時には星座を数えるように 〜第三話〜
C73冬コミ出展作品
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 冬の星座 エリダヌス座のおはなし

 太陽の神ヘリオスには、フェアトンというたいそう元気な息子がおりました。
 ある時、フェアトンはヘリオスが使っている太陽の馬車を貸してほしいと父に頼みました。ヘリオスは心配しながらも息子の頼みを聞き入れ、馬車を貸しました。
 フェアトンは大喜びで太陽の馬車を走らせました。しかし、馬車を引く馬たちはフェアトンの言うことを聞かず、あっちこっちへむやみやたらに暴走し始めました。
 天界は大騒ぎになりました。なにしろ、太陽の馬車は炎に包まれた馬車だったので、走る度にほうぼうに火の粉を飛ばします。そのせいで、あちこちで火事が起こり、たくさんの神々がやけどをしてしまいました。
 その内に馬車は地上へと降りていってしまい、そこでも大混乱が起きます。火山は噴火し、森は焼けて砂漠となり、夕方の雲は真っ赤に染まってしまいました。
 見かねた大神ゼウスは、フェアトンを哀れに思いつつも、雷の矢を放って太陽の馬車を撃ち落としました。そして、フェアトンはエリダヌス川に真っ逆さまに落ちていき、しまいには溺れて行方が判らなくなってしまいました。
 フェアトンの姉妹たちはこの様子を目にして哀しみに泣き暮れ、ついにはポプラの木に姿を変えてしまったと言います。また、フェアトンの親友キグナスは、川に落ちたフェアトンを探す内、白鳥座へとその姿を変えたと言うことです。
 これが天を流れる大川、エリダヌス座にまつわるおはなしです。


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 屋上の扉の向こう。開かれた扉から外に出ると、そこには僕が見たこともない世界が広がっていた。
「うわ……あ…………」
「どう? たくさん見えるでしょう?」
 草壁さんの声が、どこか遠くから聞こえてくるかのような錯覚。
 そこには満天の――、文字通り満天の星空が広がっていた。
 明るい星、暗い星、大きな星、小さな星。ぱっと見るだけでもいったい何百、何千の星があるのだろうというくらいの星。いったい、これだけの星が今までどこに隠れていたんだろうというようなたくさんの星明かりが、まるで銀の粉を散らしたように、夜空いっぱいに煌めいていた。
「どうして――」
 何か圧倒されるようなその光景に、僕はただ呆然と立ちつくした。僕の家の庭から見える星と言えば、せいぜい北極星とかオリオンの三連星くらいだったし、時にはそれすら見えないことがあるくらいだ。そのくらい、僕の中の星空は暗く沈んでいたのに、なぜこの空にはこんなにもたくさんの星たちが瞬いているのだろうか。
「この学校は繁華街から少し離れているし、坂の上で、山の近くにありますからね。だから、光害が少ないの」
 僕の疑問に、草壁さんはすらすらと答えてくれる。
「光害?」
「街の明かりが夜空を照らして、星の光を覆ってしまうこと。でもこの辺りはまだそれが少ないみたい。それに最近は雨も降らなくて乾燥しているから、その分たくさん星が見えるんですよ」
「雨?」
「ええ、雨が降ると空気が湿って、星が見えにくくなるの。水の中だと、前がよく見えないでしょう?」
 なるほどと僕は思った。確かに、プールなどで目を開いても前の方がよく見えないし、雨の日は遠くの方が煙って見える。ひょっとしたら理科の時間に習ったかも知れないけれど、そっちはぜんぜん覚えていなかった。
「新月の夜は、もっともっとたくさん星が見えるんだけど、今日はお月様が明るいからこれだけですね。それでも、とてもたくさんの星が瞬いている……。どう? お姉ちゃんの言った通りでしょ?」
「うん」
 得意げに胸を張る草壁さんに、僕は素直に頷いた。
 そして、その間も僕の視線は星空に釘付けのまま。拙い知識の中で知っている星の形を思い出して、右を左へ、上を下へと、天球儀のような空を眺めていた。そうしている内に、僕はいくつかの星の並びを見つけることができた。
 まず目に入ったのは、ひしゃくの形をした七つ星。
「ねえ、あれが北斗七星だよね?」
 僕はその星を指さして、草壁さんに尋ねた。
「どれ?」
「ほら、あれ。あの明るい星が一、二、三……」
「ぴんぽん、当たりです。北斗七星は知っていたんだね」
「それくらい知ってるよ」
