時には星座を数えるように 〜第二話〜
C73冬コミ出展作品
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 秋の星座 ペルセウス座とアンドロメダ座のおはなし

 エチオピアの王ケフェウスとカシオペア王妃の間には、アンドロメダというとても美しい娘がいました。カシオペア王妃は娘のことがたいそう自慢で、ある日、「我が娘は、世に美しいと評判の海の精よりもなお美しい」と口にしました。
 それを聞きつけた海の精たちは怒り、海の王ポセイドンの妻であるアンピトリテに事の次第を報告しました。すぐにアンピトリテはポセイドンに訴え、エチオピアを攻撃するように頼みました。
 その頼みに、ポセイドンは鯨の化け物であるティアマトをエチオピアに送り、暴れさせました。ティアマトはとても巨大な鯨で、エチオピアは大混乱に陥ります。
 困ったケフェウスは、神々に何とかならないかと聞きました。そうして返ってきた答えは、「アンドロメダをティアマトの生け贄として捧げよ」というものでした。
 ケフェウスとカシオペアは泣いて嫌がりましたが、エチオピアの民をこれ以上苦しめるわけにもいきません。泣く泣くアンドロメダを海の岩に鎖で縛り付け、ティアマトの生け贄としました。
 そこへ、音に聞こえた勇者ペルセウスが現れました。彼は、魔女メデューサを倒した帰りがけに、岩に繋がれているアンドロメダを見つけて、助けに来たのです。
 天馬ペガサスに乗ったペルセウスは、知恵の女神アテナの剣でティアマトを斬りつけます。さすがのティアマトもこれには敵わず、やがて弱っていきました。そして、ペルセウスは頃合いを見計らい、手に持ったメデューサの首をティアマトに突きつけました。
 メデューサは見た物すべてを石に変えてしまう恐ろしい魔女であり、首だけになってもなおその魔力は衰えません。ティアマトもその呪いには勝てず、石に変えられて海の底へと沈んでいきました。
 その後、ペルセウスはアンドロメダと結婚し、エチオピアの新しい王様となり、二人末永く幸せに暮らしました。そして、彼らは死して後もまた空へと舞い上がり、秋の夜を彩るペルセウス座とアンドロメダ座として、いまもなお、夜空の上で仲良く寄り添っているのです。


