きっとそれが初めてだった。
 それを聞くと、その人は僕の名前を二、三度口の中で転がすように呟き、「うん、覚えた」と言った。そして、改めて僕の方を見ると、いましがた覚えたばかりの僕の名前を呼んでふわりと微笑み、今度は自分の名前を口にした。
「私の名前は、草壁」
「くさかべ――?」
「草壁優季、って言うのよ」




――――――――――――つづく

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