 何だか馬鹿にされたみたいで、僕はちょっとだけむっとする。
「そう? なら、北斗七星は、なんの星座の一部でしょうか?」
「え……?」
 予想外の問いかけに、僕はきょとんとする。星座の一部だって? 北斗七星自体が星座なんじゃないのだろうか。
 僕がそう言うと、草壁さんはふるふると首を振ってそれを否定する。
「北斗七星はね。大熊座のしっぽの部分に当たるのよ。ほら、これを見て」
 そう言って、草壁さんはいつの間に用意したのか、星座盤を僕の方に差しだした。そして、ある一つの星座を彼女は指さす。
「ほら、これ。この七つ星が北斗七星。そして、大熊座がこれ……」
 そこにはいくつかの星を線で結んだ星座が描かれており、確かに『おおぐま座』と記されている。
「それで、大熊座から少し離れて、北極星の所に……、ほら、小熊座があるのよ」
「これ?」
「そう。北極星を挟んで、お互いがちょうど向かいになるように、大熊座と小熊座はあるの。この星座は、親子なんですよ」
「親子……」
「昔、昔のお話です――」
 草壁さんはそう言って、大熊座と小熊座の神話を語り出す。
「月と狩りの女神アルテミスには、カリストという侍女がおりました。森の妖精であるカリストはとっても綺麗な人で、その美しさにある日ゼウスが恋をしたの。そして、二人の間には子供ができました。でも、アルテミスはとても潔癖な人で、それを許さなかったの。だから、アルテミスはカリストを熊の姿に変えてしまいました」
「熊に……」
「カリストはとても悲しんで、息子のアルカスをマイヤという妖精に託し、森の奥へと姿を隠してしまいました。その後アルカスは無事に育ち、やがて立派な狩人に成長します。そして、カリストが熊に変えられてから二十年後、アルカスは森の中で、一匹の熊と出会いました」
「……もしかして」
「そう。アルカスが出会ったのは、熊に変えられた実のお母さんであるカリスト」
 いったい、その時の二人はどんな顔をして、どんなことを思ったのだろうか。
 草壁さんの話はまだ続く。
「カリストはたくましく成長した息子の姿に感動して、思わずアルカスを抱きしめようとします。でも、アルカスにはお母さんが熊にしか見えない。だから彼は思わず弓を引き、カリストを殺そうとしてしまうの。でも、それを天から見ていたゼウスは、子供が母親を殺すなんて可哀想だと、矢が放たれる直前に、彼らを空に上げて星座にしてしまいました。それが大熊座と、小熊座――」
 僕は、改めて空を見た。そこには、静かに瞬いている北斗七星と、それに連なる大熊座の星々。そして、少し離れた場所で穏やかに輝いている、小熊座の七つ星。
 それまでなら、なんの感慨もなくただ形だけを追っていたであろう星々にそんな伝説があったなんて、僕はずっと知らなかった。学校の授業でだって、そんなことは習わなかったから。

 その後も、草壁さんはいろいろな星座の話を僕にしてくれた。蟹座、獅子座、海蛇座、コップ座、冠座、山猫座、髪の毛座――。空に輝く星の位置を示しながら、僕が知らないいろいろなお話をたくさんしてくれた。
 いったいどれほどの星の本を読んだのだろうか。まるで、そのすべてを暗記しているかのように、彼女の言葉はよどみなく響いて、僕は少しも退屈することがない。それに、彼女の語り口はなんというかとてもリズムが良くて、普段は先生の話なんかまるで聞かない僕が、その時だけはじっと耳を傾けて、無用な茶々を入れることもなく星々の話に聞き入っていた。
 中でも、とりわけ僕が心を惹かれたのは、乙女座のお話だった。それは、一人娘を死の国の王ハデスに奪われた、春の女神のお話。
「豊穣の女神デメテールと大神ゼウスの間には、ペルセポネという美しい娘がおりました。幸せに暮らしていたペルセポネだけれど、でもある時、冥界の王ハデスが彼女に恋をしてしまいます」
「ハデス?」
「ゼウスの弟でね、死者の国を治めている偉い王様。ハデスはどうしてもペルセポネを妻にしたいと思い、彼女の父親でもあるゼウスに彼女との結婚を許してくれるよう頼みました。そしてゼウスは弟の頼みと言うことで、その願いを聞き入れた。だから、ハデスはペルセポネを冥界へと連れていってしまったのです」
 僕の脳裏に、嫌がる女の人を無理矢理さらって行ってしまう、怖い男の人のイメージが浮かんだ。死者の国がどういうところかは知らないけれど、きっとマンガやテレビで見るような、暗くて冷たい場所なのだろうと思った。