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「草壁……さん……?」
「そう。草壁優季。この学校の……生徒、かな」
 草壁さんと名乗ったその人は、そう言って「よろしくね」と挨拶した。改まってそんなことを誰かに言われたことがなかった僕は、なんと答えて良いものやら判らなくて、結局じっと黙っていた。『よろしくね』なんて、いったいどう返せばいいのやら、今だってよく判らない。『こちらこそ』とでも返せば良いんだろうか?
 そうして僕が黙っていると、草壁さんは再び「もう夜も遅いよ」と言った。
「帰らなくて良いの? お母さん、心配してないかな」
「別に……怒られないから」
「そうなんだ。大人さんなのかな?」
 そう言って、草壁さんはつっと僕のおでこに指を当てる。細くて白い指先だった。
「こんな夜中に出歩いて、おませさん」
 たったそれだけのことが、なぜだかすごい秘密を共有したかのように思えた。きっと、学校の誰も、夜中に高校生の女の人と一緒に学校にいたことなんてないだろう。僕だけが、少しみんなより大人になった気がして、なんだか嬉しかった。
 でも、内心の嬉しさと一緒に、それはとても照れくさくて恥ずかしいことのように思えたから、僕はそれをごまかすように、ぷいっと草壁さんから目をそらしてしまった。
「お姉ちゃんだって、夜に外にいる」
「そうだね。じゃあ……、おあいこさんだね」
「……おあいこ?」
「そう、あおいこ……。二人だけの、秘密だね」
 ひみつ、という言葉が、いつになく妖しくときめいた。なぜだろう?
「秘密……」
「誰にも言っちゃダメですよ。きっと、魔法が解けてしまうから」
「魔法?」
「月の夜にだけかかる魔法。もう、あなたも魔法の中にいるのです」
「それは……夢、ってこと?」
「そう。たぶん、私もあなたも寝ぼけているんですよ。夢の中のお散歩だね」
 なるほど、そうかもしれないと思った。こんな夜中に、こんな場所で、こんなお話をして。それは夢だ寝ぼけているんだと言われれば、何となく納得できる。
 そう思うと、僕は何だか気が楽になって、ようやく周囲の様子にも気が配れるようになった。夢を見ているのなら、何も緊張することなんてないから。
 その僕の様子に草壁さんは目を細めると、またふっと窓際に寄りかかった。そして、開いた窓から香る風に髪を揺らしながら、「ねえ、学校に何をしに来たの?」と言った。
「幽霊探し? さっき、私のことそう言っていたよね」
「別に……」
「うん?」
「ただ、通りかかったから」
「そう? じゃあ、そうだね……、どうして、こんな夜中にお散歩してるのかな」
「…………」
 何とも応えようがなくて、僕は黙ってしまう。だって、明確な理由なんて別になかったから。しいて言えば『何となくドキドキするから』と言うようなものだったけれど、それを言うのは何だかためらわれた。ひどく子供っぽい理由に思えたから。
 だから、答えに窮した僕は、やはり曖昧に「別に」と返すしかなかった。
「お姉ちゃんこそ、どうしてこんな所にいるの?」
「私? 私は……」
 草壁さんは、つっと俯いて少し考えているようだった。そうして十数秒くらいしてからゆっくりと顔を上げると、意外なことを口にした。
「待ち合わせ、かな」
「待ち合わせ?」
「そう。ずっと前から何年も、約束のない待ち合わせ」
「……誰を待ってるの?」
「鬼ごっこの、鬼さんです」
「鬼?」
 次々と、草壁さんの口から謎の言葉が飛び出てくる。その時の僕には……、いや、今になっても、あの時の彼女が何を言っていたのかは判らない。けれどその瞳は決して嘘を言っているのでも、その場を茶化しているのでもなく、真剣そのものの光を湛えていた。
「ううん、私が、鬼なのかも……。いつの日か、捕まえられるかな」
「……よく、判らない」
「そうだね、よく判らないね。きっと、寝ぼけているんですよ」
「その人は、いつ来るの?」
「…………いつ、かな……。もう来たような気がするし、まだずっと来ないような気もします」
 まるで禅問答のようなやりとり。普段の僕だったら、きっといらいらして怒鳴り散らしていただろう。そんなんじゃ判らないって。
 でも、そうするのはどうしてかためらわれて、僕は「それって……?」とだけ言った。
 草壁さんは僕の問いにゆるりと首を振り、また意外なことを口にした。
「牡羊座のお話」
「え?」
「知ってるかな。星座の神話」
 知らなかったので、僕は素直に「知らない」と応えた。すると、草壁さんはするすると、手元に本でも広げているかのように、牡羊座の神話を語り出した。
「ずっと、ずっと昔のこと。テッサリアという国の王・アタマースと、お妃のネフェレーの間には、二人の子供がおりました。でも、アタマースはテーベ国の王女・イノに恋をしてしまいます」
「恋?」
「すごくすごく、その人のことを好きになること……。奥さんがいるのに、本当は良くないことだけれど、でも抑えられなかったんでしょうね」
「……ふうん」
 好きな人もおらず、また当然浮気をしたこともなかった僕にはよく判らなかった。きっといろいろ喧嘩とかしたんだろうと、そんなことを思っていた。
「アタマースはネフェレーを追い出して、イノをお妃に迎えました。二人の間にはまた子供ができたのだけれど、そうするとイノは、前の奥さんのネフェレーの子供を疎ましく思うようになったの。だからイノは悪だくみをして、子供たちを殺そうとします」
「殺すの?」