「驚いたのはデメテール。彼女はかんかんに怒ってしまい、神々の国を去ると地上の神殿に引きこもって、表に出てこなくなってしまいました。でもデメテールは豊穣の女神だから、彼女が出てこなくなった地上では農作物が実らず、すごい飢饉が起こってしまいます」
「飢饉?」
「食べるものがなくなっちゃうこと。デメテールが出てこないから畑で作物が実らなくなって、食料が底を突いてしまったの」
「ああ……」
「さすがのゼウスもこれには困って、ハデスにペルセポネを返すように命じました。ハデスはペルセポネを返すのは嫌だったけれど、ゼウスの命令を突っぱねるわけにはいかなくて、仕方なく彼女を地上へと戻すことに頷きます。でもやっぱり、大好きなペルセポネを黙って帰すのは我慢がなりません。そこでハデスは、馬車で地上へと帰るペルセポネに、冥界で採れたザクロの実を十二粒渡し、喉が渇いたら食べると良いと言いました」
「ザクロ?」
「そういう果物があるのよ。果実の中に、小さな酸っぱい実がたくさん連なっている果物」
「へえ……」
「それでね、実は、冥界の食物を食べた者は、冥界から出られないという掟があるのです。そうとは知らないペルセポネは、そのザクロの実を受け取ってしまいました。そして帰りの道すがら、冥界の出口を見て安心したペルセポネは、ザクロの実を四粒食べてしまったのです。だから彼女は、一年の内の四ヶ月を冥界で過ごさなくてはいけないことになってしまいました。せっかく娘が帰ってくると喜んでいたデメテールはすごくがっかりして、ペルセポネがいなくなってしまう冬の四ヶ月は、やっぱり神殿に引きこもってしまいます。冬に作物が実らないのは、豊穣の女神であるデメテールが神殿に閉じこもってしまっているためなんだって。逆に、ペルセポネが地上に帰ってくる八ヶ月間は、デメテールが喜んで神殿の外に出てくるから、地上は春の陽気に包まれる」
 そう言って、草壁さんは空の一角を指さす。
「そして、その花と実りの象徴とも言えるデメテールが、あそこにある乙女座」
 そこには、他よりひときわ明るい星、スピカの輝きがあった。星座盤を見ながら確認すると、スピカを下端に、大小の星々が長く広がって瞬いているのが見えた。小さい星はよく判らないものもあったけれど、確かにそこに、乙女座の形が浮かび上がって見えた。
「じゃあ、今はデメテールが空にあるから……、春なんだね?」
「そう。きっと、ペルセポネと仲良くお話ししているんでしょうね。彼女があそこにいる間は、暖かな日が続きますよ。ところで……」
 と、草壁さんはそこで僕に向き直り、僕の名を呼んだ。
「ペルセポネは本当に、ハデスの考えたことに気がつかなかったと思う?」
「え?」
 思いがけない質問だったので、僕はどう返して良いものか判らなかった。だが、草壁さんはさらに重ねて僕に問いかける。
「それに、ハデスは……、十二粒のザクロの実を渡した時、何を思っていたのかしら」
「それは……、ペルセポネを帰したくなかったってことじゃないの?」
 僕はそう言った。だって、話の筋からすればそうとしか思えなかったから。デメテールはペルセポネをかえしてほしくて、でもハデスはかえしたくなくて。
 と、そこでふと思った。デメテールとハデスはともかく、ペルセポネははたして何を思っていたのだろうかと。
「ペルセポネを帰したくなかったのはそう。でもね、ハデスはとても真面目な性格をしていたという説もあるんですよ」
「真面目?」
「そう。どちらかというとゼウスの方が浮気性で、いい加減で、不真面目な性格だったんだって」
 確かに、何度か聞いた神話の中で、ゼウスはいつも違う女の人と恋をしていた。考えてみれば、神様のくせにやたらフラフラしている。
「ハデスはペルセポネが冥界にいて、デメテールが引きこもっている時、地上がどんな有様になっているか知っていたはず。ペルセポネを帰さなければ、きっと、もっと哀しいことが地上で起こってしまう。だからこそ、彼はザクロの実をたった十二粒しかペルセポネに渡さなかったんじゃないか……って、そう思うの」
「どういうこと?」
「ザクロの実はとても小さいんです。小指の爪くらいの大きさしかないの。そんな小さな実では、とてもじゃないけど喉の渇きなんて癒せない。たぶん、他に目的があったはず」
「どんな?」
「これは、私の勝手な考えだけれどね。ハデスはきっと、ペルセポネにザクロの実を渡す時、本当はこう言ったんじゃないかな。『この一粒が一ヶ月。一年の内、私の元へ来てくれる月の数だけ、この実を食べてください』って」