「怖いね……。でも、それを知ったネフェレーは、なんとか子供たちが無事であるように、大神ゼウスに祈ったの。そして、ゼウスはネフェレーを哀れに思い、その願いを聞き入れてあげたのです」
「助けてあげたの?」
「そう。ゼウスは神様の中でいちばん偉い神様だから、なんでもできちゃうんですよ。ゼウスはね、ネフェレーの子供たちのために、金の羊を遣わしたの」
「金の?」
 羊と言えば白くてモフモフしている姿しか見たことがなかったから、金の羊と言われてもぴんと来ない。でも偉い人は金色が好きそうなイメージがあったから、なんとなくそうなのかもとは思った。
「子供たちが処刑台に上げられ、殺されようとしたその瞬間、ゼウスの遣わした金の羊が現れました。そして羊は子供たちを背中に乗せて、空の彼方へと消えていった……。羊はやがてコルキスという国へ降り立ち、子供たちはそこで幸せに暮らしたんだって。そして、功績を讃えられた金の羊は、夜空へ上げられ、星座になったのです……」
「それが……牡羊座?」
「そう。私は、きっとその羊になりたいんだと思う」
 そう言って、草壁さんはまた俯いてしまった。今度は一瞬だけ、草壁さんの何か寂しそうな、あるいは哀しそうな表情が目に入った。先ほど見せていたお茶目で明るい表情とは違う、憂いを含んだ瞳。
 何がそうさせるのか、当時の僕には判らなかった。もちろん、今思い出してみても判らない。ただ、きっと何か思い悩むことがあったのだろうと思った。それを思わせるように、草壁さんはぽつりと「なれるのかな。私は……、大切な人を守る金の羊に。それとも……、それとも私こそ、オリオンを刺し殺したさそりなのだとしたら……」と、謎のような言葉を呟いた。
 月の光で影になって、その時どんな顔をしていたのかは判らなかったけれど、何となくそれ以上聞いてはいけないような気がして、僕はそのまま再び黙ってしまった。そうして僕たちは長い間、月明かりが清かに照らす教室の中で、二人俯いていた。
 だが、そんな沈黙を破るように――おそらく、僕に気を遣ってくれたんだと今では思える――、草壁さんが不意に、打って変わって明るい声で「そうだ!」と言った。
「え?」
「今日は晴れているし、屋上に上がりましょうか」
「屋上?」
「うん、屋上。きっと、星がたくさん見えますよ」
 なるほど、確かにその日は雲一つ無い快晴。空に浮かぶ月も、途切れることなく輝き続けている。
 だが、僕は本当に星が見えるのか疑問だった。だって夏休みにやった理科の宿題で『星を見よう』というのがあったけれど、家の窓からいくら夜空を見上げても、プリントにあるような星たちは見えなかったから。
 僕がそう言うと、草壁さんはしかし穏やかに笑って、「大丈夫。ちゃんと見えますよ」と言った。
「ついてきてみれば判るから。ね」
 そう言ってにっこりと笑う草壁さん。何か考えがあるのか、確信に満ちた表情だった。だが、それでも僕はまだ半信半疑だったので、うんともいやとも口に出さずに、曖昧に黙っていた。
「あ、それとも、星を見るのは退屈?」
 そう、それもあった。だって、星って動かないじゃないか。じっとその場で動かない、ただ光っているだけの物を見て楽しいなんて、僕にはとうてい思えなかった。夜に光って楽しいと言えば、星なんかより断然花火だった。
 でも、その時はひとつだけ、楽しめるかもしれないことがあった。
「…………お姉ちゃんが」
 それは、先ほど草壁さんが僕に話した物語。
 あれだけは、もう少しだけ聞いても良いかなと思えたんだ。
「うん?」
「星座の話をしてくれるなら……、行く」
 僕がそう言うと、草壁さんは少しだけきょとんとした。意外な答えだったのかもしれない。でも、すぐにぱあっと明るく微笑むと、彼女は「ええ、もちろん」と快諾してくれた。
「いいですよ。いっぱい、いっぱいお話ししてあげる」
「ホント?」
 そうして――、僕もまた、自分の顔がぱあっと明るくなったのを感じた。
「うん。嘘なんて言わないよ。じゃあ屋上へ行きましょうか。私についてきてくださいね」
 そうして、草壁さんは窓際から離れると、僕を誘うように手招きしながら教室の扉の外へと歩いていく。僕ははぐれないように彼女を追いかけると、二〜三歩後ろについていった。
「大熊座、小熊座、ヘラクレス座……、乙女座に、獅子座も見えるかな。等級の低い星はあまり見えないけれど、明るい星ならだいたい見えますよ」
「等級?」
「星の明るさを表す単位でね、数字が低ければ低いほど明るくて――」
 草壁さんは、屋上へ行くまでの間も、星の話をずっとしてくれていた。
 来た時は一人だけだった夜の廊下。今度は二人で歩いて、彼女の声と足音が静か響いている。
 なんだかふわふわした気分だった。知らない人と、それも大人の女の人と夜中に一緒にいるなんて。改めてそのことを思い出しても、何やらそれは夢の中のように現実味がなく、先ほど草壁さんが言っていたように、やはり寝ぼけているのかもしれないと思えるほどだった。
 だとしたら、僕はいつから寝ぼけているのだろう。
 あの教室に入ってきた時からか、それとも校舎に忍び込んだ時からか、あるいは家を出た瞬間からだろうか。
 曖昧な境界は、歩を進めるごとにぼやけてくる。
 今いるのは不思議の国? それとも現の国?
 夢を見ているのか、それとも起きているのか、だんだん判らなくなってくる。
 視界はいつしか霧に包まれたようになる。
 平衡感覚はとうに失って、僕はゆらゆらと揺れる。
 ゆらゆら、ゆらゆら
 ゆらゆらと揺れて――

「ねえ」

 ふと、草壁さんが僕の名前を呼んだ。
「大丈夫?」
 見ると、心配そうな表情で僕の顔をのぞき込んでいた。
「え……?」
「ぼうっとして。もう眠いのかな?」
 少なからず僕は驚いた。眠いというような意識はなかったから。
 でも、そう言われてみれば何となくそんなような気もする。思えば、普段ならもう布団の中で夢を見ている時間なのだ。
 でも、僕は慌てて首を振って、それを否定した。
「大丈夫」
「そう? でも、やっぱり眠そうだよ。もう夜も遅いし――」
「大丈夫だから」
 なおも僕を帰らせようとする草壁さんの言葉を、僕は少し強い言葉で遮った。今はまだ帰りたくない。もう少しだけ、この時間が続いてほしかったから。
「早く、屋上に行こう」
「……うん、判った」
 まだ少し心配そうな草壁さんだったが、僕の意思が変わらなそうだと判断したのか、こくんと頷くとまた振り返って、屋上を目指して歩いていった。
「……ふ……」
 僕は、その後ろ姿を見ながら、ひとつだけため息をつく。
 大丈夫、ここは夢の世界なんかじゃない。夢の中でも眠いなんて、そんなことがあるもんか。ちゃんと僕は起きていて、あのお姉ちゃんもここにいる――
 そう思うと、先ほどまでの浮遊感が何だか滑稽なもののように思えてきた。少しばかり眠かったからと言って、何をわけのわからないことを考えているのだろうと。
 そう、ちょっとばかりあのお姉ちゃんが美人だからってどぎまぎして、それでも男か。いつもは女の子なんて、ちょちょいのちょいでスカートだってめくってやるのに。
「…………ごくっ」
 不意に、生唾を飲み込んだ。
 前方を一定のペースで歩きながら、まだ星の話を僕に語りかけている草壁さん。長い黒髪がさらさらと流れるようになびいて、背中から太ももまでの後ろ姿を飾っている。そして、髪の間からちらちらと見える制服のスカートはとても短くて、真っ白な脚が息をのむほどすらりと伸びている。
 子供の目から見ても、とても妖しい魅力を放っているその様。いつも見慣れた同級生の女子たちの脚なんかとは全然違う、大人の女性の脚。それも、とびっきり綺麗な女の人の。
 『このスカートをめくったら……、なんて言うだろう?』
 それは、抗いがたい誘惑。
 一瞬で喉が渇いて、激しい動悸が胸を叩き出す。
 『お姉ちゃんの、スカートを……』
 僕はそっと草壁さんの後ろに近づいた。大丈夫、前を見て歩いているから気づかれない。そろりそろりと忍び足で、スカートをめくったら二千点、パンツを下ろしたら五千点。いや、こんな綺麗な女の人だから、もっともっと高得点だ。
 あと二歩、あと一歩。よし、この位置。
 まだ気づかない。よし、いける!
 そして僕は、意を決して草壁さんのスカートを掴もうとした。
 ――が