 手の平にのせた小さな果実を愛する人に渡すハデスのイメージ。それは、最初に抱いた死の国の王とはかけ離れた、優しそうな男の人。
「そして、ペルセポネは悩んだ。自分が地上にいなければ春が逃げてしまう。でも、自分が去ってしまったら、ハデスがきっと悲しむ。自分は何ヶ月の間、ハデスと一緒にいられるんだろう、って」
「ペルセポネは……ハデスのことが好きだったの?」
「きっと、ね……。冥界にいる時のペルセポネは、ハデスと常に寄り添っていたそうだから。たぶん、誠実で真面目なハデスのことを、もう好きになっていたんでしょうね」
 僕は思う。地上へ向かう馬車の中、手の中のザクロの実を見つめながら、何が正しいのかずっと悩み続けたペルセポネのことを。それは、どれだけつらく、心苦しい悩みだっただろうか。
「そして、ようやく出口が見えた頃、彼女は決心したんだと思う。一年の内、僅か三分の一の期間でしかないけれど、でも、地上が幸せであるためのぎりぎりの期間。それが、ザクロの実を四粒しか食べなかった=Aその本当の理由。私は、そう思っているの」
 ――僕の中で、乙女座の神話が鮮やかに塗り替えられていく。
 神話のことなんて僕は知らなかったし、ひょっとしたら、このお話ももっと別の説があって、そっちの方が正しいって思われているのかもしれない。でも、それでも、僕には草壁さんが語ってくれたそれがいちばん正しくて、いちばん素敵なお話のように思えた。
 ペルセポネとハデス。お互いがお互いのことを想い、そして、二人ともが少しずつ我慢して、愛する人や地上の人たちのために、できる限り最善のことをした。
 それはなんて哀しく、そして、なんて優しい話なんだろうか。きっと、本当に彼女たちは愛し合っていたんだって、僕はそう信じた。
 これからきっと、僕は星空を見上げる度に、乙女座の姿を探すことだろう。だって、もうすっかり星の形を覚えてしまったから。スピカが見つかりさえすれば、いつだってデメテールとペルセポネ、そして、優しい死の国の王様のことを思い出せる。
「俺……、そんな神話があったなんて知らなかった」
 草壁さんの話に心打たれ、僕は自然とそう言っていた。いつもの僕なら、絶対そんなことは言わなかったろう。札付きの悪童が、星座の話に感動するなんて。
 でもその時は、自分でもびっくりするくらい、すらすらと素直な言葉が僕の中から流れ落ちた。それこそ、春の夜の魔女に、魔法でもかけられたみたいに。
「それに、こんなにたくさんの星があることも、ぜんぜん知らなかった。こんなに綺麗だなんて」
 その僕の言葉に、草壁さんも応えてくれる。
「そうね。でも、もっともっと、たくさんの星たちがあるのよ。私がお話ししたのなんてほんの一部。きっと、もっと素敵なお話を、いつか知る日が来るのかもしれないね」
「そうかな」
 草壁さんが話してくれたのより素敵なお話があるんだろうか。でも、彼女がそう言うなら、そうなのかもしれない。だとしたら、そのお話を僕はどのようにして知るのだろう?
 少しだけ未来のことが思い起こされるような気がして、僕は何だかぼうっとしてしまった。
 見上げた空には、僕が今まで知らなかった満天の星。
 しばらくの間、僕たちは言葉もなく、誰にともなく瞬いている春の星たちを眺めていた。

 そうしてどのくらいたった頃か、不意に、草壁さんがぽつりと呟いた。
「私もね。子供の頃は、こんなに空が綺麗だなんて、思っても見なかった」
「え……?」
 意外な気がして、僕は空から目を移して、草壁さんを見た。きっと、子供の頃からずっと星座のことを勉強していたんだろうと思っていたから、にわかには信じられなかった。
「そうなの?」
「――不思議だね。子供の頃の方が素直な目を持っているはずなのに、星をたくさん見るようになるのは大きくなってからだなんて」
 僕の声が聞こえているのかいないのか、まだずっと空を見上げながら、草壁さんは誰に語りかける風でもなく、静かに言葉を紡いでいた。
「どうして、もっと早く気づくことができないのかな……」
 今でも、その時の彼女が何を思っていたのか、僕には判らない。
 きっと、とても大切な何かが彼女には見えていたんだろうと、そう思う。
「どうして、綺麗なものほど見つかりにくいのかな――」
 その時の彼女の問いは、僕の中で、今もまだ響いている。




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