「ダメですよ――」

 もうちょっとで手が届きそうなところで、不意に草壁さんが遠のいた。間合いを外されたらしく、僕の腕は空を切って宙を泳いだ。
「あっ! ……っと!」
 空振りの勢いそのままに、僕はたたらを踏んで転びそうになった。が、なんとか踏みこらえると、慌てて前を向いて草壁さんを見た。彼女は、僕より三歩ほど前方でこちらを向いて、くすくすとおかしそうに笑っていた。
 そうして、何だか呆気にとられてしまった僕の方へ近寄ると、また指を僕のおでこにつっと当てた。
「こぉら。女の子にそんなことしちゃいけません。エッチさん、めっ」
 ほんの少しだけ強気な音を含ませてそう言うと、草壁さんはちょいと僕のおでこに人差し指を当てた。言葉の通り、≠゚っ≠ニいうあれだった。
 そうして彼女は、じっと僕の瞳をのぞき込んだ。もっと怒られるのかなと思ったけれど、彼女はそれ以上は何も言わず、ただ僕の返答を待っているかのように、ちょっとだけきびしくした瞳でじっと見つめてくるだけだった。まるで、僕の中のすべてを見透かしてしまうような、深い色の瞳で。
 その目を見ている内、僕は彼女のスカートをめくろうとしたことが、すごく恥ずかしくて悪いことのように思えてきた。
 今まで、他の女の子にいくら抗議されてもそんなことを思ったことは一度もないのに、その時ばかりは心の底からそう思えて、僕は驚くほど素直に、草壁さんの目を見ながら謝ったんだ。
「ごめんなさい……」
 口だけではない、本当に悪いと思って謝ったのは、いったい何年ぶりのことだったろうか。消え入りたいほど恥ずかしくて、申し訳なくて、僕はすぐに下を向いて真っ赤になってしまった。嫌われたらどうしよう、もう嫌いになったかなと、心の中でぐるぐると後悔が渦巻く。
「反省してる?」
「うん」
「本当に?」
「うん」
 もうしない、絶対こんなことしない。そう思いながら、僕は彼女の言葉に一つ一つ頷く。草壁さん相手だけではなく、普段の――クラスの女の子たちにもしないと約束もした。彼女に許してもらえるなら、そのくらいなんてこと無かった。
「じゃあ、もうそんなことができないように、私が罰を与えてもいいですか?」
 やがて僕の様子に満足したのか、草壁さんは柔らかく微笑むと、不意にそんなことを言った。
「ばつ……?」
「そう。もうスカートをめくれなくなる罰ですよ」
「どんな?」
 そんな罰があるのだろうかと、僕は不思議に思った。まさか手をちょん切るなどとは言わないだろうけれど、ではどんなことをするのだろう。
 すると、草壁さんはそんな疑問符付きの僕に、すっと手を差しだしてきた。
「え……?」
「ほら、手を出して?」
「あ、うん」
 そうして――
「はい」
 草壁さんは、僕の手をきゅっと握ったんだ。
「えっ……?」
 驚いた僕の目に映るのは、もうすっかり彼女の左手に包まれた僕の右手。そして、呆気にとられている僕の横に、すっと草壁さんが並んだ。
 手を繋いでいる。そう気がつくのに、ずいぶん時間がかかったように思う。
「こうして手を繋いでいれば、さっきみたいなこと、できないでしょ?」
「あ、あの……」
「じゃあ行こうか。ほら、屋上はもうすぐだからね」
 僕の手を包む、草壁さんの手。繋いだ手から、彼女の体温が伝わってきていた。
 その温かい感触はあまりにも優しくて、どこまでも甘くて、僕の心臓をどうしようもなくどきどきさせた。そのどきどきが手を通して草壁さんに知られてしまいそうで、僕はやっぱり真っ赤になって俯いてしまった。きっと知られたら笑われる。このどきどきに草壁さんが気づいたら、きっともっと恥ずかしくなってしまう。

 でも、それなのに
 こんなにも恥ずかしくてしかたがないはずなのに
 僕は彼女の温もりが離れてしまうのが怖くて、繋いだ手にきゅっと少しだけ力を込めた。

 そして、思った。
 こんなの、絶対、退屈な日常なんかじゃない。

 やっぱり、僕は、夢の世界にいるんだと――




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